1028 人にしあわせになってもらうために

第1028号  2018年4月22日
▼ 人にしあわせになってもらうために

今回は操法を仕事としてやっておられる方々への便りになるというつもりです。でも、そうでない人にとっても、人は何のために生きるか、という問への答えの一つになっているかな、と思っております。

先日、東京のTさんが久しぶりに教室に参加して来られました。その後、操法の予約をとっておられた。合気道の稽古で肩に怪我をしたとのことです。

Tさんへの操法が終わって、話をしていると、

「先生に愉気をしてもらうと、何かしあわせになります」というようなことを言われる。と言われても、私としては、人がしあわせになってもらうために操法をしているということを意識したことはなかったというのが本当のところです。でも、そのように言われた。

しかし、考えてみれば、操法をしていて、相手にしあわせになってもらえないなら、失敗というか、失格なわけで、そう言われてみれば、私としては、これは、とても恥ずかしい。

これまで自分は人にしあわせになってもらうために操法して来たのではなかったのか、と考えて、うつむいてしまったと思います。Tさんは気づいておられないかもしれませんが。

話変って。

私は昔から(とっても何年前からか思い出せないのですが)、まいにち卦をたてる癖があります。いつも良い卦が出るとは限りません。むしろずっと悪い卦が続いて落ち込むこともあります。でも、続けている。それは、自分の現在の状態が卦に現れるから。つまり自分自身を知るために卦を立て続けているわけです。

ところが。

先日から何人か、操法の後でお客様に卦を立てていただいたのです。すると驚いたことに、皆さん、大変いい卦ばかり出されるのですよ。どんな卦だったか全部は覚えていません。ただ数日前に立てていただいた方が出された卦は「雷風恒」。これは、言って見れば、穏やかな風が吹き続けるという意味の卦で、たいへんいい卦の一つです。

その前には「火天大有」という卦が出たこともあります。大空に太陽が輝き渡るという意味ですから、悪いはずがない。

私自身がやると、大していい卦が出ないのに、お客様が立てるといい卦ばかりというのは、何を示しているのだろうか。天からそういう謎をいただいたことになります。

私はTさんの言葉を思い出して、これは私が操法をすると、皆さんしあわせになってくださっているということなのか、とはっと気づいたわけです。

いま私は自分の愉気がどのような意味を持っているのか、そのことだけを考え続けているといってもいいくらい、愉気のこと、愉気の方法について考え続けているところなので、自分の考えていることの答えをもらったという気がしました。

人は誰かにしあわせになってもらうために生きている。こう考えたらどうか。そんなことを考えていると、今度は東京のセミナーに参加された岩手県のNさんからお手紙をいただきました。

長文ですので、全部をご紹介することはできませんが、一部を。

── 四月十六日、二重生命線を見つけてもらい「病気だという思考を変えなさい」と言われ、あの時目から鱗が落ちて目が覚め生まれ変わった感じです。

どういうことか解説をしますと、二重生命線というのは、普通にある生命線の内側に生命線と同じ流れの線のある人がいて、そういう人は生命の力が大変強いと言われています。そのことをセミナーの席上、モデルで出てくださったNさんに申し上げたら、こういう感想をいただいたわけです。

これも表現は違うものの、Tさんと同じことをおっしゃっていますね。

愉気をする時は、相手がしあわせになってくださるために取り組む。そう考えてみたらどうでしょうか。そう考えを変えるだけで、愉気のパワーが変わります。

どうぞ、皆さんお試しになってみてください。

1027 失敗は成功のもと

第1027号  2018年4月9日
▼ 失敗は成功のもと

先日のことです。ダブル・ブッキングをやってしまいました。記憶が曖昧になったからなのか、日付に疎くなっていたからなのか、ともかく年寄りの大失敗です。

ともかく、大きなミスをやってしまったわけです。どうにもならないので、片方のAさんにしばらく待っていただき、もう片方のBさんにとりかかったと思ってください。Bさんは”坐骨神経痛もどき”の症状です。

Aさんは待ってもらっているので、たいへん気の毒です。Bさんに今度は交代で、少し待ってください、と言って、Aさんに入ってもらいました。

驚いたことに、Aさんの症状も、Bさんと同じような”坐骨神経痛もどき”です。フシギなめぐり合わせですが、ともかく、ありがたい。

何がありがたい、と言って、Bさんの症状は少し複雑だったのですが、Aさんの症状は、割合に単純というか、対角線上の腕を緩めてしまえば、症状が消えるタイプです。

こっそりと申しますと、Aさんの症状に取り組めば、Bさんの症状に取り組むための練習になるわけです。ですから、複雑なBさんの方は複雑なことをしないで、スラスラと解決してしまいました。結局、お二人と取り組んで、1枠より短い時間で終わってしまった。

ダブル・ブッキングで、どうしようと焦っていたのが、簡単に終わってしまいました。こんなにありがたいことはない。

つまり失敗は成功のもと、という諺を地でいったわけです。別の言い方をすれば、【ピンチはチャンス】ということ。皆さんも、これがピンチというところに陥った時は、ピンチはチャンスという言葉を思い出してください。どこかにチャンスの種がころがっているはずです。

ついでに言っておきますが、HPに成功話だとか、自慢話ばかり羅列して書いてあるところは、警戒した方がいい。失敗と成功は常にセットになって現れるもので、成功が100回あるなら、失敗も100回あると考えるのが自然です。

1026 経行の勧め

第1026号  2018年4月9日
▼ 経行の勧め

経行(きんひん)と言っても、ご存知ない方が多いでしょう。禅寺で坐禅をする時に、坐禅の1セッションが終わり、次のセッションまでの合間に、禅堂の中を修行僧たちが抜き足差し足、ゆっくりとねり歩くことです。

そんなことに何の意味があるのかと不審に思われたとしても不思議ではありません。私は最近、坐禅に取り組んでいますが、禅寺でやるだけでなく、大衆禅と呼んで、奈良の西にある生駒山の東斜面にある山荘で、数人の方々と坐禅をやっています。そこでこの経行をやっているというわけです。

これをやると、耳の後ろの乳様突起が、寝ている間に不思議に上がる。(もちろん、こんな話は禅僧の方々には知られていないでしょう)。

乳様突起が上がるのは、側頭骨が前の方に回った(頭蓋骨が開いた、弛んだ)ということを表しています。そのため、頭頂部の膨らみも消える。

頭蓋骨は、決してカチッと固まったものではなく、縫合のところで動いています。季節により、その人の生活により、変動するわけです。

交感神経の優位な状態になると、側頭骨が下がります。逆に副交感神経が優位になれば、側頭骨が上がります。

一般的に自律神経の変動と言われる変化は、このような頭蓋骨の変動としても表れます。だから頭蓋骨を変化させることができれば、自律神経を整えることが可能だということになります。

と言っても、頭蓋骨に力を掛けて、ぐっと押すようなことをすると、たいへんなことになります。でもそういう人がいるらしい。それで具合が悪くなった人が来たことがありました。

そんな危険なことをする必要はありません。初めに書いた「経行」をすると、その日の夜、自分の頭の形を朝起きた時に調べてみると、見事に側頭骨が変っていました。側頭骨が上がって、副交感神経優位になったということです。

自律神経を整える福田・阿保理論では、交感神経優位になっていることが色々な病気につながると言われています。でも手足の爪の横のツボを押し続けるのは、かなりの努力を必要とするわけで、私などは、面倒くさくなって止めてしまいました。効果もすぐには感じられないので、続けるのは、なかなか大変なのではないか。

それより「経行」をやるのは、簡単ですし、やると、ただちに効果が出ます。自律神経失調と言われて悩んでいる人は、これを試してみてはいかがでしょうか。

「隻手」(せきしゅ)という手の形をとって、部屋の回りをそっと歩くだけです。

「隻手」の形は宗派によっても違いがあるようなので、私は、気功の時の掌の重ね方も考慮して、女性は、左手の親指を右手で握って両手を胸の前に当てる。男性は、右手の親指を左手で握って両手を胸の前に当てる。という風にしています。

そうして、1息半歩と言われるように、ゆっくりと前に進みます。この時、自分の足元を見ないように、つまりうつむき加減でやらないようにしてください

自分ひとりだけでやっても効果があります。決して坐禅の後にやるということにこだわる必要はありません。

なぜ自律神経を整える効果があるのか。それはよく分かりませんが、ゆったりと行動することによって、そういう効果が出るのだろうと私は考えています。ウィキペディアの「経行」の項目には次のように書かれています。

── 義浄によれば、経行には、病を取り除き、消化を助ける、健康促進の目的もあったとされる [義浄は、三蔵法師と同じく、インドから仏典を持ち帰り、翻訳した僧侶]

1025 緩めたらアカン

第1025号  2018年4月4日
▼ 緩めたらアカン

Kさん、60代の女性、大阪府の遠方からしばしば朱鯨亭に足を運んでいただいている方。「しばしば」というのは、その時々で色々な症状が出て、すっきりしない方でもあることになります。

Kさんが何度も来てくださるのは、ありがたいのですけれど、できれば早く症状の出ない体になってほしいというのが本音です。

今回は、どうやら「坐骨神経痛もどき」(*注1)の症状。右脚に痛みやだるさがあちこちにあります。これまで、Kさんは体が柔らかいからか、強い症状がなく、比較的早く回復するものの、どうも、すっきりといかない。申しわけない、といつも密かに思っています。

「坐骨神経痛もどき」の場合に、私が定石としているのは、異状のある脚と対角にある腕を緩めることです。

両腕を緩めて、左右のバランスを取った後、前向きに立っていただくと、首が少しばかり右に偏り、右に重心があることが伺えます。つまり腕だけでは左右バランスがとれなかったということです。

まず考えられるのは、こういう方には、何か事故にあった経験があるのではないか、ということ。つまり【強い打撲痕のようなものがどこかに残っている】のではないか。

──何か事故にあったようなことはありませんか? 交通事故でなくても、階段からころげ落ちたとか、跳び箱に失敗したとか、そういうのでもいいんですが。もちろん古い傷でもかまいません。

──右足を捻挫したことがあります。こういうように内側にひねって、えらく腫れました。

(右足の外側面を触ってみて)──なるほど。ここの骨がカチカチになったままですね。

右足の立方骨やら、小指の中足骨(*注2)やらが固まっています。捻挫の直後から固まり、そのままになったと思われます。

そこで、小指の中足骨に裏側から指を添え、ジッとしていること数分。まだ甲の全体が硬い感じがするので、甲側・足裏側から両手でサンドイッチにして、また数分。

これで少しはよくなったに違いない、と思って立っていただきました。

ところが。重心が右に寄ったままです。これではダメじゃないか。

なぜ、こういうことになったのか。こういう時は、じっくりと考えることを迫られます。

右足の外側が硬くなっていたわけですから、硬くなる必要性があって硬くなったと考えられます。右に傾いていたので、あまり右に傾きすぎると不安定になって困る。そこで、右足の外側を硬くして、右に傾きすぎるのを防いでいたわけでしょう。

ところが、その硬くなって傾きすぎるのを防いでいた箇所を、考えの足りない私は緩めてしまった。そのため右に傾くことになってしまったのでしょう。

つまり、どこかが硬くなっているからといって、無闇に緩めると、全体のバランスがおかしくなる、ということです。直すのも、場合によりけりで、直したらアカン場合もある。

一般的には、硬いところを緩めるのは正しいでしょうが、場合によって正しくないこともある、と知っておかないと困ったことになる。法則として言えば、【真理というものは、すべて条件付きであって、いつも正しいとは限らない。条件をはずして、いつも正しいとしてしまうと、真理も誤謬になってしまう】。ということになりますね。

これは整体に限りません。世の中には、条件付きで一つの場合にだけ成り立つ原理を無闇に拡大して、何にでも当てはまるとしてしまう誤りがどれだけ多いことか

*注1 「坐骨神経痛もどき」 普通に坐骨神経痛と呼ばれているが、必ずしも神経痛とは限らず、一方の脚に体重がかかりすぎているにすぎないことの方が多い。だから私は、神経痛とは呼ばず、「坐骨神経痛もどき」と呼んでいる。

*注2 中足骨 足の甲を触ってみると、それぞれの指ごとに細長い骨があって、足首の先まで続いている。この長い骨を中足骨と呼ぶ。区別したい時は、親指から順に、第1中足骨、第2中足骨、という風に第5中足骨まで。

1021 樹功その後

第1021号  2018年3月29日
▼ 樹功その後

以前に「樹功」という項目を書きました。その後の変化など、樹功に関するもろもろをまとめておきたいと思います。なぜこんなことを書くのかといえば、続けてやってみて、私の体調が大きく変って来たからです。

