ヒメユズリハ

第1100号 2019年7月1日
▼  ヒメユズリハ

「ユズリハ」は正月のお飾りに使うので、ご存じの方も多いでしょうが、ヒメユズリハと言われても、どんな植物なのか想像もつかない、という方が多いと思います。

確かに、どこにでも生えている木ではありませんが、画像検索をしてみられるとどんな木なのか、分かる方もいらっしゃるでしょう。海岸近くに生えていることが多いそうです。

東京のどこかに、ヒメユズリハが街路樹として植わっているところもあるらしい。

私はUR都市機構の団地2階に住んでおります。敷地内の樹木には、それぞれネーム・プレートが付けてあります。

植物を担当したデザイナー(というのかどうか)は、随分と樹木のことに詳しい人だったようで、珍しい木まで植え込んであって、住人としてはまことにありがたい。

例えば、「何じゃもんじゃの木」(ヒトツバタゴ)までありますね。そうした木々の一つがヒメユズリハというわけです。

いつか、このメルマガでも書いたことがあるように毎朝、私は樹功をしています。
はじめはケヤキの大木にもたれていたのですが効果がイマイチ。何かいい木はないかな、と探していた時に、たまたまこのヒメユズリハに行き当たり、それ以来ずっとこの木に毎朝、ご挨拶をしているようなわけです。

何がそんなに気にいったのか。幹の両側に掌をかざして樹功をするのですが、そうしていると、掌にびりびりとした感覚がありました。まるで静電気を浴びているような感覚といいましょうか、磁気の感覚といいましょうか、そういう感覚でした。

これはケヤキには決してない感覚です。

その後、ずっとこれを続けています。すると、他の感覚もえられるようになって来た。
まず、木の前にいる時に、木の向こう側が透けてみえています。葉っぱと葉っぱの間、あるいは枝と枝の間に、光の粒が飛び交っているのが見えるようになりました。

これは、青空をバックにして、両手をかざすと両手のあいだを光の粒が行き交うのが見えます。この感覚と同じです。つまり、木のエネルギーが光の粒になって動いているのでしょう。

もう一つ、ちかごろ感じるようになって来たのは、木に掌をかざしていると、胸のハート・チャクラの辺り(中丹田)が暖かくなってくることです。

なぜ、この木、つまりヒメユズリハの木がさほどの強いエネルギーを発しているのか。その原因は不明です。しかし一つ考えられるのは、この木には毒性があることではないか。葉や実に毒性の物質アルカロイドが含まれているらしい。

ネットの記事を読んでみますと、牛が誤って食べてしまったため、事故を起こした事例が報告されています。

しかし、毒草トリカブトの根が、「附子(ぶし)」として漢方の生薬として使われていることを考えてみれば、毒と薬とは紙一重。

先日も、「当帰」と「芍薬」を栽培しているという農家の男性が来られたことがありますが、そのせいなのか、顔色が赤かった。

そんなことがこの木のエネルギーを発している事情に結びついているように思えます。

あるとき、ヒメユズリハの話をお客様にしたところ、西宮にヒメユズリハの樹林のある神社があると話してくださった。

さっそく2度も、そこに出かけていきました。西宮市甑町の越木岩神社です。ずいぶん行くのに不便なところです。しかし行ってみると、深い社叢があり、確かにヒメユズリハの木が多数茂っていました。

その後、講座の卒業生が連名で、ヒメユズリハのひょろっとした苗木を朱鯨亭の通路に植え込んでくれた。今はすっかり元気になってしっかり根付いています。

朱鯨亭に来られた時には、通路の脇に生えているヒメユズリハに手をかざしてみてください。ほの暖かく、私がエネルギーという所以を理解されることでしょう。

朱鯨亭 http://shugeitei.com

1058 栃木県の栃の木

第1058号  ’18年10月12日
▼ 栃木県の栃の木

先月の中頃、栃木県の宇都宮市に行ってきました。

宇都宮といえば、餃子を思い浮かべる人も多いでしょう。もちろん味わいとりどりのおいしい餃子も食べてきましたが、それよりもずっと印象的であったのは、栃木県庁に向かう道路がマロニエ(セイヨウトチノキ)の街路樹でおおわれていることでした。

栃木県庁の正面の道路は、戦中に植えられたというマロニエが街路樹となっていて、数百メートルの素晴らしい木陰を形成しています。これだけの素晴らしい街路樹をそなえた道は日本に他にあるのかどうか。

パリのシャンゼリゼはマロニエの並木道だそうですが、私は行ったことがありません。しかもパリのマロニエは剪定されていて、自然の樹形を保っていません。この夏に行ったエストニアにマロニエの並木がありましたが、さほどの巨木ではありませんでした。

植えてからもう七十年あまりですから、栃木のは、かなりの巨木になっていて、ほとんど剪定は行われず、道路が深いトンネルをなしているのです。

それだけではありません。私たちがセミナーをやった栃木県総合文化センターに沿ったところには、マロニエとは少しばかり種類のことなる(葉の形が少し違います)日本産のトチノキの若い木が植えられているのが目にとまりました。

驚いたことに、ここの並木だけでなく、宇都宮市内の街路樹はほどんどトチノキで占められているようなのです。市内の人にとっては、木といえばトチノキなのだと思われます。

で、若いトチノキを見つけた私は、老木(といっても数十年ですが)とどう違うか、ここで早朝、樹功をしてみました。どちらの方が元気があるかを比べてみようというわけです。

やってみると、人間と同じで、若い木の方がエネルギーが強いのが感じられます。老木は、それなりの風格を備えていますが、エネルギーという点からすると、さほどのことはない。やはり青年の木の方がエネルギーがみなぎっていると感じられます。

もちろん樹種が少し違うということはあるので、それを考慮することは必要でしょうが、それにしても、まるで違う。木を相手に気功をしようとすれば、若い木に限ると思われます。

これはおそらくトチノキに限ったことではなく、他の木でも同様でしょう。(このことに関心のある方は、ぜひお近くの木で確かめてください)

22年に栃木県で国体が開かれ、そのパレードがこの並木道で行われるのだそうで、邪魔になるから全部伐採して道路を拡幅する計画があるのだと、地元の方に伺いました。何を考えているのか。これだけの財産をそんなに簡単に投げ捨てていいのかどうか、地元の方々は、じっくり考えるべきところでしょう。

もしも、そんな風になってしまうとすれば、そんな悲しい宇都宮には、私はもう行きたくない。

1044 春風体操その後

第1044号  ’18年7月11日
▼ はるかぜ体操その後

前回、5番の体操で、腰に痛みが出る人がある、という注を付けたのですが、案の定、そういう人が本日来られました。

骨盤に歪みがあると、どうしてもここで痛みが出てしまう。骨盤の捻れている人です。そういう人の場合は、捻じれを直してから体操をするようにしないと痛みが出るでしょう。

そういう問題が、この体操には付きまとう。で、こういう問題は、どんな体操にもあるのではないか。

人それぞれに身体の構造や、骨格の在り方は違っていて、万人に普遍妥当する、万能の体操などありえません。

ところが色々な書籍や雑誌やDVDなどで、色々な体操が紹介され、いかにも万能の体操であるかのように宣伝されています。

そのため、時々、言われた体操をしたら、却って痛くなったと訴えてくる人が絶えません。どの体操は良くない、などという声を聞くことが度々あります。

つまり身体という物質の構造は、各人によって少しずつ違っていて、その人に合わせた体操なり、操法なりが必要なはずです。

ところが、私自身が春風体操をした後に、背骨のところのエネルギー状態を(【探索シート】というものを使って)調べてみると、する前に比べてエネルギー状態が明らかに改善しているのです。

そう思って考えてみると、気功の世界に両腕を身体の両側で振って回すスワイショウという体操がありますね。前後に振るものもありますが、体側の周りに回す種類のスワイショウもあります。

つまり、「気」の在り方を改善させる時には、このような回す動きが有効なのではないだろうか。

ヒーリングの世界で、例えばバーバラ・アン・ブレナン(1939- )というアメリカのヒーラーは、『光の手』 という本の中で、身体の周りを取り巻いているエネルギーの図を描いています。

哲学の世界でも、オーストリアのルドルフ・シュタイナー(1861-1925) は、物質体とエネルギー体という身体の二重性をとり上げています。

こういう見方からすれば、春風体操は、物質体の動きとしては問題があるが、エネルギー体の動きとしては優れたところがあるということになるのかもしれません。

次号以下で、この点をもう少し掘り下げてみたいと思います。特に【探索シート】というものは、気の世界の状態を、物質の世界に投影してみることができる優れものですから、これについても触れます。

1042 月日の経つのは早いか?

第1042号  ’18年6月21日
▼ 月日の経つのは早いか?

「月日の経つのは早いですね」というのが最近の挨拶になっているかもしれません。「もう正月から半年経ちましたからね」。という受け答えが何度繰り返されていることでしょう。

でも私は、

最近、逆のことを感じています。月日の経つのが実にゆっくりに感じられるようになってきたのです。

何と臍まがりな、とおっしゃる向きがあるかも知れません。そんな言葉は一種の儀礼言葉だから、正面から反対のことを言ってカドを立てることはない、という考えもあることでしょう。

しかし、

私の実感では最近、時間の進行が実にゆっくりになって来たという感じなんです。小学生の頃は、実に月日がゆっくりと流れていたな、と思います。そういう感じです。もちろん、世の中全体がそうなったと主張しているわけではありません。私個人の感覚です。

なぜか。

毎日、来られるお客様が、バラエティ豊富というか、まことに従来とは違った症状の方々が次々とお越しになる。それも、超難しい人ばかりです。そうなれば、こちらとしては、いつもの操法を繰り返しているだけでは対応できませんから、毎日毎日、操法の工夫を凝らしていなければなりません。

毎日一つ以上の新しい操法を案出しておかなければ対応できない状況になって来ました。メルマガに一つ一つ書く暇もないほどです。たとえば「高血圧の操法」を案出しました。

この操法をすると、すぐに血圧が下がります。それは目覚ましい下がり方。血圧が高くて薬を飲んでいる方、おっしゃってください。すぐに薬が不要になるのは間違いありません。

すみません。メルマガを発行しない日々が続いても、どうか見放さないでください。その間、いろいろ考えているわけですから。

というわけで、毎日、工夫を凝らしていると、退屈している暇がない。

例えば、

先日、探索シートと言うものを使って、中級講座でデモをやりました。探索シートの上に地図をおいて、神社などの気の状態をチェックするというのをやってみたんです。ところで、参加者の一人 I さんが朱鯨亭の状態をチェックし始めた。そこで私もチェックしてみたところ、悪化しているんです。その日は、なぜか、と考え続ける日になりました。

結論は、おそらく朱鯨亭のブレーカーの下に貼ってある「結界シール」が古くなっているからだろうと考えられた。物質として質が落ちてくると、気の質も落ちてくるものと思われます。

そこで、新しいものに貼り変えて調べてみたところ、

瞬間で状態がよくなりました。(結界シールに興味をお持ちの方は、教室などにお越しくだされば、差し上げます)朱鯨亭は春日大社より気の状態がよいくらいになっています。

というようなことが毎日起きているわけで、毎日が眼をみはるばかり。まことに月日の経つのはゆっくりだと感じられます。

1038 経皮毒の怖さ

第1038号  ’18年5月29日
▼ 経皮毒の怖さ

私たちの身体の不調には、さまざまな化学物質が関わっていると従来も指摘されてきましたが、経皮毒の怖さについては、あまり知られていなかったのではないかと思います。

経皮毒とは何か。

化学物質が皮膚から入って来る時の毒性で、経口(口から入って来る)毒性に比べ、非常に解毒されにくいのだそうです。

しかも経皮毒に関しては規制が非常に甘いようです。

このような観点から、竹内久米司さんという経皮毒の研究者が警鐘を鳴らしています。
⇒ https://www.realinsight.bz/takeuchi

恐ろしいことが書かれています。

このページを私が読んでみて感じたことを書き出します。

整体屋が何を言い出すのか、と思われるかも知れませんが、私は過去に環境問題に取り組んでいたことがあり、その方面の本も書いていました。(現在は整体用ペンネームを使っていますので、私の名前を検索しても出て来ません。昔は本名・別処珠樹を使っていました)

竹内さん(またはその代理の方)が書いていることで重要なことは、経皮毒を含むような製品には、界面活性剤を含んでいることです。はっきりそう書いてあるわけではありませんが、
よく読むとそのことが解ります。成分が皮下に染み込むように界面活性剤(洗剤または洗剤に類似した物質)を入れるのだと思われます。

とすれば、洗剤を使っていると、経皮毒の毒性を上げる結果になるということです。

また日焼け止めクリームのようなものには、界面活性を上げるためにその種の物質を入れていることが考えられます。シャンプー、リンス、石けん、洗剤、スプレー、歯磨き粉、化粧品など、も同様だと思われます。

どんな問題が考えられるか。竹内さんが指摘しているのは、

── 子どもの異常行動、発達障害、自閉症、すぐに「キレる」性格、知能低下、アレルギー症状など、実はあなたの日用品の有害化学物質が遺伝子に影響を与えていることが理由かもしれないのです。

その場合の一番の被害者は、あなたではありません。次の世代の子どもたち、孫たちです…

孫たちが影響を受けるかもしれない、とすれば、私は関係ない、と済ませることはできないということですね。また整体には関係がない、と言えるような問題ではないので、取り上げました。

1037 よく分からない症状

路地裏の整体術 第1037号  ’18年5月25日
▼よく分からない症状

有名な病院や治療院を次々と回ってみても、どうにもならないという方がかなりの数いらっしゃると、つねづね感じています。

つまり、どうにも病名が付けられない。病名が付けられないだけでなく、「〇〇症候群」として括ることさえできない。

はやく言えば、どこへ行っても相手にしてもらえない人、そういう人が結構多いと感じます。

さまざまな検査をしても、何も出て来ない、検査結果から判断すると、どこも悪くない、という人々です。

けれど本人からすれば、奇妙な症状があって困っているのだから、「どこも悪くない」などと言われたくないのが本当のところです。

そのような人が来られました。かりに中年男性Qさんとしておきましょう。
(Qという名の主人公が出て来る有名な小説がありましたが、その人とは何の関係もありません)

Qさんは、ゲップが出るので困っている、というのです。ゲップそのものに困っているというより、喉か気管が詰まった感じになって、ゲップが出ればスッキリするけれど、うまく出ない時が困る、苦しい、と言われるのでした。

