調身について

「調身、調息、調心」は禅宗で使われる標語。「調身」を訓読みすると、「身を調える」となって、「整体」と同じだ。「整体」という用語は使われすぎて、マッサージの同意語のような表現になってしまった。そこで、「整体」の代わりに「調身」に変えてみたいと考えた。

「調身、調息、調心」という順序には意味があって、「身」を調えるのに「息」を調える、という方法があり、これを実行すると「心」が調う。

「身」と「体」とではどう違うか。「身」という場合、「身の処し方」とか「身のおきどころ」、「身づくろい」などという表現から分かるように、物質としての「からだ」という意味だけでなく、社会的な存在としての「からだ」という意味が含まれている。これに対して「体」は、英語の body と同じく、もともとは「なきがら」の意味があったらしい。要するに物質としての身体という意味を表している。

整体の操法をして調えるのは、決して物質としての身体ではなく、社会的な存在としての身体であるから、「整体」というより「調身」という表現の方がより実際に近い。

そこで朱鯨亭としては、「調身」という言葉を使いたいという希望を持っている。ただ、「調身」では一般の人々に通りがわるいので、ある程度は併用するのも止むをえないと考える。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください