1020 頭骨の上下運動

第1020号  2018年3月8日
▼ 頭骨の上下運動

耳の後ろのグリグリと言えばよいか、ともかく、耳たぶの後ろ側に骨が出ているところがありますね。「乳様突起」と呼ぶ箇所です。これは側頭骨の下の端です。(⇒乳様突起の画像検索を)

ここの出っぱり方が人によって異なります。ずいぶん飛び出していると感じられる人と、奥まっていて触れないなと感じられる人とがあるはずです。もちろん中間の人もいて、人さまざまでしょうが。

自分の骨を触るだけでは、よく分からないという人は、他人のを触らせてもらってください。

とは言え、頭の骨はどの骨と言えども、そっと触ること、強く押したりすると、おかしくなって頭痛を起こしたりしますから、厳重な注意が必要です。

先日も、他所の整体で頭に強い力を加えられて、頭の形が変わり、顔の表情もおかしくなってしまった人がいました。お気の毒といって済ませるわけにいきません。施術家の皆さん、どうか強い力を頭部にかけるような野蛮なことはやめていただきたいと思います。

この乳様突起が出たり入ったりという運動をしている(側頭骨が上下している)ことは、簡単な操法で解りますが、今回はそのことではなく、実際にこの動きを私が体験した話です。

昨年の秋ごろから、私は禅宗の寺で行われている坐禅会に参加しています。その会に参加している人から、奈良市の西に連なる生駒連山にある山荘で坐禅会しているので、参加しませんか、というお誘いを受けたと思ってください。

山荘で坐禅というのが気に入って、二つ返事でこの誘いに乗った次第です。バブルの頃にこの辺り、生駒山の中腹に別荘を建てるのがブームになって、たくさん建てられた山荘の一つを借り受けて、そこで坐禅をやっているという。

参加して坐禅を組んでいると、二つの大きな身体の変化に気づきました。一つは、寒いところで靴下を脱いで坐っているのですが、足に汗をかいてくること。普通は、足が冷えてくるところですが、それが熱をもって汗ばんでいます。

もう一つは、座禅から帰って翌朝、起きた時に自分の頭を触ってみて、驚いた。頭の恰好がまったく違っていて、頭頂部のとんがりが消え、乳様突起が上がってへっこんでいます。

この山荘にいると、山林の中に建っているので、植物のエネルギーをたっぷり受けるのでしょう。それでこんな不思議な変化を起こしたに違いない、と考えました。

乳様突起が引っ込んだのは、側頭骨が上がったことを表していると、考えられます。

頭頂部のとんがりが消えたのは、頭頂部は変化せず、側頭部だけが上がったことを表しているでしょう。この頭頂部のとんがりは、鬼のツノにあたるもので、交感神経の緊張を表しています。簡単にいえば、あたまにツノが生えているわけです。

という次第で、全体としては頭頂骨を除いて頭が上に上がったと捉えて間違いあるまい、と思います。

だいぶ以前の話ですが、体の全体がすべて下がってしまったと訴えて来た女性がいました。全部が下がっている、と言われても。一部が下がっているというのなら、話しが解りますが、ある整体に行ったところが頭を触られて、体全体が下がってしまったというのです。

これは恐らく交感神経の緊張が高まったことを表しているでしょう。ツノが生えるのは、頭頂部が持ち上がり、側頭骨が下がったことを表しています。

なぜこんな現象が起きるのか。私の推測です。よく引き合いに出すルドルフ・シュタイナー(1861-1925)の言い方を借りると、地球の上にいる人間には、地球の中心から引っ張られる引力も受けているけれど、同時に惑星や恒星や、月、星座からも引っ張られている。一言でいえば、天体からの力を受けている、とシュタイナーはそのように表現しています。

すると、天体からの力が優位になっている時は、側頭骨が上がる。逆に地球からの力が優位にたつと、側頭骨が下がる。つまりそのような人間に働く力の違いがあるに違いありません。そして、側頭骨が下がっている人が多いということは、天体からの力を受けることが少なく、地球の力を受けすぎているということではないか。

そんなことを夢想してみたわけです。事実かどうかは分かりません。でも私自身の頭の変化をみると、そうとしか思えない。

昨日こられた女性も、乳様突起が下がっていたので、私はそのようなことを考えてしまいました。彼女は緊張すると、いろいろ具合が悪くなるらしい。そこで、あなたは天体から遠ざかっているのではないか、と申し上げました。すると、その女性は、納得するところがあったらしく、アッと声を上げられた。

というような次第で、夢ものがたりのような話ですが、案外こういうことがあるのではないか、と感じさせられたわけです。

さて、われわれ多くの都会生活者は、天体から遠ざかっているのではないか。というより、天体のことを思い出すのは夕方西の空をみる時だけかもしれません。皆さん方は天体と人体のつながりについて何かを感じられることがおありかどうか?

1019 第2関節操法

第1019号  2018年2月26日
▼ 第2関節操法

大抵の人の足の第2関節(PIP関節)は硬くなっています。これが柔らかいのは赤ちゃんだけではないかと思うほど。

第2関節が硬くなると、ハンマー・トウであったり、浮き指であったり、と趾の変形に繋がってきます。

これは恐らく、靴が合わない・靴の履き方が悪い・スリッパ状のものを履いている、などの原因によるものでしょう。

今日は、靴の履き方の話ではなく、硬くなっている第2関節をどうすればいいか、という話。

といっても第2関節のところをじっとつまんでいるだけです。

(そういう姿勢が苦しくてできない人には、また別の問題がありますが、それは別の機会に)

これを続けると、やがて第2関節が柔らかくなってくる。そうすると、体のあちこちが楽になってくる。

手の指では、共鳴法の対応関係で考えると、第2関節は、膝・肘・胸椎1番または頸椎7番、と対応しますから、もちろん、そういうところも柔らかくなってきます。

しかし、それよりもここの関節が柔らかになることで、体の捻れがとれていきます。そういう点からすれば手の第2関節も重要ですが、それに関しては、すでに触れています。

ここのところ私の課題としているところは、体の捻れはどうすれば解決するか、という点です。体の捻れに最も関係しているのは、足ではないか、というのが結論です。

あなたが仰臥した時、両足の角度が揃っていますか。左右で角度が大きく違っている人は、捻れがきついと思われます。だからゴルフのようなスポーツには問題があります。

普段、人の体に触れている方なら、足が捻れに関わっているという話に同感されることでしょう。今回は、短い文章で終わりますが、内容の重要性は格別です。

1017 蝶形骨のゆがみ

第1017号  2018年2月10日
▼ 蝶形骨のゆがみ

「ゆがみ」って、どういうことですか、というご質問を時々いただきます。具体的に説明してみたいと思います。

Yさんという女性。年齢不詳(ということにしておきます)。症状は色々あったのですが、特に注目に値するのは、目の周りが痛いという珍しい症状です。

初めにお断りしておかなければならないのは、人の体に絶対的な座標などないことです。高校数学の空間座標なら、X軸・Y軸・Z軸という座標があって、そこからの変位を「ゆがみ」ということができますが、そんなものは人体にはありません。

あえて座標を設定するなら、正中線が基準になるかと思われますが、人体は精密に言えば左右対称ではありませんから、おおよその基準として、左右対称を基準にするしかありません。前後については、個人差が大きく、相対的に考えるしかないでしょう。

さて、目の周りが痛いという症状。目の周りには、多くのツボがあって、そのポイントは誰でも若干の痛みがあるでしょう。ですが、そういうツボが痛いというのではなく、非対称にある痛みでした。

右の眉の上が痛い、左のこめかみが痛い、このこめかみで気づいたのです。こめかみに痛みがあると、たいてい舟状骨(*1)がゆがんでいます。つまり舟状骨が通常より盛り上がっている。

