首が重い奇病

第1105号 2019年7月16日
▼  首が重い奇病(2)

昨日の続きです。首が重いと言われる症状で、何がなんだか分からず、私が困り果てたという状況でした。

少し楽になったと言われるところからは、一つの操法をする度に確認しながら慎重に進めて行きました。

両脚の腓骨を上げて、確認すると、大変楽だと言われる。

もう一度、腰椎を整えて、どうですか、と聞いてみると、動きが軽快になりました。

という具合。

こんな調子で続けて、最後の仕上げは体軸操法。
https://shugeitei.wordpress.com/2018/12/27/1050%E3%80%80%E4%BD%93%E8%BB%B8%E6%93%8D%E6%B3%95-2-0/
(グーグルで  “体軸操法” と引用符付きで入れて検索すると出て来ます)

普通は体軸操法で、あらかた整えてから、細かいことに進むというようにしているのですけれど、今回は逆にやってみたわけです。

全部終わってから、Oさんに確認してみると、首が自由に動く、こんなのは初めてです、と嬉しそう。

Oさんが帰られて、その晩のこと、Oさんを紹介して来られた方から電話があり、帰り道、調子がいいので、朱鯨亭からJR奈良駅まで、歩いたというから飛び上がりそうに驚きました。

しばらく立っているだけでも、しんどい、と漏していたOさんが、この道のりを歩くとは尋常の出来事ではありません。何しろ、早足で歩いても20分はかかる行程ですから。

このあと、私はすっかり考え込んでしまいました。どう考えても、これは私が直したのではない。Oさんのからだに治る力があったから治ったと考える人もいるでしょうが、それでも筋が通らない。

わけのわからない症状に対して、私が色々と判断する力を持っていたわけではないですから。

何が起きたのか。さあ、この続きは、読者の皆さんに考えていただきたい、と思っています。

朱鯨亭 http://shugeitei.com/

1026 経行の勧め

第1026号  2018年4月9日
▼ 経行の勧め

経行(きんひん)と言っても、ご存知ない方が多いでしょう。禅寺で坐禅をする時に、坐禅の1セッションが終わり、次のセッションまでの合間に、禅堂の中を修行僧たちが抜き足差し足、ゆっくりとねり歩くことです。

そんなことに何の意味があるのかと不審に思われたとしても不思議ではありません。私は最近、坐禅に取り組んでいますが、禅寺でやるだけでなく、大衆禅と呼んで、奈良の西にある生駒山の東斜面にある山荘で、数人の方々と坐禅をやっています。そこでこの経行をやっているというわけです。

これをやると、耳の後ろの乳様突起が、寝ている間に不思議に上がる。(もちろん、こんな話は禅僧の方々には知られていないでしょう)。

乳様突起が上がるのは、側頭骨が前の方に回った(頭蓋骨が開いた、弛んだ)ということを表しています。そのため、頭頂部の膨らみも消える。

頭蓋骨は、決してカチッと固まったものではなく、縫合のところで動いています。季節により、その人の生活により、変動するわけです。

交感神経の優位な状態になると、側頭骨が下がります。逆に副交感神経が優位になれば、側頭骨が上がります。

一般的に自律神経の変動と言われる変化は、このような頭蓋骨の変動としても表れます。だから頭蓋骨を変化させることができれば、自律神経を整えることが可能だということになります。

と言っても、頭蓋骨に力を掛けて、ぐっと押すようなことをすると、たいへんなことになります。でもそういう人がいるらしい。それで具合が悪くなった人が来たことがありました。

そんな危険なことをする必要はありません。初めに書いた「経行」をすると、その日の夜、自分の頭の形を朝起きた時に調べてみると、見事に側頭骨が変っていました。側頭骨が上がって、副交感神経優位になったということです。

自律神経を整える福田・阿保理論では、交感神経優位になっていることが色々な病気につながると言われています。でも手足の爪の横のツボを押し続けるのは、かなりの努力を必要とするわけで、私などは、面倒くさくなって止めてしまいました。効果もすぐには感じられないので、続けるのは、なかなか大変なのではないか。

それより「経行」をやるのは、簡単ですし、やると、ただちに効果が出ます。自律神経失調と言われて悩んでいる人は、これを試してみてはいかがでしょうか。

「隻手」(せきしゅ)という手の形をとって、部屋の回りをそっと歩くだけです。

「隻手」の形は宗派によっても違いがあるようなので、私は、気功の時の掌の重ね方も考慮して、女性は、左手の親指を右手で握って両手を胸の前に当てる。男性は、右手の親指を左手で握って両手を胸の前に当てる。という風にしています。