ですから、操法を受けに来られた人たちにも、ぜひ樹功をするようにと、お勧めしています。

樹功については、色々なご意見・ご感想を寄せていただきました。樹功という言葉を検索してみたが出て来ない、というご意見。それもそのはず。「樹功」というのは私が勝手に作った言葉だからです。

普通にはどういうか。「樹林気功」という言葉があります。これは藤田雅子さんという三重県在住の女性が熱心にやっておられるようで、藤田雅子 『やさしい樹林気功』 (全国林業改良普及協会)という本も出ています。

この藤田さんの師匠は、今田求仁生(くにお)さんという「哲学医」ともいうべき人で、あるネットの記事によれば、気功の世界に大きな影響を与えた方だとか。つぎのところに記事があります。⇒ http://taichi-psycho.cocolog-nifty.com/adler/2009/05/post-a83e.html

さて樹功について書くと言って始めたのですけれど、それほど私自身が樹林気功に親しんでいるのか、と言えば、毎朝のように飽きもせず、自宅近くの樹に凭(もた)れに出るということを繰り返しているだけです。

樹林気功をしているのか、と問われれば、それは違うと答えることになるでしょう。だから「樹功」という別の言葉で表すのがいい、と思っています。なにしろ毎朝、樹林気功ができるような贅沢な場所に住んでいないということもあります。

やり方はどうするのか。できれば一抱えほどの太い大木がいいですが、そういう木を探し出して、その木に凭れる。そうして2分から3分ほどジッとしている。簡単にいえば、それだけのことです。

ですから何の難しいこともない。ただやってみるかどうかが大切で、照れくさいなどと言って、やらなければ何事も始まりません。とはいえ、ただ一回やるだけでは、何も分からないのも事実。やはり何度か繰り返してやっているうちに、何か変ってきたな、と感じる時がくるはずです。

「樹功」という記事を書いたのは昨年5月24日(第974号)ですから、私はすでに一年近くやっていることになります。雨などの理由で時々休みにすることもありますが、たいてい毎日欠かさず木のところに出かけます。日の出の頃がいちばん気持ちがいいですから、今は、6時半くらいの時刻です。(東に高円山があるので、日の出が少し遅い)

どんな木に凭れに行くのか。冬の間は、常緑のアラカシの木を選んでいました。今日は久しぶりに一抱えに余るケヤキの木を訪れてみると、枝に葉っぱはありませんが、すでに葉を付ける準備が整っていると見えて、凭れただけで、背骨のところがポカポカと暖かくなりました。

ですから、どの木がいい、と決めつけるのでなく、季節ごとの状況に応じて、よさそうな木を選べばいいと思います。人を選ぶのと同じで、人と木の間にも相性があるようです。

その結果、何が変ってきたのか、といえば、まず体が暖かくなった、全身の気のめぐりがよくなった、色々なことを楽しんで出来るようになった、繊細な感覚まで感じるようになった。そんなところでしょうか。操法家としては、気のめぐりを感じるようになったのは、大きな強みになると思います。

ですから、この方法は、施術家の皆さんにまっさきにお勧めしたいと思っています。きっと何かが変ってくることでしょう。

1022 腕だけやればよい

第1022号  2018年3月13日
▼ 腕だけやればよい

このところ、たびたび腕の重要性を確認しています。脚が悪い人に腕で対応するなんてことがしばしばです。

右脚の痛みに左腕で対応する。あるいはその逆。

こういう話をすると、それは対角線療法(*後述)ですか、というご質問が出てきそうですが、そうではありません。

例えば、右の「坐骨神経痛もどき」の人がいるとしましょう。そういう痛みが出るのは、重心が右に寄っているわけです。右脚の「膝痛」という人がいる場合でも、同じような事情が
あると考えます。

なぜこの人の重心が右に寄っているのか。腕の重さが左右で違い、肩の高さも違っていることが大きな要因になっているのです。

つまり、このような場合は、左肩が高くなっていて、右肩が低い。すると、体重が右にどうしてもかかってきます。左肩が高い場合、通常は左腕に緊張があります(そうでない例外的な場合もありますが)。

先日は、50年ほど前からの友人Kさんが訪ねてきました。Kさんは、右のお尻の辺りが痛く、それから下へずっと引っ張っている感じだといいます。つまりいわゆる「坐骨神経痛もどき」です。