「ゆがみ」とは何か、と難しいことを言わなくても、ゆがんでいると、そこに痛みが出るわけです。この舟状骨にかぎらず、どこかに痛み(圧痛)があると、そこいらの骨にゆがみがある。

例えば、手の指が痛いという人をよく見掛けますが、そういう人は、手の指の関節がゆがんでいることが多い。関節のあるべき位置に骨がきっちり嵌っていない。こういうのが典型的なゆがみと言っていいでしょう。

ですから、目の周りが痛いという症状があるなら、その辺りに何かのゆがみがあることになります。目頭の上あたりですと、鼻の上にある篩骨(*注2)という骨がゆがんでいる場合がありますが、Yさんの場合は篩骨に痛みはなく、どこか別のところのようです。

そこで舟状骨を触ってみると、「痛い」という。すれば、舟状骨と密接な関係にある蝶形骨(*注3)がゆがんでいるのだろう、と思ってこめかみを触ってみると、盛り上がり感があり、しかも押えると違和感があるという。

そこで、舟状骨を正常な位置(*注4)に戻してやると、こめかみの違和感が消え、もりあがりもなくなりました。

それだけではなく、目の周りの痛みも消失したというわけです。

ところで、まだおまけがあります。この女性Yさんには、他にも違和感のある場所があった。それは左足の第3趾の中足骨(*注5)です。ここに違和感があれば、顎関節症が疑われます。「顎はおかしくないですか」と尋ねてみると、「おかしいです」という返事。

ということは、第3趾→舟状骨→蝶形骨というつながりがあったと考えられます。言い換えると、ここの線上に歪みの連鎖があったわけです。こういう線を無視すると、改善できないゆがみが残るということになります。

この線状の連鎖は経絡とは異なりますし、筋膜トレインなどというものとも違います。こういう線が身体のあちこちに巡っているのではないか。そういうものに注目していたのは、ひょっとするとチベット医学ではないかと今は思っています。

*注1 舟状骨 ここでは足の付け根あたりにある横長の骨。間違って「せんじょうこつ」と読む人があるが、「舟」は「せん」ではなく、「しゅう」がただしい。手にも同名の骨があるので、区別する時は、「足の舟状骨」、「手の舟状骨」といわなければ、混乱する。

*注2 篩骨 鼻の付け根あたりに存在する複雑な形状の骨。詳しくは画像検索をかけて、調べてみてほしい。

*注3 蝶形骨 左右のこめかみを貫いて、目の奥に存在している。これも複雑な形状なので、詳しくは画像検索で。これがゆがむと、目の周りに痛みが出るばかりでなく、こめかみにも違和感が出る。脳とも関係の深い位置にあるため、全身への影響も無視できない。

*注4 舟状骨を正常に戻す これについては 『共鳴法教本』 に詳しく書いてあるので、そちらを参照。

*注5 中足骨 足の指の手前にある長い骨。ここは、足の捻れと関係し、複雑な捻れ方をするので、放置すると全身に影響がある。逆にいえば、ここで全身のゆがみを直すこともできるかもしれない。

1016 ぐっすり眠れるようになる方法

第1016号  2018年1月30日
▼ ぐっすり眠れるようになる方法

表題のような名前の本が出ています。試してみると、確かに眠れる。何人かに試してもらったところ、やはり効果があったようです。

白濱龍太郎
『だれでも簡単にぐっすり眠れるようになる方法』
(アスコム、2017年9月)

3ステップの体操をすることになっていますが、私がやってみて一番効果が上がると感じられたのは、次の体操。

本書ではシャワーによる説明になっていますが、冬のことですから、風呂につかってやればいいと思います。両手の指を組んで、後頭部に当てる。親指が下。風呂に首までつかっていますから、湯が親指につきます。その状態で、首筋を上下に撫でる。約1分間。ごしごしとやらないこと。軽く。軽く。これだけでも効果があるはずです。

この後、2ステップ、3ステップの体操がありますが、これについては本書をお読みください。内緒でいいますが、立ち読みでも十分だと思います。

これまでこの種の本は、色々理屈を書いてあるけれど、さっぱり眠れるようにならないという特徴がありました。睡眠薬のお世話になっているという人をたびたび見掛けます。この体操でぜひ薬を飲まずに眠れるようになってください。

1013 老化とは乾燥である

第1013号  2018年1月22日
▼ 老化とは乾燥である

以前から、ヘバーデン結節と乾燥の関連について、繰り返し指摘してきました。つまり体が乾燥してくると、体の末端である手足の指先が水不足に陥り、第1関節が乾燥して、異常を起こす可能性があるということですが、これに関連して。

ユージェル・アイデミール
『なぜ《塩と水》だけであらゆる病気が癒え、若返るのか!?』
(ヒカルランド、2017)

この本の内容に関しては、根拠の明確でない疑問点もあり、必ずしも推薦図書というわけではありません。慌てて買わず、書店の店頭でじっくり中味を確認してください。

ただ色々と、「なるほど」と納得できる部分があります。

──人の体は20歳を超えると、水分を失って行きます。これが「老化」と呼ばれる現象ですが、理由はまだ分かっていません。(52ページ)

──カフェインは脳に直接届いて依存を起こすとともに腎臓にも影響を及ぼしながら、体の尿生成を活発化させます。コーヒーを飲むとトイレに行きたくなる経験をされたことがあるでしょう。こうしてカフェインをたくさん含んでいる飲料を飲めば飲むほど体はそれから何も得ることなく、水分をそのまま外へと出してしまうのです。(61ページ)

第1関節のヘバーデン結節を起こしている人にコーヒー好きの人が多いのも、頷けるわけです。

ここで注目したいのは、メルマガの [第996号] で取り上げた第2関節の「ブシャール結節」 です。第2関節の故障となると、多数見られるのはリューマチですが、リューマチの場合はX線写真で関節の破壊が確認されるようです。「ブシャール結節」の場合は、そのような破壊にまでは至っていないそうです。

ブシャール結節ではないか、と思われる第2関節の故障をよく見掛けます。手指の第2関節が硬く盛り上がっているもので、突き指を起こしているのか、と思っていましたが、突き指ではなく、ヘバーデン結節と同じように水分不足を起こして故障している可能性があります。

手指の第2関節を触ってみると、硬く盛り上がっている場合がある。これをつまんで、じっと愉気していると、次第に弛んで盛り上がりが小さくなってきます。それだけで、結節が消失したと言いたいわけではありません。関節の周辺の組織が硬化していて、それが愉気によって弛んでくるのだと思われます。そうすると、腕や肩が弛んできます。

しかし、乾燥が関わっているのだとすると、愉気だけでよくなる道理はない。本人が水分をよく摂取するように気をつけなければ、本当の改善は望めないでしょう。コーヒーも止めないとね。

体の乾燥が色々な症状と関わっているのは、わかりやすい話ですし、老化と乾燥が関わっているというのもわかりやすい理屈でしょう。

特に今のような冬場は、乾燥がきつくなるので、よく水を飲めという説が昔から行われています。

しかし一方で、漢方の方面からは、水が体中にだぶついてくると、水毒を起こすという主張もあり、むやみに水を摂取すればよいというものでもないらしい。

どの程度が適当な摂取量なのか、難しいところですが、一つの目安として、手指の関節が硬くなってくれば、水分が不足していると考えるのは、わかりやすい指標かもしれません。

1010 瑞祥芳楽

第1010号  2018年1月1日
▼ 瑞祥芳楽

これまで毎年、新年号には、ことしはどんな年になるかと占いによる予想を載せてきました。しかし今年は、何か大きな転換があるように感じます。

昨年70歳の古希を迎えて、これから静かな晩年かと思いきや、何の何の、私個人はますます変化の激しさを実感することになっています。

変化の速度が非常に速くなっているという意見が世上にあるようですが、まさにその通りと感じている次第です。

そこで、今年は【フリーハンドの年】と呼んでおきたいと思っています。

フリーハンドとは何か。未来を予想して、それに備えるのではなく、どんなことが起きても対応できるようにフリーハンドが一番ではないか、と考えるわけです。古い言い方をすれば、無手勝流です。