もちろん私には、このような症状の方を見た経験が、これまでにありません。どうしていいか分からないのは、他所の病院や治療院と変わりません。

最初は、お断りしようかとも思いました。しかしあちこち経巡ったのちに来られたのですから、私がお断りしてしまえば、今後もQさんの苦しみが続くことになるでしょう。

どんなに難しい症状であっても、何とかなるものであれば、何とかしたいという気持ちは持ち続けているつもりです。

具体的に、どうしたらいいか分からない症状を相手に、どうするのか。

私の方針は一つ。

まず、その人のバランスを見ます。何かの症状を持っている人は、かならず何かのねじれやゆがみを抱えています。それを見つけ出します。何か一つ見つかれば、それを修正してみる。

修正した上で、再びバランスを観察します。すると、前とバランスが変化しています。これだけで終わりということもないわけではありません。しかしそんなに簡単に済んでしまうケースは珍しい。

むしろ同じようなプロセスを繰り返すことが多い。そういう場合が大半です。

そうしたプロセスを繰り返して終点に到達するのが多くの場合です。そのプロセスの数が少ない方が結果がよいと言えるでしょう。

つまり手数(てかず)が多いほど、下手ということになります。これでもか、あれでもか、とゴチャゴチャやった挙句に、まだよくならない、と言うのは、下手の極みとしかいいようがない。

といいつつ、私も疲れてくると、そういうことをやって迷惑をかけていることがあります。ゴチャゴチャやって疲れ果ててくる。内心、下手の極みだな、と思いながら、首うなだれることがあります。

そういうことを繰り返して来たのが私の歴史で、お世辞にも褒められたものではありません。

ただ、そういうことに意味がないか、と言われれば 【転んでもただ起きない】 という原則を持ち続ければよいと思います。

言い換えると、【難しい症状ほど学ぶことが多い】、これです。うまく行かなければ、かならずそこにうまくいかない原因が潜んでいる。それを見つけ出せばいいわけです。すぐには思いつかず、後になって、ああそうだったか、と思い当たることもあります。

こうやって私は来られたお客様からいろんなことを学んで来ました。私には師匠がいませんが、数多くのお客様方が師匠であると言って、間違いないと思っています。

さてQさんの話に戻りましょう。

Qさんはゲップが出なくて苦しい時、背中を柱にこすりつけるとゲップが出て楽になるのだそうです。あるいは、孫の手のようなもので背中をこすってもいいという。

これは一つのヒントになりますね。

そのこすり付けている箇所に何か問題が潜んでいるはずです。

Qさんの背中を触ってみると、胸椎上部の左二側(ひだりにそく、1側とか2側というのは、背骨から指何本分の隔たりかを表す言い方です)あたりが硬くなっています。これ自体がゲップや息苦しさの直接の原因でないとしても、何らかの関係があるはずだと思われました。

一週間後。少しましになったと言われるので、やれやれ、一安心。詰まって苦しいということが少なくなったという。

そこで今度も同じような方針で、操法を繰り返しました。

そして昨日、第3回目です。大部楽になってきたそうです。それは良かった。でも、まだまだだ。孫の手がないので、長い靴べらでこすってもらうと、やはりゲップが出ます。

よくよく見ると、骨盤が捻れています。気づかないわけではなかったつもりですが、ちゃんと
修正していませんでした。そこで、いつもの交差共鳴法(手の甲を左右で逆方向に撫でる)でやってみました。すると、左二側の硬いのが少しましになってきました。

長靴べらでもう一度こすると、かなりよくなって来たようです。

あとは、鼻がつまる感じがあると言われるので、足の第3趾の付け根を愉気すると、楽になって来られた様子です。この操法は、身体の中心部に異常がある時に、よく効く操法です。鼻の穴の大きさなども揃って来る。

Qさんの話によると、左二側に硬いところがあるのは子どもの頃から、とのことですから、骨盤の捻れというのは、数十年単位で続くことがあるしつこい捻れだと思っていなければなりません。

骨盤に捻れがあると、背骨そのものも捻れてきます。これが身体各部の捻れを引き起こしていると考えられるので、【骨盤の捻れは、どんな症状であれ、修正して置くことが必要】です。

仙骨の倒れを修正するときにも、骨盤の捻れを先にしておくと、修正が楽です。

というわけで、【骨盤の捻れは、最優先で取り組む必要のある操法だ】と言っておきたいと思います。

1035 MCI テスト

第1035号  ’18年5月17日
▼ MCIテスト

MCI(軽度認知障害)というものをご存知の方が多いと思います。認知症までは行かないが、その前駆段階ということのようで、そのテストがあります。

このメールマガジンのナンバーをしばしば付け忘れたり、間違えたりしているので、私自身も心配になってきて、テストをやってみました。その報告。

テストは次のところにあります。⇒ https://info.ninchisho.net/check/ch20

やってみたところ、成績は95ポイント。認知症の前段階ではないが、記憶力の低下がすこし見られる、という結果でした。

では記憶力の低下を補うのに、どうすればいいか。「脳トレ」というものがあります。

例えば次のものは、どうでしょうか。⇒
http://yutmanweb.client.jp/brainTraining/brainTraining.html

9問ありますから、自分の苦手なものを中心にやってみれば、いかが。

「認知症患者は2025年に700万人を突破。65歳以上の5人に1人」、という記事もありますから、気を付けるに越したことはありません。

1031 もっと弱く

第1031号  ’18年5月7日
▼ もっと弱く

現在は毎週日曜日に、中級講座の実習をしています。その時、どのくらいの力で押さえているのですか、と質問を受ける時があります。

昨日も、そういう質問を受けて、実際に押さえてみたことがあったと思って下さい。

──まあ、なんと、こんなに弱いの。

と言われました。これまで何度、こんなやりとりをしたことでしょう。9845回ほどあった気がします。

私は繰り返し、「押える時は弱く」と口がすっぱくなるくらい言い続けているのですけれど、それでも、こういうやり取りを繰り返しています。

それくらい人が何かを持つ時には、知らず知らずのうちに力が入っているわけですね。他人の体に触れる時もしかり。

思わず知らず、力が入ってしまっています。「ぐっと」握ってしまっている。

ですから、人の体に触れる時は、「そっと」触ってください。そうでないと壊れます。

このあいだも、整体に行って、どこそこが緩まないので、そこを緩めてほしい、と言ったところ、「直したらええねやろ」と怖い声でいわれ、頭のどこかをぐっと押さえられたため、顔面が歪んでしまったという女性が来たことがありました。

これなどはまことに気の毒で、論外ですが、ここまででなくても、これに類する話は何度も聞いています。

強い力を掛けられたために、却って悪くなってしまったと訴える人がどれだけ多いことか。

人の体には、力がかかると抵抗する習性があります。

どうぞ、人の体に触れる時は、普段より力を抜くことを忘れないように。人の体に触れる時は、その度に、「そっと力を抜く」ことをお忘れなく。これは私自身の戒めでもあります。

1028 人にしあわせになってもらうために

第1028号  2018年4月22日
▼ 人にしあわせになってもらうために

今回は操法を仕事としてやっておられる方々への便りになるというつもりです。でも、そうでない人にとっても、人は何のために生きるか、という問への答えの一つになっているかな、と思っております。

先日、東京のTさんが久しぶりに教室に参加して来られました。その後、操法の予約をとっておられた。合気道の稽古で肩に怪我をしたとのことです。

Tさんへの操法が終わって、話をしていると、

「先生に愉気をしてもらうと、何かしあわせになります」というようなことを言われる。と言われても、私としては、人がしあわせになってもらうために操法をしているということを意識したことはなかったというのが本当のところです。でも、そのように言われた。

しかし、考えてみれば、操法をしていて、相手にしあわせになってもらえないなら、失敗というか、失格なわけで、そう言われてみれば、私としては、これは、とても恥ずかしい。