(もどき)とつけるのは、本当に神経痛というケースは少なく、たいていは重心の偏りによるものだからです。

彼の場合は、痛みそのものは酷くなく、しびれも感じず、引っ張っている感じが嫌で、坐りにくい。仕事の関係で正坐することが多く、その時に嫌なようでした。

上のようなケース、つまり坐骨神経痛もどきを最近何度も経験していますから、さっと見ただけで、これは脚を触っても意味がない、腕だと直感しました。

ですから、通常の仰臥姿勢ではなく、椅子に坐ってもらう姿勢で、私が彼の左腕をつかむという恰好で操法をしました。

操法といっても、前にどこかで書いたように、手首の金星丘の付け根あたりと、烏口突起の2点に愉気を続けるスタイルです。だから私は側に正坐してじっとしているだけです。

彼は何も言いませんでしたが(要するに任せているということ)、内心、これは何をしているのか、といぶかしく思っていたことでしょう。それで、こういう症状は腕で解決するのだ、とか何とか私は呟いていたと思います。

このスタイルで、およそ数十分。時間を測っていたわけではないので、正確に何分だったかは不明ですが、要するに私の腕に気が流れている感じが途絶えるまで続けました。ここのところが大事で、途中でやめると、いい結果になりません。

あと足首に問題が残っていたので、少し触ったと思いますが、足の引っ張っているというスジ状のところには、何も手を触れていません。

さて、すべて終わって、立ってもらった。歩いたり、体を捻ったり。少し残像が残ってるかな、と。

翌日Kさんからメールが入り、

──今朝起きて全く痛みなし。昨日のことがうそのようです。

実は私自身は、少し何かが残るだろうな、と考えていたのですが、何もないとなると、これまでああでもない、こうでもないと、ゴチャゴチャやっていたのは何だったのか、と反省すること頻り。

というわけで、左腕の気のめぐりが滞っていると、それだけで重心が右に偏ってしまうことがわかります。それが解決した途端、左右のバランスが回復して、痛みが跡形もなく出なくなる。そういうものなんでしょう。

結論。どちらか片脚の「坐骨神経痛もどき」があると、反対側(対角線)の腕に操法するとよい。

ですから、最初に症状について聞く時に、左右のバランスについて考えなければなりません。

*対角線療法――ある場所に症状があると、それとは対角線の位置に操法するという方法。例えば、右脚の外側・ふくらはぎに症状があれば、左腕の前腕に操法することになる。

 

1021 癌細胞に感謝する

1021号  2018年3月10日
▼ 癌細胞に感謝する

イギリス在住のNさんから次のようなメールをいただきました。お許しをいただいて引用します。読みやすくするため、改行などは原文と少し違っています。

癌細胞に語りかけることを続けて癌が消えたという報告です。どんな病気にも関わることだと思います。病気は、自分の生き方の誤りを教えてくれるもの、無闇に嫌うのでなく、病気に感謝してみようというご提案でもあります。

──日本で鍼灸あんま師の資格を取った後、イギリス人と結婚し英国に住んで18年。3人の子供の子育てもほぼ終わり、これからはやっと自由に自分のやりたい事ができる人生の段階となりました。今は自宅でのんびりと知り合いにだけ指圧をしています。

私は、3年前の定期検診で小さな乳癌を発見され、即通常の癌治療コースを勧められました。ずっと健康を自負していたので晴天の霹靂。

でも瞑想により癌細胞は私の気付いていない間違った生き方を教えてくれるために出来たのだと分かり、全ての治療を拒否し感謝して毎日癌細胞に話しかけました。自分の体の他の硬い所や痛い所にも話しかけながら揉んでやりました。

いろんな気付きがあり段々と私のかたくなな考え方が溶けていき、同時に癌も消えて無くなりました。医者も首を傾げていました。

体の状態はまさにその人の生き様の歴史。私は指圧で人の体に触ることが大好きです….

その人の生き様を開けっ広げに触らせてもらう、というおこがましい立場にある事に恐縮しながらも。何かの縁で触れ合う事になったその方のエネルギー。どのエネルギーも、活き活きとあるべき方向に動き続けて欲しいです。私が詰まっているものを動かしてその動きを助けることができたら、それが何よりも嬉しいです。──

(以下略)