皆さんにとっても「フリーハンド」かどうかは、分かりません。それは個人個人の判断でしょう。

非常に変化が速いとすれば、準備をしても役に立たない。私の身に起きていることから判断して、変化が凄まじい速さになっていると感じられます。しかし、変化が速いというのは、悪い変化だとは限りません。良いか悪いか判断している暇もないほど速い。

「変化が速い」ということを日本語で検索しても碌な記事は出てきませんが、英文で検索してみると、電子技術などの技術が急速に進んでいる、というような記事が出てきます。それは事実であるとしても、もちろん、そういうことを言いたいわけではありません。

私の場合をお話しますと、からだの中の気感が急速に変化しています。毎日変わるという様子です。それに関わっているのは、座禅に通っていることだろうと思います。

「座禅」というものを心の課題とばかり思っておりましたが、やってみると、そうではないと分かりました。体に大きな変化を生み出す驚くべき「技術」であると分かりました。

今は、こんなことを毎日考えながら、日々を過ごしております。私にとって、楽しみな年になりそうです。どうぞ、皆様方にとっても楽しみな年になりますよう、お祈りいたしております。

皆様へ、丈夫になる新年のプレゼントを。野口晴哉の 『愉気法2』(全生社、2006)の中に、「脊椎行気法」の記事があります。一度お試しを。その場で、道具なしに出来ます。

──「ともかく体が弛んだら、背骨で呼吸するつもりで背骨に注意を集めて、徐々に背骨から腰に息を吸う。吸ったことだけ意識して、吐く方は注意しない。五又は十回行う。多すぎると首や肩が凝ったり、腰が硬くなったりするから、二、三回背骨へ息が通ったらやめる。背骨に息が通ると発汗する。疲れはすぐに抜けてしまう。

やってみられると、なるほど、と納得されるのではないでしょうか。

1009 『気功』

第1009号  2017年12月26日
▼ 『気功』

最近、近鉄奈良駅前の古書店・F堂で、優れた本を見つけました。

廖赤虹(りょうせきこう)・廖赤陽(りょうせきよう)
『気功 ── その思想と実践』
(春秋社、1998)

昔話になりますが、若い頃、一時「気功」に凝っていた時期がありました。例によって独学で、気功の独学というのは危険性を伴うと思いますが、ともかく色々と試していました。

その頃、『気功の何々』 とか、『何々気功法』 などと銘打った本をずいぶん買い込んで読みましたが、どれを読んでも不満感がつきまといました。

どの本も、気功のやり方が色々書いてあるのですけれど、何をすることが気功なのか、という肝心の一点について何も書いていないということに不満だったわけです。

要するに「気功」とは何かを詳しく教えてくれるような本がなかったということです。ということは、書いている人も気功とは何かを十分理解していないのではないか、と思われました。

その後、私は操法に転じまして、「気功」のことは放置していた。というか、脇に置いていました。

そうやって私が気功から離れている時期に、上記の本が出ていたわけです。

その表紙をみた記憶はあるものの、中国の人の著作だということもあって、また例のとおりの気功本の一つだろうと手にとってみることもなかった。

ところが例によってF堂で、この本が売られているのを見つけ、中味をぱらぱらと読んでみて、驚いた。

これは自分がいまやろうとしていることと結びつきの深い本だと気づいたわけです。

昨年出版した 『ねじれとゆがみ』 の「あとがき」にも書いたように、何冊かの本が、私の人生の大きな転機となったごとく、この本も大切な本の一冊になりそうだという予感がしました。

話は少しそれますが、私が本を選ぶ時の方法をお話しておきましょう。

まず表紙・裏表紙をよくみる。これは誰でもやられていることでしょう。装丁や帯の文章などをよく見る。

帯は出版社が販売促進のためにつけるもので、いわば宣伝文句です。そこにどんなことが書かれているかで、売れ行きがずいぶん違ってくるでしょうから、どの出版社も力を入れるところでしょう。

古本の値段が帯のあるなしで違うというのも奇妙な商習慣ですけれど、それが現実というもの。

次に目次をずっと眺めてみます。自分の興味を唆る項目があれば、その項目を開いて読んでみます。1項目で納得が行かなければ、他の項目も開いて読んでみます。

それで大抵は、著者の力量が分かるものです。

帯の裏表紙のところに次のように書かれています。

── ・・・それぞれの本は大量の練習方法を紹介しているが、気功練習の行き着く先がどこあるのか、ほとんど示されていない。練習者はたくさんの入門方法を覚えたが、気功の門がどこにあるのかさえ分からないという状況である。・・・今度の本が、練習方法の紹介ではなく、方向性を示すものである理由は、まさにここにある。

気功の門を叩こうとした人なら、これを読んで膝を叩くに違いありません。「気功」という言葉を「操法」に置き換えても同じようなことが言えそうです。

というわけで、私はこの本を読んで大きな恩恵を受け取りました。それはこの本の一番おいしいところなので、ここでは紹介しませんが、「気」ということに関心のある人は、手にとって見られることをお勧めします。

1008 バスタオル枕

第1008号  2017年12月15日
▼ バスタオル枕

どんな枕がいいかと迷っている人が多いように見受けられます。デパートや寝具専門店で枕を探すと、高値がついていて買うのを躊躇する人が多いかもしれません。私もその一人でした。

私自身はこれまで枕をしないのがいいと考えて、それを実践してきましたけれど、枕で困っている人を見るにつけ、そうも言っておれなくなってきました。

どんな枕がいいか、これが決定版という提案はありませんが、私自身が試してみて、これなら「まずまず」というものをご紹介しようと思います。

ただし、これは万人向きの枕というわけではないので、お間違えのないように願います。仰向け寝がよいという人向きです。

ちかごろ、「最高の枕」などと宣伝するものを何種か、見掛けました。それらに共通するのは何か。中心部が凹んでいることです。

つまり、中心部では仰向けに寝る。両側の盛り上がり部分では、横向けに寝る、という機能分化が考えられています。

これを試してみようと考えたわけです。といっても、高い材料を使って高いお金がかかるものは避けたい。収入の格差が議論される時代ですから、誰でも使えるものにしたい。

そこで、次のようにしてみました。

バスタオルを1枚用意してください。材料はこれだけです。

まずバスタオルを縦に(縦方向の中心線に沿って)二つ折りにします。細長い帯状のものになりますね。

次に、その両端を中心部に向かってクルクルと巻いて行く。中心部は巻かないでそのままにしておきます。

これを裏返しにすると、両側の渦巻き状の部分と、中央の帯で繋がった部分から成る左右対称の形になります。これを裏返すと出来上がりです。

この中心部分に自分の頭を載せると枕になります。タオルそのものですから、汚れればすぐに洗濯できます。こんな便利な枕は他にありません。

ただし、これは仰向け寝の人専用ですから、横向きでないと寝れないという人には向きません。

寝返りが打てないわけではありませんが、仰向けが主になるのは間違いないので、寝返りを打たないと身体に悪いと信じている人は使わないように。

私は横向けで寝るのが苦手で、横向けになると、何だか苦しくてたまりません。ですから、この枕がぴったりというわけ。これは何々の体癖だという詮索は好きな人に任せておきます。