これまで自分は人にしあわせになってもらうために操法して来たのではなかったのか、と考えて、うつむいてしまったと思います。Tさんは気づいておられないかもしれませんが。

話変って。

私は昔から(とっても何年前からか思い出せないのですが)、まいにち卦をたてる癖があります。いつも良い卦が出るとは限りません。むしろずっと悪い卦が続いて落ち込むこともあります。でも、続けている。それは、自分の現在の状態が卦に現れるから。つまり自分自身を知るために卦を立て続けているわけです。

ところが。

先日から何人か、操法の後でお客様に卦を立てていただいたのです。すると驚いたことに、皆さん、大変いい卦ばかり出されるのですよ。どんな卦だったか全部は覚えていません。ただ数日前に立てていただいた方が出された卦は「雷風恒」。これは、言って見れば、穏やかな風が吹き続けるという意味の卦で、たいへんいい卦の一つです。

その前には「火天大有」という卦が出たこともあります。大空に太陽が輝き渡るという意味ですから、悪いはずがない。

私自身がやると、大していい卦が出ないのに、お客様が立てるといい卦ばかりというのは、何を示しているのだろうか。天からそういう謎をいただいたことになります。

私はTさんの言葉を思い出して、これは私が操法をすると、皆さんしあわせになってくださっているということなのか、とはっと気づいたわけです。

いま私は自分の愉気がどのような意味を持っているのか、そのことだけを考え続けているといってもいいくらい、愉気のこと、愉気の方法について考え続けているところなので、自分の考えていることの答えをもらったという気がしました。

人は誰かにしあわせになってもらうために生きている。こう考えたらどうか。そんなことを考えていると、今度は東京のセミナーに参加された岩手県のNさんからお手紙をいただきました。

長文ですので、全部をご紹介することはできませんが、一部を。

── 四月十六日、二重生命線を見つけてもらい「病気だという思考を変えなさい」と言われ、あの時目から鱗が落ちて目が覚め生まれ変わった感じです。

どういうことか解説をしますと、二重生命線というのは、普通にある生命線の内側に生命線と同じ流れの線のある人がいて、そういう人は生命の力が大変強いと言われています。そのことをセミナーの席上、モデルで出てくださったNさんに申し上げたら、こういう感想をいただいたわけです。

これも表現は違うものの、Tさんと同じことをおっしゃっていますね。

愉気をする時は、相手がしあわせになってくださるために取り組む。そう考えてみたらどうでしょうか。そう考えを変えるだけで、愉気のパワーが変わります。

どうぞ、皆さんお試しになってみてください。

1027 失敗は成功のもと

第1027号  2018年4月9日
▼ 失敗は成功のもと

先日のことです。ダブル・ブッキングをやってしまいました。記憶が曖昧になったからなのか、日付に疎くなっていたからなのか、ともかく年寄りの大失敗です。

ともかく、大きなミスをやってしまったわけです。どうにもならないので、片方のAさんにしばらく待っていただき、もう片方のBさんにとりかかったと思ってください。Bさんは”坐骨神経痛もどき”の症状です。

Aさんは待ってもらっているので、たいへん気の毒です。Bさんに今度は交代で、少し待ってください、と言って、Aさんに入ってもらいました。

驚いたことに、Aさんの症状も、Bさんと同じような”坐骨神経痛もどき”です。フシギなめぐり合わせですが、ともかく、ありがたい。

何がありがたい、と言って、Bさんの症状は少し複雑だったのですが、Aさんの症状は、割合に単純というか、対角線上の腕を緩めてしまえば、症状が消えるタイプです。

こっそりと申しますと、Aさんの症状に取り組めば、Bさんの症状に取り組むための練習になるわけです。ですから、複雑なBさんの方は複雑なことをしないで、スラスラと解決してしまいました。結局、お二人と取り組んで、1枠より短い時間で終わってしまった。

ダブル・ブッキングで、どうしようと焦っていたのが、簡単に終わってしまいました。こんなにありがたいことはない。

つまり失敗は成功のもと、という諺を地でいったわけです。別の言い方をすれば、【ピンチはチャンス】ということ。皆さんも、これがピンチというところに陥った時は、ピンチはチャンスという言葉を思い出してください。どこかにチャンスの種がころがっているはずです。

ついでに言っておきますが、HPに成功話だとか、自慢話ばかり羅列して書いてあるところは、警戒した方がいい。失敗と成功は常にセットになって現れるもので、成功が100回あるなら、失敗も100回あると考えるのが自然です。

1026 経行の勧め

第1026号  2018年4月9日
▼ 経行の勧め

経行(きんひん)と言っても、ご存知ない方が多いでしょう。禅寺で坐禅をする時に、坐禅の1セッションが終わり、次のセッションまでの合間に、禅堂の中を修行僧たちが抜き足差し足、ゆっくりとねり歩くことです。

そんなことに何の意味があるのかと不審に思われたとしても不思議ではありません。私は最近、坐禅に取り組んでいますが、禅寺でやるだけでなく、大衆禅と呼んで、奈良の西にある生駒山の東斜面にある山荘で、数人の方々と坐禅をやっています。そこでこの経行をやっているというわけです。

これをやると、耳の後ろの乳様突起が、寝ている間に不思議に上がる。(もちろん、こんな話は禅僧の方々には知られていないでしょう)。

乳様突起が上がるのは、側頭骨が前の方に回った(頭蓋骨が開いた、弛んだ)ということを表しています。そのため、頭頂部の膨らみも消える。

頭蓋骨は、決してカチッと固まったものではなく、縫合のところで動いています。季節により、その人の生活により、変動するわけです。

交感神経の優位な状態になると、側頭骨が下がります。逆に副交感神経が優位になれば、側頭骨が上がります。

一般的に自律神経の変動と言われる変化は、このような頭蓋骨の変動としても表れます。だから頭蓋骨を変化させることができれば、自律神経を整えることが可能だということになります。

と言っても、頭蓋骨に力を掛けて、ぐっと押すようなことをすると、たいへんなことになります。でもそういう人がいるらしい。それで具合が悪くなった人が来たことがありました。

そんな危険なことをする必要はありません。初めに書いた「経行」をすると、その日の夜、自分の頭の形を朝起きた時に調べてみると、見事に側頭骨が変っていました。側頭骨が上がって、副交感神経優位になったということです。

自律神経を整える福田・阿保理論では、交感神経優位になっていることが色々な病気につながると言われています。でも手足の爪の横のツボを押し続けるのは、かなりの努力を必要とするわけで、私などは、面倒くさくなって止めてしまいました。効果もすぐには感じられないので、続けるのは、なかなか大変なのではないか。

それより「経行」をやるのは、簡単ですし、やると、ただちに効果が出ます。自律神経失調と言われて悩んでいる人は、これを試してみてはいかがでしょうか。

「隻手」(せきしゅ)という手の形をとって、部屋の回りをそっと歩くだけです。

「隻手」の形は宗派によっても違いがあるようなので、私は、気功の時の掌の重ね方も考慮して、女性は、左手の親指を右手で握って両手を胸の前に当てる。男性は、右手の親指を左手で握って両手を胸の前に当てる。という風にしています。

そうして、1息半歩と言われるように、ゆっくりと前に進みます。この時、自分の足元を見ないように、つまりうつむき加減でやらないようにしてください

自分ひとりだけでやっても効果があります。決して坐禅の後にやるということにこだわる必要はありません。

なぜ自律神経を整える効果があるのか。それはよく分かりませんが、ゆったりと行動することによって、そういう効果が出るのだろうと私は考えています。ウィキペディアの「経行」の項目には次のように書かれています。