横向けになると、夜中に腕や肩が痛くて、という人にも使っていただけるはずです。

枕はある程度の高さがないと物足りない、という人は、大判のバスタオルを使うなり、4ツ折から始めるなり、3ツ折りから始めるなり、自分に合ったものを工夫してください。

何しろ、バスタオルを折り曲げただけのものですから、どんな形にでもできます。お好みに合わせて、あなたの枕を作ってみてください。

枕で困っている人が多いので、考えてみた次第です。別にこれが枕の決定版と主張するつもりはありませんので、念のため。

試してみられた方は、この枕は良かった、とか、この枕はアカンとか、何か感想をいただけると幸いです。

1006 踵は最大の着眼点

第1006号  2017年12月5日
▼ 踵は最大の着眼点

よくどこを観察すればいいのかが分からないという声を実習生の方々から聞きます。皆さんが分からなくて悩んでいるのは、その点なのですね。先日も「鎖骨」という着眼点を取り上げました。今回は踵(かかと)を取り上げます。

「かかと」というポイントは、おそらく人体の中でも最重要のポイントの一つです。なぜそんなところが、と首をかしげる人もいらっしゃるでしょうか。

考えてみてください。踵に全身の体重がかかります。いわば人間の土台。

特に踵に左右差があると、両脚の長さが違っていなくても、まっすぐに立てず、どちらかに重心が偏るために、色々な問題が発生します。

「かかと」を見て、どうすればいいのか、というお尋ねでしょうか。踵の後ろを見るんです。見るというより、触ってみるのがいいかもしれません。

踵に問題が潜んでいる人は、どこがどうなっているかといえば、踵の上にある距骨が後ろに出ています。後ろに出るという意味がわかりにくければ、踵骨が前にずれて、逆に距骨が後ろにずれている、といえばわかりやすいでしょう。

アキレス腱の前に距骨がありますから、距骨に後ろから触れようとすると、アキレス腱の横から距骨を触ってみればよいでしょう。その辺りに圧痛があれば、距骨が後ろに出ていることが分かります。

この辺りに圧痛があれば、距骨が後ろに出ている、逆にいえば踵骨が前にすべっている。こういう状態になっていれば、重心が後ろに寄ってしまっているわけです。

そのため、靴に踵(ヒール)をつけざるを得なくなる。男性の靴でもヒールがあるのは、そのためでしょう。

というわけで、何かよく原因の分からない症状がある場合、踵に問題があると考えてみると問題が解決する可能性があるというわけです。例えば坐骨神経痛もどき、正坐できない人、などがこれに相当するのではないか、と考えています。

その瞬間、あなたの取り組んでいる相手の人生が一変する可能性があると言っておきましょう。【かかとが変わると全身が変わる】といっても過言ではない。

距骨の位置を変えるには、踵に愉気する方法も考えられるでしょうし、距骨と踵骨を誇張法で処理するのも一方法です。ですが、こういう言い方では非常に分かりにくいかもしれません。難しく考えず、距骨を前へ押すのも一つの方法です。

踵が重要と書きましたが、正確に言えば足首にある「距骨」(*注)が重要ということです。ほんのわずか距骨がズレていると全身の不調を呼ぶということになります。靴の重要性も、これで納得していただけるでしょうか。

操法を受けに来られる方々をみていると、ほとんどの人が足首の調整を必要としています。履物がどれだけ身体に影響を与えているかを毎日、実感しています。

靴(履物)をけちったら医療費がかかるから、履物にお金をかけるのが得ということです。変な健康サプリや健康グッズにお金を掛けるらいなら、履物にお金をかけよう。

それとともに、かかりつけのいい靴屋さんを探そう。病院ショッピングをする前に、靴屋ショッピングを。

*注 「距骨」──スネの骨(脛骨)の下、踵の骨(踵骨)の上にある独立した小さい骨。これの位置のわずかの変位で、人は体のバラスをとっている。もちろん、バランスに関係した骨は他にもあって、距骨だけではないが。

1005 動悸に新ムドラー

第1005号  2017年11月30日
▼ 動悸に新ムドラー

以前、[971号](17年5月14日発行)に「不整脈(注*1)に井形ムドラー(注*2)」という記事を書きました。

それはそれでいいのですけれど、形が複雑で理解しがたい難点がありました。そこで、その改訂版を。

動悸・不整脈といっても、どれにもこれにも効くというわけには、もちろん参りませんが、少なくとも「期外収縮」という種類にはよく効くようです。

ところが、この「期外収縮」という種類の不整脈は、病院では相手にしてもらえない。「これは治療の対象外です」などと冷たくスルーされてしまうのです。

私自身も、これが気になって病院に行ってみたことがありましたが、誰でもこの種のものは、出ていますよ、という説明でいなされてしまいました。

普通に脈を打っている時に、突然トーンと強い脈が混じったり、トトーンと脈が跳んだりするのが「期外収縮」です。

言われるように別段心配のないものなのかもしれませんが、本人にとっては気持ちの悪いこと夥しい。何とかならないかと思うのが自然です。

ましてトトーン、トトーン・・・と連続して出たりすると、自分の心臓はどうなっているのかと心配になってくるのは自然のなりゆきでしょう。

ところが現代医学では解決策がない、となると、自分で対応策を考案するしかない。「動悸がする」という人は多いですから、ぜひともカンタンな誰でもできる方法を提案したいと前から思っていました。

分かっていたことは、不整脈は胸椎4番(注*3)と関係があるという事実です。もちろんパートナー・家族に胸椎4番を整えてもらえばいいわけですが、これがカンタンではありません。胸椎4番を具体的にどうするのか、一から順に説明しなければなりませんから。

そこで、どうするか。胸椎4番の代わりに、胸椎4番の対応点に愉気すればいいはずです。胸椎上部の対応箇所は、手の中指の基節骨(注*4)です。

中指を掌側にぐっと折り曲げて、その基節骨のところを親指で押える。したがって、人差し指は上に突き上げるような形になります。この形のまま、不整脈が止まってくるまで続ければいいわけです。

結論は、これだけ。カンタンですから、ときどき動悸がするという人は、お試しください。特に寝ている時に動悸がするなどという人にはお薦めです。

注*1 不整脈──脈が正確に規則正しくリズミカルに打たず、リズムが乱れたり、その波形が乱れたり、速くなったり遅くなったりするものをいう。

注*2 ムドラー ──手で結ぶ印のこと。インド等で、手の印を健康法とする考え方がある。

注*3 胸椎4番──背骨を上から順に、くびの頚椎、むねの胸椎、こしの腰椎などと呼ぶ。胸椎は、首の下後ろから始まり、肋骨の下の端あたりまで。上から順に1番・2番と番号をふる。12番まで。

注*4 基節骨──指の骨には、指先から順に、末節骨・中節骨・基節骨となづける。基節骨は、したがって指の付け根の骨という意味。ここでいう場合は、中指の基節骨。

1004 逃げる痛みと失敗の過程

第1004号  2017年11月21日
▼ 逃げる痛みと失敗の過程

からだほぐし教室では、その日の参加者にどこか問題をかかえている人がいれば、解説付きで操法をして、参加者の方々の勉強の材料としています。

先日の教室では、尻から脚に掛けて、痛みが出ているという方がいた。で、その問題を解決すべく色々やってみたのですが、痛みが最初の場所から別の場所に次々と移って行きます。

こういう場合、どうすればいいのか。原則を言うと、【痛みが次々移って行くのは、原因が痛みの場所にないから】です。痛みの原因が次々移って行くと考えるのは無理がありますね。

だから、こういう時は筋肉の緊張を探したりしても、なんともならない。それより、どこかに関節の異常とか、怪我の痕跡とか、そういったものが残っているのではないか、と考えるとよいと思います。

と、今だから言えるのですけれど、やっている最中は一生懸命ですから、心が一つの視点にとらわれていて、中々他の視点に移動するのが難しい、というのが本当のところ。

色々やってみて、ダメだったので、私は次第に「これではダメだな」と気づき始めたわけです。早く言えば失敗に気づいた。

芸事やスポーツなど上達を必要とする場面では、失敗を考えることが大切です。なぜ失敗するのかが分かれば、どうすればうまく行くのか、も分かって来る。別の言い方をすると、【失敗は決して単なる失敗ではなく、上達の一過程】だと考えれば失敗を悔やむことはありません。

さらに、短く言えば【失敗しなければ上達しない】とも言える。

こうして失敗を続けているうちに、【末端に注目】という原則が思い出されました。

この場合は、右脚の外側が主に痛みが出る場所でしたから、足をみて、「小指か」。誰に言うわけでもなく呟いた。すると、相手のOさんは「足の小指は以前骨折したことがあります」と言われる。

なぜ「小指」だと思ったのかといいますと、拇指がやや外反母趾の気味になっているのに対し、小指には見たところ異常がない(*1)ことと、右外側に色々症状が出ていることからでした。

そこで、小指を触ってみますと、先端が硬くなっている。これだな、と思って硬くなっているところに愉気(*2)をします。

これでよくなるという保証があるわけではないけれど、やってみる価値はある。今度は失敗したとしても、別段、どこかが悪くなるわけではないので、これはやってみたい。見学している人たちに失敗の現場を見てもらうのも、勉強のうちですから。

世の中には、「失敗はかっこうが悪い」という価値観を持っている人が多い。しかし、それでは上達の過程に気づくことができません。

さて、小指が緩んだおかげで、すべての痛みが消えたらしい。小指の骨折痕が、上部のあちこちを引っ張っていたわけです。失敗を重ねたおかげで、【末端に注目】という原則が再確認できたことになります。

私の操法では、このような小さな失敗、いわば「ミクロ失敗」を重ねています。時にすらすらと進んでしまう場合もあるにはあるけれど、そういう時は学ぶことが少なく、つまらない。(申し訳ない言い方で、すみません)

要するに【小さな失敗を繰り返すことが、大きな失敗を防いでいる】わけです。これが「対立(物)の統一」などと論理学で呼ばれる実例ですが、これについては、いずれ別の機会に。

いつもお客様から多くのことを学ばせて貰(もら)っています。ありがとうございます。

注*1 小指には見たところ異常がない──親指が外反拇指になっていると、小指も「内反小趾」になっていることが多いから。

注*2 愉気──「ゆき」。おなじみの言葉ですが、ご存知ない方もいらっしゃるかもしれないので、説明しておきます。見掛けでいいますと、相手の体の部分に手を当ててじっとしていること。ですが、こういう見掛けの様子(現象)だけでは意味がない。手を当てて、操者のからだのエネルギー(気)を相手の身体の一部に送り込むことと言ったらよいか、相手の注意をその部分に集めることと言えばいいか。

1002 よい整体処を選ぶ基準

第1002号 2017年11月17日
▼ よい整体処を選ぶ基準

遠方のお客様から、よくいただくお尋ねは、よい整体を選ぶ基準は何でしょうか? というご質問です。

これは当然出てくる疑問で、奈良のような遠くまでたびたび通うわけには行かないというご事情は、理解できるものです。

だから、このメルマガでも、このご質問にお答えしておきたいと前々から思ってはいるのですけれど、なかなか書きにくいことであるのも事実。

それはそうでしょう。私の立場からすれば、私のところへ来てもらうのが一番ですよ、と言いたいところだけれど、そうすると私の自慢話になってしまいますからね。

普段から、自慢話をネットに書いているところは避けること、と講座などでもお話していますので、自分自身が自慢話をしてしまったら元も子もない。

でも、私自身の話は棚に上げて、客観的な判断基準みたいなものがないこともない、と思います。「自慢話が多いところは避ける」というのは、一般論としてあると思いますね。

その人が操法に自信を持っていれば自慢をする必要がないのは当然ですから。自慢などしなくても、自然に人が集まる。仰々しい自慢話など要らないはずです。

ところが、色んな整体に行った人から聞いた話では、操法をしながら自慢話をするような人も結構いるらしい。それも有名な人で、そういう人がいるという話を時々耳にします。整体ではありませんが、某クリニックにも自慢話の好きな先生がいました。

まず、そういうところは避けるに越したことはない。同じ理由で、大げさなことをいう人も避けるに越したことはない。ゼッタイ治しますなどというのは、根拠も何もなく言っていることですから。人は一人ひとり皆違っていますから、ゼッタイなどということはありえません。

どういう整体処がいいのか、と訊かれて、どう答えるか。もちろん HP や SNS や著書をよく読んで、その人の真摯な人格が感じられるところがよい、というのは当然の話です。

ところが HP を真剣に読んで行ってみたけれど、逆に悪くなって困りはて、やってくる人が後を絶たないというのが実情です。そこでネガティブ情報を書いておきたいと思います。どういうところは避ける、という情報です。

以下、いわゆる私の「独断と偏見」によるものですから、ご意見などをいただいてもお返事はいたしかねます。朱鯨亭の亭主は、こういうことを考えているのか、と軽く受け取ってくださると助かります。

■ 強い力をかけるところは避ける。

■ きちんと記録をとらないところは避ける。

■ 次回の予約を強要するところは避ける。

■ 専門用語をやたら振り回すところは避ける。

■ 法外に高い金額を請求するところは避ける。

また、これ以外にも色々あるのじゃないか、というご意見もあるかもしれません。上の項目についても、本当は色々コメント(説明)を付け加えたい気もしますが、そうすると以外に長いものになってしまいそうなので、これだけにします。

最近、お困りの方が多いので、上記以外の実例について、こういう例があったが、どう考えたらいいか、というようなお尋ねがあれば、このメールに返信してお尋ねください。私の意見を申し上げます。

1001 首こりからの逃走

第1001号 2017年11月16日
▼ 首こりからの逃走

[第997号] で書いたように、首こり状態の人が大幅に増えています。

色々な要因があると想像できますが、何が原因でそうなっているかはともかく、それから逃走する簡単な方法を書いておかないと、苦しむ人が増えてくることでしょう。

大方の人がPCやタブレットなどに一日向かっているような異常状態の中では、今後も増え続けると考えて置かなければ、なりません。

あなたの首の右側が凝っていると仮定しましょう。

あなたの右手の中指を見てください。これはあなたの首の右側と対応しています。そこで、右手中指の第2関節の外側(薬指側)をさっと指先方向に撫でます。1センチほどの長さでOK。

さて、首を回してみてください。右をみると、いままであった、痛みや違和感が大幅に軽減しているはずです。

(首を回すというと、首を色んな方向にランダムに回す人が多いですが、そうではなく、痛みや違和感のある側へ水平に回す、あるいは反対側へ水平に回すという意味)です。

これなら、PC作業中に痛くなってきたような時にも、自分でさっと対応できるでしょう。もちろん、これは「根本療法」ではなく、「対症療法」に過ぎませんが、とりあえず、膏薬をはるようなことをするよりは、ずっとマシでしょう。

この程度では満足できないという向きは、朱鯨亭にお越しください。他にも色々な方法がありますので、お教えします。

1000 胸肋関節

第1000号 2017年11月5日
▼ 胸肋関節

本号は第1000号。我ながら呆(あき)れるほどのしつこさというか、よくもこれだけという感じです。第0号は、2006年1月でした。

そこで1000号記念に、今回は出血大サービス。この操法で助かる人がずいぶんいるはずです。

胸骨という骨は説明が必要でしょうか。胸の真ん中にある骨。両側に肋骨がくっついています。ここも骨のつなぎ目であるかぎり、やはり関節で、胸肋(きょうろく)関節と呼ばれます。