── 義浄によれば、経行には、病を取り除き、消化を助ける、健康促進の目的もあったとされる [義浄は、三蔵法師と同じく、インドから仏典を持ち帰り、翻訳した僧侶]

1025 緩めたらアカン

第1025号  2018年4月4日
▼ 緩めたらアカン

Kさん、60代の女性、大阪府の遠方からしばしば朱鯨亭に足を運んでいただいている方。「しばしば」というのは、その時々で色々な症状が出て、すっきりしない方でもあることになります。

Kさんが何度も来てくださるのは、ありがたいのですけれど、できれば早く症状の出ない体になってほしいというのが本音です。

今回は、どうやら「坐骨神経痛もどき」(*注1)の症状。右脚に痛みやだるさがあちこちにあります。これまで、Kさんは体が柔らかいからか、強い症状がなく、比較的早く回復するものの、どうも、すっきりといかない。申しわけない、といつも密かに思っています。

「坐骨神経痛もどき」の場合に、私が定石としているのは、異状のある脚と対角にある腕を緩めることです。

両腕を緩めて、左右のバランスを取った後、前向きに立っていただくと、首が少しばかり右に偏り、右に重心があることが伺えます。つまり腕だけでは左右バランスがとれなかったということです。

まず考えられるのは、こういう方には、何か事故にあった経験があるのではないか、ということ。つまり【強い打撲痕のようなものがどこかに残っている】のではないか。

──何か事故にあったようなことはありませんか? 交通事故でなくても、階段からころげ落ちたとか、跳び箱に失敗したとか、そういうのでもいいんですが。もちろん古い傷でもかまいません。

──右足を捻挫したことがあります。こういうように内側にひねって、えらく腫れました。

(右足の外側面を触ってみて)──なるほど。ここの骨がカチカチになったままですね。

右足の立方骨やら、小指の中足骨(*注2)やらが固まっています。捻挫の直後から固まり、そのままになったと思われます。

そこで、小指の中足骨に裏側から指を添え、ジッとしていること数分。まだ甲の全体が硬い感じがするので、甲側・足裏側から両手でサンドイッチにして、また数分。

これで少しはよくなったに違いない、と思って立っていただきました。

ところが。重心が右に寄ったままです。これではダメじゃないか。

なぜ、こういうことになったのか。こういう時は、じっくりと考えることを迫られます。

右足の外側が硬くなっていたわけですから、硬くなる必要性があって硬くなったと考えられます。右に傾いていたので、あまり右に傾きすぎると不安定になって困る。そこで、右足の外側を硬くして、右に傾きすぎるのを防いでいたわけでしょう。

ところが、その硬くなって傾きすぎるのを防いでいた箇所を、考えの足りない私は緩めてしまった。そのため右に傾くことになってしまったのでしょう。

つまり、どこかが硬くなっているからといって、無闇に緩めると、全体のバランスがおかしくなる、ということです。直すのも、場合によりけりで、直したらアカン場合もある。

一般的には、硬いところを緩めるのは正しいでしょうが、場合によって正しくないこともある、と知っておかないと困ったことになる。法則として言えば、【真理というものは、すべて条件付きであって、いつも正しいとは限らない。条件をはずして、いつも正しいとしてしまうと、真理も誤謬になってしまう】。ということになりますね。

これは整体に限りません。世の中には、条件付きで一つの場合にだけ成り立つ原理を無闇に拡大して、何にでも当てはまるとしてしまう誤りがどれだけ多いことか

*注1 「坐骨神経痛もどき」 普通に坐骨神経痛と呼ばれているが、必ずしも神経痛とは限らず、一方の脚に体重がかかりすぎているにすぎないことの方が多い。だから私は、神経痛とは呼ばず、「坐骨神経痛もどき」と呼んでいる。

*注2 中足骨 足の甲を触ってみると、それぞれの指ごとに細長い骨があって、足首の先まで続いている。この長い骨を中足骨と呼ぶ。区別したい時は、親指から順に、第1中足骨、第2中足骨、という風に第5中足骨まで。

1021 樹功その後

第1021号  2018年3月29日
▼ 樹功その後

以前に「樹功」という項目を書きました。その後の変化など、樹功に関するもろもろをまとめておきたいと思います。なぜこんなことを書くのかといえば、続けてやってみて、私の体調が大きく変って来たからです。

ですから、操法を受けに来られた人たちにも、ぜひ樹功をするようにと、お勧めしています。

樹功については、色々なご意見・ご感想を寄せていただきました。樹功という言葉を検索してみたが出て来ない、というご意見。それもそのはず。「樹功」というのは私が勝手に作った言葉だからです。

普通にはどういうか。「樹林気功」という言葉があります。これは藤田雅子さんという三重県在住の女性が熱心にやっておられるようで、藤田雅子 『やさしい樹林気功』 (全国林業改良普及協会)という本も出ています。

この藤田さんの師匠は、今田求仁生(くにお)さんという「哲学医」ともいうべき人で、あるネットの記事によれば、気功の世界に大きな影響を与えた方だとか。つぎのところに記事があります。⇒ http://taichi-psycho.cocolog-nifty.com/adler/2009/05/post-a83e.html

さて樹功について書くと言って始めたのですけれど、それほど私自身が樹林気功に親しんでいるのか、と言えば、毎朝のように飽きもせず、自宅近くの樹に凭(もた)れに出るということを繰り返しているだけです。

樹林気功をしているのか、と問われれば、それは違うと答えることになるでしょう。だから「樹功」という別の言葉で表すのがいい、と思っています。なにしろ毎朝、樹林気功ができるような贅沢な場所に住んでいないということもあります。

やり方はどうするのか。できれば一抱えほどの太い大木がいいですが、そういう木を探し出して、その木に凭れる。そうして2分から3分ほどジッとしている。簡単にいえば、それだけのことです。

ですから何の難しいこともない。ただやってみるかどうかが大切で、照れくさいなどと言って、やらなければ何事も始まりません。とはいえ、ただ一回やるだけでは、何も分からないのも事実。やはり何度か繰り返してやっているうちに、何か変ってきたな、と感じる時がくるはずです。

「樹功」という記事を書いたのは昨年5月24日(第974号)ですから、私はすでに一年近くやっていることになります。雨などの理由で時々休みにすることもありますが、たいてい毎日欠かさず木のところに出かけます。日の出の頃がいちばん気持ちがいいですから、今は、6時半くらいの時刻です。(東に高円山があるので、日の出が少し遅い)

どんな木に凭れに行くのか。冬の間は、常緑のアラカシの木を選んでいました。今日は久しぶりに一抱えに余るケヤキの木を訪れてみると、枝に葉っぱはありませんが、すでに葉を付ける準備が整っていると見えて、凭れただけで、背骨のところがポカポカと暖かくなりました。

ですから、どの木がいい、と決めつけるのでなく、季節ごとの状況に応じて、よさそうな木を選べばいいと思います。人を選ぶのと同じで、人と木の間にも相性があるようです。

その結果、何が変ってきたのか、といえば、まず体が暖かくなった、全身の気のめぐりがよくなった、色々なことを楽しんで出来るようになった、繊細な感覚まで感じるようになった。そんなところでしょうか。操法家としては、気のめぐりを感じるようになったのは、大きな強みになると思います。