で、この関節に不具合のある人が、実は多いらしい。特に猫背傾向になっている人、四十肩の人、五十肩の人ではここんところに不具合を持っている人が多いように思われます。

もちろん六十肩とか、七十肩という人(そういう人がいるとして)も同じことです。先日は、私は八十肩だ、といばっていた人がいました。

肋骨は複数ありますから、胸肋関節は一つだけではありません。肋骨は詳しく見れば12本ありますので、胸肋関節も12あるのか、といえば、そうではなく、下の方の肋骨はまとめて癒合していますので、実際は6つ~7つほど。

区別する必要があれば、右1番の胸肋関節、左3番の胸肋関節、などと呼べばよろしい。あるいは右第1胸肋関節、左第3胸肋関節などと呼べばいいでしょう。

ちなみに、第1番は鎖骨のすぐ下にありますので、間違えないように。

で不具合があると、どのような症状が出るか。胸肋関節のところに圧痛が発生するわけです。ご自分で押さえてみれば分かります。

肋骨という骨は、鳥かごのように胸郭を取り巻いていますから、前にずれがあれば、当然うしろにもずれがあるはずで、背骨の胸椎にも異常があって、それが猫背を形成しています。

このような圧痛が出ている場合、どうすれば解消できるのか。カンタンです。

まず、あなたの掌(てのひら)をみてください。その真中、やや凹んでいるあたり。左手の掌心(てのひらの中央)に右手の人差し指の指先をおいて、中指の付け根に向けてサッとまっすぐに撫でてください。それだけです。1度でダメなら、何度か繰り返せばよろしい。

両手とも同様にやってください。うまく行けば胸肋関節の圧痛がすべて解消するはずです。なぜか。ここが胸骨の共鳴点だからです。

うまく行かなかった場合は、どうするか。別の方法がありますが、強くやると別の問題が出る場合がありますので、うまく行かない人は、朱鯨亭まで足をお運びください。

さて、五十肩で苦しんでいるあなた。今日から、これで少し楽になるはずです。完全に楽になるには、どうすればいいか、とお尋ねでしょうか。

五十肩という症状は全身症状ですから、一箇所を変化させれば解決するというほど単純ではありません。例えば足からも引っ張られています。もちろん腕からも。それを一つ一つ解決して行くことが必要です。

ただ一発解法もありそうです。そのアイデアは今あたためているところですので、いずれ2000号記念くらいで発表することにいたしましょうか。1000号まで12年かかっていますから、あと12年待っていただくことが必要かもしれません。

999 観察眼

第999号 2017年11月2日
▼ 観察眼

「観察眼」という言葉があります。例えば「動物学」「植物学」などに取り組む人なら、ファーブルやリンネのような優れた「観察眼」が持てないものか、と日頃から考えていることでしょう。

どうすれば優れた観察眼を持てるようになるのだろうか。操法についても、同じようなことが言われます。そこで今回は操者を目指して頑張っている方々を対象に書くことにします。

でも、ちょっと待った。本当に「観察眼」というようなものがあって、それを持つことさえできれば操法の腕が上がるのでしょうか。

落語の話なら「犬の眼」を入れてもらったら、たちまち視力が上がって、ものがよく見えるようになるのかもしれませんが、現実の世界ではそうも参りません。

「観察眼」て何なのでしょうか。

いうまでもありませんが、観察の上手と下手とで、見えているものが違うわけはない。同じものを見ているわけです。なのに何が違うのか。もちろん見る人によって視力が違うということはあるでしょうが、視力の差は、観察眼には無関係です。

同じものを、同じような視力で見ているにもかかわらず、結果が違うのは、なぜなのか。これが皆知りたいところです。

具体的に考えてみましょう。鎖骨という骨は目に止まりやすい骨です。触るのもたやすい。では鎖骨を観察するというのは、誰でも簡単にできるのか。

鎖骨というたった一本の骨であっても、目のつけどころが色々あります。

(1)鎖骨全体のかたち。(2)鎖骨と胸骨の関節である胸鎖関節のかたち。(3)同じく胸鎖関節を触った時の感触や圧痛。(4)胸鎖関節の左右の位置。(5)鎖骨と肩甲骨の関節である肩鎖関節のかたち。(6)肩鎖関節の左右の位置。(7)肩鎖関節の前後の位置。(8)鎖骨の前にある烏口突起に触れた時の圧痛。(9)肩峰の位置。(10)上腕骨の前、つまり肩関節の飛び出し具合。(11)鎖骨下の圧痛。(12)鎖骨の下にある胸骨の状態。
(ここの段落には、煩雑になるので[注]をつけないことにします。興味のある方は解剖図などでお調べください)

といったところでしょうか。こういうものをすべて一瞬で見るか、触って確認できている人がいるはずで、同じものを同じように見ていても、見え方がまるで違う。

一つ一つ触って確認していなくても、パッと見た時に、あ、この人の鎖骨はおかしい、と直感的に分かる。という人は、観察眼があるといえるでしょう。

何が違うのか、といえば、鎖骨だけでなく全身に目のつけどころが色々数多くある。それをほとんど一瞬で見分けていることが分かります。

いま「目のつけどころ」と書きましたが、「目」といったのは象徴的に言っただけで、「手のつけどころ」でもあるわけで、場合によって見るだけでなく、触ってみているわけです。そういう意味でいえば、「注目しどころ」といえばいいでしょうか。

こういう風に考えてみると、【全身に「注目しどころ」がいっぱいあって、それが関係づけられて、パッと見えることが大切なわけです。この「関係づけられて」というところが重要で】、細かく見ていても、それらがバラバラでは何の役にも立ちません。

「関係づけられて」といっても、観察する人が主観で関係づけているのではありません。細部の一つ一つの間に客観的な結びつきがあって、その関係をあらかじめ知っていなければ「関係づけ」ることは不可能です。

具体的にいえば、胸の真ん中にある胸鎖関節の状態が手の指と密接な関係にあることを了解していれば、指の動きが悪い人をみる場合に、すぐ胸鎖関節を見てみることになります。そういう関係があちこちにあって、それをあらかじめ了解していることが必要である、ということです。

ただ、このように書くと、研究者のような性格の人は、整体の操法というのは、大変だな、そんなこまかいことを一つ一つ覚えていなければ、できないのであれば、自分には無理だな、と考える人もいるかもしれません。

でも、そうではありません。現実の操者は、そういう細かいことを「からだで覚えている」。といえばいいでしょうか。それより表現の仕方がないので、何にせよ技に関係する分野では
「からだで覚える」ということがよく言われますね。

別の言い方では、「手が覚えている」というような言い方もしますね。そうです。「観察眼」というレベルに留まっていてはダメで、それでは一つ一つバラバラに分析して覚えていることになります。そうではなくて、「手が覚えている」レベルまで研鑽を積むことが必要だ、ということです。

997 首が凝る、あるいは首こり

第997号 2017年10月26日
▼ 首が凝る、あるいは首こり

ちかごろ「肩が凝る」といわず、「首が凝る」と表現する人が増えているように、私は感じています。

肩が凝るというより、首のきわが凝っていて、首を左右に回旋させようとしたり、首を横に傾けようとすると、突っ張るという症状を「首が凝る」と表現しているのでしょう。

これも肩こりの一種には違いないが、わざわざ首が凝ると表現するには、それなりの理由もありそうです。このことを少し考え、解決法を提示してみたいと思います。

原因の主なものは、やはりPCとスマホでしょう。私自身も少し首凝りの気味があって、PCの作業を続けていると、症状が強く出ます。

このような症状を福富章さんという方が「パソコン・スマホ症候群」と呼んでいます。

福富章 『指ではじくだけで肩の痛みが治る!』
自由国民社、2015年、1300円+税

この本は、筋肉の筋腹(太いところ)ではなく、腱(*注1)の重要性を強調している点で、参考になる内容を備えていますが、論点が十分に整理されておらず分かりにくい点があるのが残念。

この本の表現を使えば、「等尺性収縮」(*注2)が問題だということになります。

ここでは、この福富さんの方法ではない別の方法で、首こりを解決してみたい。

首こりの症状をかかえている人を観察してみると、左右の腕が硬くなって、頚椎7番(*注3)、胸椎1番あたりが左右どちらかに引っ張られていることが多い。このあたりの椎骨は、左右の腕からの張力のバランスの上に成り立っているからです。

左右両腕のバランスが崩れていると、このあたりの骨がどちらかにずれてしまうわけで、野口晴哉のような名人さえ、自分の背骨もこの辺りが崩れているとどこかに書いています。

たいていの人は、左右どちらかの腕を逆側より頻繁に使いますから、頻繁に使う方の腕が硬くなっているとしても不思議ではありません。

ということは、左右両腕のバランスを回復させたら、頚椎7番あたりのバランスが回復して、この辺りの違和感が消失するのではないか。そう考えると、解決策が見えてくるでしょう。

腕の張力(*注4)でおそらく一番強いのは、前腕部の二本の骨(橈骨と尺骨)(*注5)の開きのために生まれている張力です。ですから、この前腕の開きを締めさせたら、左右バランスが回復するのではないだろうか。

そこで、よく使う方の腕を前に突き出して、寝床体操の5番(*注6)をすればよいことになります。

事実、やってみますと、確かに楽になる。よく使う方だけでなく、反対側もやってみると、更に楽になりますね。

(*注1)腱 筋肉の両端は骨に付着しているが、そのため両端は細くなっている。この細くなった両端のやや硬い部分を「腱(けん)」と呼ぶ。

(*注2)等尺性緊張 関節を動かさず、筋肉の長さを変えずに筋肉の張力を高めるような収縮。マウスを持って同じ角度を保持している時のような筋肉の働き。

(*注3)頚椎7番 第7頚椎と呼んでもよい。7個ある頚椎(首の骨)の一番下の骨。このすぐ下に「大椎(だいつい)」というツボがある。その下の椎骨が胸椎1番。

(*注4)張力 人間の身体には、重力が働いている。腕には腕の重みが掛かっているし、
脚には脚の重みが掛かっている。従って、何か痛みなどがある時、その原因は、こうした下からの重みが一役かっているのではないか、と考えるのが筋道である。しかしこのようなことを指摘している人は少ないようである。人体の状態を観察する時の要点の一つは、この原則を考えること。

(*注5)橈骨と尺骨 ひじから手首までの前腕部には、橈骨(とうこつ)と尺骨(しゃっこつ)という二本の骨がある。この二本の骨は前腕部の作業が続くと、次第にその間隔を開いて行く。その結果、この部分が硬くなっている人が多い。これも張力の一つの原因となっている。

(*注6)寝床体操の5番 goo.gl/9N8Mgr にやり方の説明がある。

996 ブシャール結節

第996号 2017年10月24日
▼ ブシャール結節

昨日の「ヘバーデン結節」をネットで調べているうち、「ブシャール結節」というものもある、ということが分かりましたので、お知らせしておきます。

ブシャール結節は指の第二関節に発症するもので、第一関節に発症するヘバーデン結節と混同することはありません。

シャルル・ジャック・ブシャール Charles Jacques Bouchard (1837-1915) というフランスの病理学者が報告したので、この名前がついています。

しかし第二関節だと、リュウマチと間違えそうです。ブシャール結節とリュウマチとの違いについて、こちらに詳しい記事があります。
→ http://kansetutuu-sinkeituu.com/bouchard

要するに、第二関節周辺に「骨棘」(こつきょく、骨のとげ)ができているかどうか、が大きな差のようです。リュウマチの場合は、骨棘ではなく、レントゲンで関節そのものの破壊が観察される、ということになっています。

第二関節の異常は、非常によく見かけるものです。大抵の人が第二関節のところが大きく膨れていることが多いもので、それは突き指だろうと勝手に想像していたのですが、そうではなく、このブシャール結節なのかもしれません。

いずれにしても、これは私自身の今後の研究課題でもあります。おそらくこのブシャール結節であろうと思われる例を、先日見ています。触った時の感じはリュウマチとは違い、触っただけでも、慣れれば区別できるのではないかと思います。

指の使いすぎが関わっているように思われます。外国の文献をあたってみると、ヘバーデン結節と同じく趾(あしゆび)にも発症するようです。

私としては、リュウマチとの区別より、突き指との区別の方が気になるところです。足の第二関節が膨れている人など、珍しくもありませんから。

992 左右の複雑な釣合い

第992号 2017年10月3日
▼ 左右の複雑な釣合い

40歳代の女性Sさん。左脚の外側が張るといわれます。「坐骨神経痛」だと判断する人が多いのではないか。しかし、よく聞いてみると、痛いわけではなく、しびれるわけでもなく、「坐骨神経痛」とは少し様子が違います。

一緒に来られたご主人によれば、もう一か月以上も、同じようなことを毎日言っているのだそうです。

私は、張っているところを緩めるということをせず、全身の釣合をよく眺めたり、触ってみるようにしました。確かに左脚の全体が張っているのは間違いない。

でもそれだけではありません。右肩が上がっている。とすれば上半身の体重が左にかかってもおかしくない。だから体重が左に過重になっているだけなのだろうか、と思ったのですが、ふと背中を触ってみて驚いた。

右側の起立筋(*注1)がかんかんに張っています。サスペンダーが入っているような感じです。ということは何を意味するのだろうか。右肩が非常に硬くなって上がっているに違いない。事実、「怒り肩」といってもよいくらいです。

「右の肩が凝っていませんか」と聞くと、左脚が気になって、それはそんなに気にならないと言われる。

でも本人の感覚にかかわらず、これは右腕が硬くなっているに違いない、と判断しました。

つまり、左側は足から引っ張られ、右側は手から引っ張られる、という事態になっている。おそらく骨盤が境界線になっている。上下から八つ裂きにされかねない状態です。これはつらかろう。

そこで、右腕を緩めるのに、どうすればいいかを考えなければなりません。おそらく右手の指に問題がある。それだけでなく、右の肘(ひじ)も捻れている(*注2)だろう。

予想通り、右手の第二関節(*注3)がどれもこれもかなり硬くなっています。突き指を直す時の要領で、第二関節を順に緩めて行きました。

右の肘も予想どおりかなり捻れていました。指の第二関節の硬化と、肘の捻れとで、右腕の全体が硬くなって下に引っ張っている。肩の立場からすれば、腕に引っ張られぱなしでは堪りませんから、肩を怒らせて対抗していたわけでしょう。

そのために、背中の右側がサスペンダーのように硬く張っていました。すると、左脚も頑張ってつっぱらないと、全身の釣合が取れない。そのために左脚が張っているとSさんは夫に毎日訴えることになったわけでしょう。

左脚の具合が悪いと言って来られたのに、右腕をしきりに触っているというのは、おかしな具合ですが、実際これでよくなるはずだ、という確信がありましたので、右腕に操法を続けました。

右腕の硬さがかなり取れて来たところで、Sさんにどうですか、と尋ねてみると、大部らくになりました、とのことだったので、これで終わりにしました。

非常に珍しい例だと思いますが、事実は、このような状態の人が多いのではないか、と考えます。その人の身体は、全体がおかしくならないように、懸命にバランスをとろうとしているのですから。