ですから、この方法は、施術家の皆さんにまっさきにお勧めしたいと思っています。きっと何かが変ってくることでしょう。

1021 癌細胞に感謝する

1021号  2018年3月10日
▼ 癌細胞に感謝する

イギリス在住のNさんから次のようなメールをいただきました。お許しをいただいて引用します。読みやすくするため、改行などは原文と少し違っています。

癌細胞に語りかけることを続けて癌が消えたという報告です。どんな病気にも関わることだと思います。病気は、自分の生き方の誤りを教えてくれるもの、無闇に嫌うのでなく、病気に感謝してみようというご提案でもあります。

──日本で鍼灸あんま師の資格を取った後、イギリス人と結婚し英国に住んで18年。3人の子供の子育てもほぼ終わり、これからはやっと自由に自分のやりたい事ができる人生の段階となりました。今は自宅でのんびりと知り合いにだけ指圧をしています。

私は、3年前の定期検診で小さな乳癌を発見され、即通常の癌治療コースを勧められました。ずっと健康を自負していたので晴天の霹靂。

でも瞑想により癌細胞は私の気付いていない間違った生き方を教えてくれるために出来たのだと分かり、全ての治療を拒否し感謝して毎日癌細胞に話しかけました。自分の体の他の硬い所や痛い所にも話しかけながら揉んでやりました。

いろんな気付きがあり段々と私のかたくなな考え方が溶けていき、同時に癌も消えて無くなりました。医者も首を傾げていました。

体の状態はまさにその人の生き様の歴史。私は指圧で人の体に触ることが大好きです….

その人の生き様を開けっ広げに触らせてもらう、というおこがましい立場にある事に恐縮しながらも。何かの縁で触れ合う事になったその方のエネルギー。どのエネルギーも、活き活きとあるべき方向に動き続けて欲しいです。私が詰まっているものを動かしてその動きを助けることができたら、それが何よりも嬉しいです。──

(以下略)

1020 頭骨の上下運動

第1020号  2018年3月8日
▼ 頭骨の上下運動

耳の後ろのグリグリと言えばよいか、ともかく、耳たぶの後ろ側に骨が出ているところがありますね。「乳様突起」と呼ぶ箇所です。これは側頭骨の下の端です。(⇒乳様突起の画像検索を)

ここの出っぱり方が人によって異なります。ずいぶん飛び出していると感じられる人と、奥まっていて触れないなと感じられる人とがあるはずです。もちろん中間の人もいて、人さまざまでしょうが。

自分の骨を触るだけでは、よく分からないという人は、他人のを触らせてもらってください。

とは言え、頭の骨はどの骨と言えども、そっと触ること、強く押したりすると、おかしくなって頭痛を起こしたりしますから、厳重な注意が必要です。

先日も、他所の整体で頭に強い力を加えられて、頭の形が変わり、顔の表情もおかしくなってしまった人がいました。お気の毒といって済ませるわけにいきません。施術家の皆さん、どうか強い力を頭部にかけるような野蛮なことはやめていただきたいと思います。

この乳様突起が出たり入ったりという運動をしている(側頭骨が上下している)ことは、簡単な操法で解りますが、今回はそのことではなく、実際にこの動きを私が体験した話です。

昨年の秋ごろから、私は禅宗の寺で行われている坐禅会に参加しています。その会に参加している人から、奈良市の西に連なる生駒連山にある山荘で坐禅会しているので、参加しませんか、というお誘いを受けたと思ってください。

山荘で坐禅というのが気に入って、二つ返事でこの誘いに乗った次第です。バブルの頃にこの辺り、生駒山の中腹に別荘を建てるのがブームになって、たくさん建てられた山荘の一つを借り受けて、そこで坐禅をやっているという。

参加して坐禅を組んでいると、二つの大きな身体の変化に気づきました。一つは、寒いところで靴下を脱いで坐っているのですが、足に汗をかいてくること。普通は、足が冷えてくるところですが、それが熱をもって汗ばんでいます。

もう一つは、座禅から帰って翌朝、起きた時に自分の頭を触ってみて、驚いた。頭の恰好がまったく違っていて、頭頂部のとんがりが消え、乳様突起が上がってへっこんでいます。

この山荘にいると、山林の中に建っているので、植物のエネルギーをたっぷり受けるのでしょう。それでこんな不思議な変化を起こしたに違いない、と考えました。

乳様突起が引っ込んだのは、側頭骨が上がったことを表していると、考えられます。

頭頂部のとんがりが消えたのは、頭頂部は変化せず、側頭部だけが上がったことを表しているでしょう。この頭頂部のとんがりは、鬼のツノにあたるもので、交感神経の緊張を表しています。簡単にいえば、あたまにツノが生えているわけです。

という次第で、全体としては頭頂骨を除いて頭が上に上がったと捉えて間違いあるまい、と思います。

だいぶ以前の話ですが、体の全体がすべて下がってしまったと訴えて来た女性がいました。全部が下がっている、と言われても。一部が下がっているというのなら、話しが解りますが、ある整体に行ったところが頭を触られて、体全体が下がってしまったというのです。

これは恐らく交感神経の緊張が高まったことを表しているでしょう。ツノが生えるのは、頭頂部が持ち上がり、側頭骨が下がったことを表しています。

なぜこんな現象が起きるのか。私の推測です。よく引き合いに出すルドルフ・シュタイナー(1861-1925)の言い方を借りると、地球の上にいる人間には、地球の中心から引っ張られる引力も受けているけれど、同時に惑星や恒星や、月、星座からも引っ張られている。一言でいえば、天体からの力を受けている、とシュタイナーはそのように表現しています。

すると、天体からの力が優位になっている時は、側頭骨が上がる。逆に地球からの力が優位にたつと、側頭骨が下がる。つまりそのような人間に働く力の違いがあるに違いありません。そして、側頭骨が下がっている人が多いということは、天体からの力を受けることが少なく、地球の力を受けすぎているということではないか。

そんなことを夢想してみたわけです。事実かどうかは分かりません。でも私自身の頭の変化をみると、そうとしか思えない。

昨日こられた女性も、乳様突起が下がっていたので、私はそのようなことを考えてしまいました。彼女は緊張すると、いろいろ具合が悪くなるらしい。そこで、あなたは天体から遠ざかっているのではないか、と申し上げました。すると、その女性は、納得するところがあったらしく、アッと声を上げられた。

というような次第で、夢ものがたりのような話ですが、案外こういうことがあるのではないか、と感じさせられたわけです。

さて、われわれ多くの都会生活者は、天体から遠ざかっているのではないか。というより、天体のことを思い出すのは夕方西の空をみる時だけかもしれません。皆さん方は天体と人体のつながりについて何かを感じられることがおありかどうか?