だから、どこかが突っ張っているからといって、そこを無闇に緩めてはならない。またそんなことをしてみても、よくなる道理がないという教訓をいただきました。

やたらに突っ張っているところがあれば、その突っ張りは、どこと釣合をとっているのか、と考えて対応すると、うまく行くのではないでしょうか。

(*注1)起立筋→背骨の両側に縦にある太い筋肉。一本の筋肉ではなく、多裂筋・回旋筋などと呼ばれる多くの筋肉の集合体。

(*注2)肘が捻れている→大抵の場合、人は腕を内側に捻って使うので、内側へ捻れてくる。上腕骨と尺骨(前腕小指側の骨)の関係が捻れていると、肘に圧痛が出る。

(*注3)指の第二関節→指の関節は、指先から順に、第一関節、第二関節、第三関節と数える。専門語では、DIP関節、PIP関節、MP関節、と呼ばれる。突き指は第二関節に起こりやすい。また突き指にかぎらず、その他の故障も第二関節に多く、触ってみると、第二関節が硬く盛り上がっていることが多い。

(専門語や難解な箇所には注を付けてほしい、というご要望があったので、今回からつけることにしました)

990 踵の重要性と間接法

第990号 2017年9月23日
▼ 踵の重要性と間接法

膝痛で通って来られている70代の女性が、急に痛くなったのでみてほしい、と言って来られました。

さっそく来られたので、どこが痛いのか、と尋ねてみますと、膝の裏側が突っ張る感じがするというお答えでした。

通常、こういう症状であれば、まず疑うのは、脛骨の前方転位(前にズレている)です。ところが、どうもそうではないらしい。

膝裏(膕、ひかがみ)からふくらはぎの方向に引っ張られる感じだという。となれば、私は踵を疑います。「末端に原因あり」という原則どおりです。

距踵関節(かかととその上にある距骨のつなぎ目あたり)の後ろを押さえて見ると、痛みが出ると言われる。

こういう場合、踵骨の方に痛みが出るよりも、むしろ距骨側に痛みが出ます。ということは、距骨が後ろにズレていることになります。

しかし距骨という骨は、筋肉の繋がらないベアリングの役割を持っている骨なので、これが後ろにズレているとなると、重心が後ろに寄っていることを示していると考えられます。

この場合、どうやって修正したらよいか。色々方法は考えられます。いままでこういうことをしたことがないとして、の話しですが、もちろん。

操法の時に、これまでやったことのない方法を採用しなければならないという場面に遭遇することは珍しくありません。その時に即興で案出しなければならない。

「即興で案出」などというと、不安を覚える人がいるかもしれませんが、操法というものは、本質的にそういうものだと思っておかなければなりません。出来合いの方法があって、それを適用すれば問題が解決するというほど甘くはない。

むしろ、相手の身体の状況は無限に変化のあるものですから、対応も当然、無限のバリエーションがあって当然です。一言でいえば、「諸行無常」。

というより、正確に言えば「諸法無我」でしょうか。世界のどんなものにも実体がない。どんなものにも「実体がない」というのは、操法の上でも重要な原則の一つだと思います。

で、どんな方法を採用するのか。

直接法(微圧法)なら、踵骨を動かないように固定しておいて、距骨を少しずつ前に押す方法が考えられます。

間接法(操体法)なら、距骨を後ろに引っ張っておいて、そっと離す方法でしょうか。

同じく間接法(共鳴法)なら、小指の第1関節掌側のところから、少し爪先方向に擦る方法。

こういう場面でどれを選択するか、という時に、その操者のセンスが問われます。つまり直接法が好きな人、間接法が好きな人、という違いがあるように思います。

ここで、「直接法」というのは、いわば車体のへっこみを叩いて直すような方法です。これは発想法としては一番わかりやすいでしょうが、安易にすぎ、事故を起こしやすい。特に力を直接歪みの箇所にかけてゴリっとやる方法。

「間接法」とは、へっこみを叩いて直すのではなく、へっこんでいるところを裏から余計にへこませる方法にそっと押すと、身体が反発して次第に直ってくる方法です。

こちらは事故の可能性が低いだけでなく、身体の自然性に従っていますから戻りにくい。同じく間接法でも共鳴法なら、患部に触ることもありませんから、もっとも安全性が高い。いわばリモート・コントロールですから。

さて話がもとに戻りまして、この時は、この女性の踵を正常にするのに共鳴法を使って行いました。これはテキストにも載せていませんし、講座でも話していません。いわば、即興で案出した方法ですが、それが奏功したことになります。

このようにして距骨の位置が改善しますと、膝の裏側のつっぱりが消失しました。ひざ痛を
踵で直したということになります。こういう場合もあるという例として、取り上げてみました。こういう意味でも、このような操法は「間接法」になっています。

つまり「間接法」という名称は、患部を直接さわらない、という意味と、患部とは別の場所に根本原因を発見して離れた場所から攻める方法、という意味も持っています。もちろん、さきほど書いたように、反対側から少し歪ませると直るという意味も含まれています。

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989 不安について

第989号 2017年9月12日
▼ 不安について

多くの症状をかかえ、それを繰り返す人がいます。こういった人から、この前みていただいたら、悪化して痛くなってしまった、何とかしてほしい、というような電話をいただくことがあります。

こういう時は、休みの日でも、時間外で臨時に拝見することがあるのですが、それでよくなることもあり、あまり変化のないこともあります。(どういう場合に変化があるか、というのは重要な課題ですが、それについては、別の機会に取り上げたいと思っています)。

こういう人とやり取りをしていて、強く感じるのは、この人は不安を抱えているのではないか、ということです。

例えば、病院で診てもらったら「脊柱管狭窄症」といわれた。背骨が歪んでいるので、神経と触っているという。そのことが強い不安を生み出しているわけです。

背骨のこの辺りが悪いらしい、このちょっと出っ張っているところが、これ以上歪んで来たらどうしよう。もう立てなくなるのではないか、まともに歩けなくなるのではないか、という不安を感じることになります。

そのため、その辺りに少し痛みを感じると、ああ、もうだめだ、どうしよう、どうしよう、俺はこれで終わりになるのか、というような不安を感じる。すると、余計にそこが痛くなってくる。

そのことが潜在意識に忍び込んで、夜中に悪夢を見るかもしれません。こういうことは、迂闊に人に話せないので、自分ひとりの胸にしまいこんでしまう。すると、もういけません。余計に不安のエネルギーが増大して、同じようなことを繰り返してしまう。

そこで、私のところに電話をして、何とかしてくれないか、と言ってくることになります。ある場合には、朱鯨亭の予約をキャンセルして、別のところの予約をとり、整体ショッピングをする人もいるらしい。

こういう人が、実は多いのではないか、と想像するのです。

誰しも、自分が不安を抱えて、それで苦しんでいるなんて、他人にいいたくない。医者にも整体屋にも話さないということになりがちなのではないか。

すると、不安がいよいよ内向してしまいます。

「脊柱管狭窄症」だけではありません。ヘルニアや膝痛でも、内臓疾患でも、同じことがありうるのではないか。

一つの症状があると、それが気になってしようがない、大して強い症状があるわけではなくても、こりゃもうだめだ、と感じてしまう

こんな「症状神経症」的な人が多いのではないか、と感じられます。一に健康、二に健康、という世間の風潮も、このことに拍車をかけているのではないでしょうか。

ですから、医療や、癒やしに関わる者は、相手に不安を与えるような発言を決してすべきではない(これは私自身への戒めでもあります)。家族も同じです。ところが、病院で言われたことに不安を感じて、やってくる人が実に多い。困ったことです。

医術の古典として知られる古代ギリシャの医師ヒポクラテスの 『古い医術について』(岩波文庫)という有名な本がありますが、その中に流行病という項目があり、古代の流行病のレポートを読めます。これを読んでみると、最後「精神異常」を起こして亡くなったという記述が多いことに気づきます。

つまり病気というものは、最後は不安にさいなまれるという事態になりやすい。脊柱管狭窄症やヘルニアで死に至るわけではありませんが、不安な心は、そういうところに追い込まれてしまう。

そのことを、周りの人たちはもっと考えるべきだ、というのが私の感ずることです。逆に患っている人の立場に立って言えば、自分自身の不安感を克服することが、重要な課題だということになるでしょう。