1013 老化とは乾燥である

第1013号  2018年1月22日
▼ 老化とは乾燥である

以前から、ヘバーデン結節と乾燥の関連について、繰り返し指摘してきました。つまり体が乾燥してくると、体の末端である手足の指先が水不足に陥り、第1関節が乾燥して、異常を起こす可能性があるということですが、これに関連して。

ユージェル・アイデミール
『なぜ《塩と水》だけであらゆる病気が癒え、若返るのか!?』
(ヒカルランド、2017)

この本の内容に関しては、根拠の明確でない疑問点もあり、必ずしも推薦図書というわけではありません。慌てて買わず、書店の店頭でじっくり中味を確認してください。

ただ色々と、「なるほど」と納得できる部分があります。

──人の体は20歳を超えると、水分を失って行きます。これが「老化」と呼ばれる現象ですが、理由はまだ分かっていません。(52ページ)

──カフェインは脳に直接届いて依存を起こすとともに腎臓にも影響を及ぼしながら、体の尿生成を活発化させます。コーヒーを飲むとトイレに行きたくなる経験をされたことがあるでしょう。こうしてカフェインをたくさん含んでいる飲料を飲めば飲むほど体はそれから何も得ることなく、水分をそのまま外へと出してしまうのです。(61ページ)

第1関節のヘバーデン結節を起こしている人にコーヒー好きの人が多いのも、頷けるわけです。

ここで注目したいのは、メルマガの [第996号] で取り上げた第2関節の「ブシャール結節」 です。第2関節の故障となると、多数見られるのはリューマチですが、リューマチの場合はX線写真で関節の破壊が確認されるようです。「ブシャール結節」の場合は、そのような破壊にまでは至っていないそうです。

ブシャール結節ではないか、と思われる第2関節の故障をよく見掛けます。手指の第2関節が硬く盛り上がっているもので、突き指を起こしているのか、と思っていましたが、突き指ではなく、ヘバーデン結節と同じように水分不足を起こして故障している可能性があります。

手指の第2関節を触ってみると、硬く盛り上がっている場合がある。これをつまんで、じっと愉気していると、次第に弛んで盛り上がりが小さくなってきます。それだけで、結節が消失したと言いたいわけではありません。関節の周辺の組織が硬化していて、それが愉気によって弛んでくるのだと思われます。そうすると、腕や肩が弛んできます。

しかし、乾燥が関わっているのだとすると、愉気だけでよくなる道理はない。本人が水分をよく摂取するように気をつけなければ、本当の改善は望めないでしょう。コーヒーも止めないとね。

体の乾燥が色々な症状と関わっているのは、わかりやすい話ですし、老化と乾燥が関わっているというのもわかりやすい理屈でしょう。

特に今のような冬場は、乾燥がきつくなるので、よく水を飲めという説が昔から行われています。

しかし一方で、漢方の方面からは、水が体中にだぶついてくると、水毒を起こすという主張もあり、むやみに水を摂取すればよいというものでもないらしい。

どの程度が適当な摂取量なのか、難しいところですが、一つの目安として、手指の関節が硬くなってくれば、水分が不足していると考えるのは、わかりやすい指標かもしれません。

1010 瑞祥芳楽

第1010号  2018年1月1日
▼ 瑞祥芳楽

これまで毎年、新年号には、ことしはどんな年になるかと占いによる予想を載せてきました。しかし今年は、何か大きな転換があるように感じます。

昨年70歳の古希を迎えて、これから静かな晩年かと思いきや、何の何の、私個人はますます変化の激しさを実感することになっています。

変化の速度が非常に速くなっているという意見が世上にあるようですが、まさにその通りと感じている次第です。

そこで、今年は【フリーハンドの年】と呼んでおきたいと思っています。

フリーハンドとは何か。未来を予想して、それに備えるのではなく、どんなことが起きても対応できるようにフリーハンドが一番ではないか、と考えるわけです。古い言い方をすれば、無手勝流です。

皆さんにとっても「フリーハンド」かどうかは、分かりません。それは個人個人の判断でしょう。

非常に変化が速いとすれば、準備をしても役に立たない。私の身に起きていることから判断して、変化が凄まじい速さになっていると感じられます。しかし、変化が速いというのは、悪い変化だとは限りません。良いか悪いか判断している暇もないほど速い。

「変化が速い」ということを日本語で検索しても碌な記事は出てきませんが、英文で検索してみると、電子技術などの技術が急速に進んでいる、というような記事が出てきます。それは事実であるとしても、もちろん、そういうことを言いたいわけではありません。

私の場合をお話しますと、からだの中の気感が急速に変化しています。毎日変わるという様子です。それに関わっているのは、座禅に通っていることだろうと思います。

「座禅」というものを心の課題とばかり思っておりましたが、やってみると、そうではないと分かりました。体に大きな変化を生み出す驚くべき「技術」であると分かりました。

今は、こんなことを毎日考えながら、日々を過ごしております。私にとって、楽しみな年になりそうです。どうぞ、皆様方にとっても楽しみな年になりますよう、お祈りいたしております。

皆様へ、丈夫になる新年のプレゼントを。野口晴哉の 『愉気法2』(全生社、2006)の中に、「脊椎行気法」の記事があります。一度お試しを。その場で、道具なしに出来ます。

──「ともかく体が弛んだら、背骨で呼吸するつもりで背骨に注意を集めて、徐々に背骨から腰に息を吸う。吸ったことだけ意識して、吐く方は注意しない。五又は十回行う。多すぎると首や肩が凝ったり、腰が硬くなったりするから、二、三回背骨へ息が通ったらやめる。背骨に息が通ると発汗する。疲れはすぐに抜けてしまう。

やってみられると、なるほど、と納得されるのではないでしょうか。

1009 『気功』

第1009号  2017年12月26日
▼ 『気功』

最近、近鉄奈良駅前の古書店・F堂で、優れた本を見つけました。

廖赤虹(りょうせきこう)・廖赤陽(りょうせきよう)
『気功 ── その思想と実践』
(春秋社、1998)

昔話になりますが、若い頃、一時「気功」に凝っていた時期がありました。例によって独学で、気功の独学というのは危険性を伴うと思いますが、ともかく色々と試していました。

その頃、『気功の何々』 とか、『何々気功法』 などと銘打った本をずいぶん買い込んで読みましたが、どれを読んでも不満感がつきまといました。

どの本も、気功のやり方が色々書いてあるのですけれど、何をすることが気功なのか、という肝心の一点について何も書いていないということに不満だったわけです。

要するに「気功」とは何かを詳しく教えてくれるような本がなかったということです。ということは、書いている人も気功とは何かを十分理解していないのではないか、と思われました。

その後、私は操法に転じまして、「気功」のことは放置していた。というか、脇に置いていました。

そうやって私が気功から離れている時期に、上記の本が出ていたわけです。

その表紙をみた記憶はあるものの、中国の人の著作だということもあって、また例のとおりの気功本の一つだろうと手にとってみることもなかった。

ところが例によってF堂で、この本が売られているのを見つけ、中味をぱらぱらと読んでみて、驚いた。

これは自分がいまやろうとしていることと結びつきの深い本だと気づいたわけです。

昨年出版した 『ねじれとゆがみ』 の「あとがき」にも書いたように、何冊かの本が、私の人生の大きな転機となったごとく、この本も大切な本の一冊になりそうだという予感がしました。

話は少しそれますが、私が本を選ぶ時の方法をお話しておきましょう。

まず表紙・裏表紙をよくみる。これは誰でもやられていることでしょう。装丁や帯の文章などをよく見る。

帯は出版社が販売促進のためにつけるもので、いわば宣伝文句です。そこにどんなことが書かれているかで、売れ行きがずいぶん違ってくるでしょうから、どの出版社も力を入れるところでしょう。

古本の値段が帯のあるなしで違うというのも奇妙な商習慣ですけれど、それが現実というもの。

次に目次をずっと眺めてみます。自分の興味を唆る項目があれば、その項目を開いて読んでみます。1項目で納得が行かなければ、他の項目も開いて読んでみます。

それで大抵は、著者の力量が分かるものです。

帯の裏表紙のところに次のように書かれています。

── ・・・それぞれの本は大量の練習方法を紹介しているが、気功練習の行き着く先がどこあるのか、ほとんど示されていない。練習者はたくさんの入門方法を覚えたが、気功の門がどこにあるのかさえ分からないという状況である。・・・今度の本が、練習方法の紹介ではなく、方向性を示すものである理由は、まさにここにある。

気功の門を叩こうとした人なら、これを読んで膝を叩くに違いありません。「気功」という言葉を「操法」に置き換えても同じようなことが言えそうです。

というわけで、私はこの本を読んで大きな恩恵を受け取りました。それはこの本の一番おいしいところなので、ここでは紹介しませんが、「気」ということに関心のある人は、手にとって見られることをお勧めします。

1004 逃げる痛みと失敗の過程

第1004号  2017年11月21日
▼ 逃げる痛みと失敗の過程

からだほぐし教室では、その日の参加者にどこか問題をかかえている人がいれば、解説付きで操法をして、参加者の方々の勉強の材料としています。

先日の教室では、尻から脚に掛けて、痛みが出ているという方がいた。で、その問題を解決すべく色々やってみたのですが、痛みが最初の場所から別の場所に次々と移って行きます。

こういう場合、どうすればいいのか。原則を言うと、【痛みが次々移って行くのは、原因が痛みの場所にないから】です。痛みの原因が次々移って行くと考えるのは無理がありますね。

だから、こういう時は筋肉の緊張を探したりしても、なんともならない。それより、どこかに関節の異常とか、怪我の痕跡とか、そういったものが残っているのではないか、と考えるとよいと思います。

と、今だから言えるのですけれど、やっている最中は一生懸命ですから、心が一つの視点にとらわれていて、中々他の視点に移動するのが難しい、というのが本当のところ。

色々やってみて、ダメだったので、私は次第に「これではダメだな」と気づき始めたわけです。早く言えば失敗に気づいた。

芸事やスポーツなど上達を必要とする場面では、失敗を考えることが大切です。なぜ失敗するのかが分かれば、どうすればうまく行くのか、も分かって来る。別の言い方をすると、【失敗は決して単なる失敗ではなく、上達の一過程】だと考えれば失敗を悔やむことはありません。

さらに、短く言えば【失敗しなければ上達しない】とも言える。

こうして失敗を続けているうちに、【末端に注目】という原則が思い出されました。

この場合は、右脚の外側が主に痛みが出る場所でしたから、足をみて、「小指か」。誰に言うわけでもなく呟いた。すると、相手のOさんは「足の小指は以前骨折したことがあります」と言われる。

なぜ「小指」だと思ったのかといいますと、拇指がやや外反母趾の気味になっているのに対し、小指には見たところ異常がない(*1)ことと、右外側に色々症状が出ていることからでした。

そこで、小指を触ってみますと、先端が硬くなっている。これだな、と思って硬くなっているところに愉気(*2)をします。

これでよくなるという保証があるわけではないけれど、やってみる価値はある。今度は失敗したとしても、別段、どこかが悪くなるわけではないので、これはやってみたい。見学している人たちに失敗の現場を見てもらうのも、勉強のうちですから。

世の中には、「失敗はかっこうが悪い」という価値観を持っている人が多い。しかし、それでは上達の過程に気づくことができません。

さて、小指が緩んだおかげで、すべての痛みが消えたらしい。小指の骨折痕が、上部のあちこちを引っ張っていたわけです。失敗を重ねたおかげで、【末端に注目】という原則が再確認できたことになります。

私の操法では、このような小さな失敗、いわば「ミクロ失敗」を重ねています。時にすらすらと進んでしまう場合もあるにはあるけれど、そういう時は学ぶことが少なく、つまらない。(申し訳ない言い方で、すみません)

要するに【小さな失敗を繰り返すことが、大きな失敗を防いでいる】わけです。これが「対立(物)の統一」などと論理学で呼ばれる実例ですが、これについては、いずれ別の機会に。

いつもお客様から多くのことを学ばせて貰(もら)っています。ありがとうございます。

注*1 小指には見たところ異常がない──親指が外反拇指になっていると、小指も「内反小趾」になっていることが多いから。

注*2 愉気──「ゆき」。おなじみの言葉ですが、ご存知ない方もいらっしゃるかもしれないので、説明しておきます。見掛けでいいますと、相手の体の部分に手を当ててじっとしていること。ですが、こういう見掛けの様子(現象)だけでは意味がない。手を当てて、操者のからだのエネルギー(気)を相手の身体の一部に送り込むことと言ったらよいか、相手の注意をその部分に集めることと言えばいいか。

1002 よい整体処を選ぶ基準

第1002号 2017年11月17日
▼ よい整体処を選ぶ基準

遠方のお客様から、よくいただくお尋ねは、よい整体を選ぶ基準は何でしょうか? というご質問です。

これは当然出てくる疑問で、奈良のような遠くまでたびたび通うわけには行かないというご事情は、理解できるものです。

だから、このメルマガでも、このご質問にお答えしておきたいと前々から思ってはいるのですけれど、なかなか書きにくいことであるのも事実。

それはそうでしょう。私の立場からすれば、私のところへ来てもらうのが一番ですよ、と言いたいところだけれど、そうすると私の自慢話になってしまいますからね。

普段から、自慢話をネットに書いているところは避けること、と講座などでもお話していますので、自分自身が自慢話をしてしまったら元も子もない。

でも、私自身の話は棚に上げて、客観的な判断基準みたいなものがないこともない、と思います。「自慢話が多いところは避ける」というのは、一般論としてあると思いますね。

その人が操法に自信を持っていれば自慢をする必要がないのは当然ですから。自慢などしなくても、自然に人が集まる。仰々しい自慢話など要らないはずです。

ところが、色んな整体に行った人から聞いた話では、操法をしながら自慢話をするような人も結構いるらしい。それも有名な人で、そういう人がいるという話を時々耳にします。整体ではありませんが、某クリニックにも自慢話の好きな先生がいました。

まず、そういうところは避けるに越したことはない。同じ理由で、大げさなことをいう人も避けるに越したことはない。ゼッタイ治しますなどというのは、根拠も何もなく言っていることですから。人は一人ひとり皆違っていますから、ゼッタイなどということはありえません。

どういう整体処がいいのか、と訊かれて、どう答えるか。もちろん HP や SNS や著書をよく読んで、その人の真摯な人格が感じられるところがよい、というのは当然の話です。

ところが HP を真剣に読んで行ってみたけれど、逆に悪くなって困りはて、やってくる人が後を絶たないというのが実情です。そこでネガティブ情報を書いておきたいと思います。どういうところは避ける、という情報です。

以下、いわゆる私の「独断と偏見」によるものですから、ご意見などをいただいてもお返事はいたしかねます。朱鯨亭の亭主は、こういうことを考えているのか、と軽く受け取ってくださると助かります。

■ 強い力をかけるところは避ける。

■ きちんと記録をとらないところは避ける。

■ 次回の予約を強要するところは避ける。

■ 専門用語をやたら振り回すところは避ける。

■ 法外に高い金額を請求するところは避ける。

また、これ以外にも色々あるのじゃないか、というご意見もあるかもしれません。上の項目についても、本当は色々コメント(説明)を付け加えたい気もしますが、そうすると以外に長いものになってしまいそうなので、これだけにします。

最近、お困りの方が多いので、上記以外の実例について、こういう例があったが、どう考えたらいいか、というようなお尋ねがあれば、このメールに返信してお尋ねください。私の意見を申し上げます。