そうして、1息半歩と言われるように、ゆっくりと前に進みます。この時、自分の足元を見ないように、つまりうつむき加減でやらないようにしてください

自分ひとりだけでやっても効果があります。決して坐禅の後にやるということにこだわる必要はありません。

なぜ自律神経を整える効果があるのか。それはよく分かりませんが、ゆったりと行動することによって、そういう効果が出るのだろうと私は考えています。ウィキペディアの「経行」の項目には次のように書かれています。

── 義浄によれば、経行には、病を取り除き、消化を助ける、健康促進の目的もあったとされる [義浄は、三蔵法師と同じく、インドから仏典を持ち帰り、翻訳した僧侶]

969 腓骨が下がると

第969号 2017年4月25日

腓骨(ひこつ)という骨は、厄介な骨で、同時に便利な骨でもあります。何が厄介かといえば、下がりやすいのが厄介です。何が便利かといえば、下がっているか、外へ出てきているか、という点が解りやすい、施術者にとってはわかりやすく便利な骨ですね。

しかし、下がっているのが簡単に直せるか、となれば、難しいと言わざるを得ない。よほど柔らかさが保たれている場合を除いて、非常に硬くなっている人が多く、下がっているのを上げるのは、やはり簡単とはいえません。

それと同時に、上下に影響を与える。一つは下。趾(あしゆび)が硬くなっている人が多い。これは腓骨が趾に影響を与えるというより、逆に趾が腓骨に影響しているのでしょう。それと上。腸脛靭帯(ちょうけいじんたい、太ももの外側のベルト状の靭帯)が硬くなっている人が多い。

先日も復習会の席上、靴屋のKさんが言われるのに──趾が硬くなっているのが困る。とくに小指がカチカチですね、皆さん。──そう言われてみると、私の足の小指も確かにカチカチです。なぜか。答えを出しにくい疑問ですが、考えてみれば、腓骨が下がってくることと関係しているのではないだろうか。

腓骨が下がってきて、体重がそとにかかるようになる。すると勢い、小指に負担がかかりますから、カチカチになる。そういうことではないでしょうか。以前に小指の関節が少ない人が増えているという話題を載せましたが、こういうことと関係しているのかもしれません。腓骨が下がるという現象が、人間の退化と関係しているのでしょうか。

そうすると、O脚という現象も、腓骨と関係していることが見えてきますし、その他、坐骨神経痛なども、関連する現象であることが見えてきます。

★前号(足が攣る)へのご感想
(1) 群馬県在住 Aさん
「私は、夜中に足がつるのは、冷えからじゃないかと思います。特に夏場は冷たいものを飲んだり食べたり内蔵が冷えています。そうでなくても、冷房で冷えています。冬と違い湯船で温まることもなくシャワーでさっと済ませてしまう。私も以前はふくらはぎがつりましたが、夏場でも寝る時にレッグウォーマーをつけて寝るようにしたところ、つることはなくなりました。」

(2) ベルギー在住 Kさん
「こむら返り(足が攣る)だけでなく、私の場合は太ももから背中もずっと攣ってしまい、今までに相当苦しみました。・・・確かに寝ている時だと、気温が数日後に落ち込むだろう時とか、日中冷え込んだ時に発作の様に起こります。その痛さは経験していない人にはわかりません。

こむら返りは続いても20分です。その間冷えないようにして毛布にくるまってとにかく立ちます。まっすぐに立って待つのです。誰かがいても、どうできるわけではありません。でもそれであとは楽になりぐっすり眠れます。父はこむら返りで他の筋肉の疲れを全部持って行ってくれるからだと言ってました。

マルセル石鹸が[攣りに効きます] ・・・[足にマルセル石鹸をすり込んでおく]。 なぜ効くのかというのは、シーツの間で温まった石鹸が発生するカリウム=ポタシウムのせいです。それが引き攣りをおさえてくれるのです。これ確かに効きます。

[注]マルセル石鹸というのは、地中海マルセイユで作られていた石鹸で、海藻のカリウムを含んでいるという。日本でも、「マルセル石鹸」の名前で売られているものがある。普通の石鹸は、カリウムではなく、ナトリウム。

というわけで、「足が攣る」人は、色々と苦労が絶えないようです。

940 靴はからだに悪い

第940号 2016年12月27日
▼ 靴はからだに悪い

愛知県刈谷市から来られた 50 代の男性 K さん。前回単独でこられた奥様にひっぱられての来訪。

まず、奥様が来られて効果を感じ、続いてご主人が来られるというのは、よくあること。逆は少ない。こういうところにも、女性の積極性が伺えます。

聞いてみると、右手の親指から前腕にかけてひっかかりを感じ、痛むという。触ってみると、手首のあたりが妙に硬い。

硬いというより、ほとんど動いていない感じです。このごろ流行りの表現を使えば、ほぼほぼ動かない。

まずは定石どおり親指から始めます。親指の MP 関節(付け根の関節)が硬く固まっている。ただ、それだけではなく、IP 関節(指先側の関節)も硬く、そのあいだ・指節間の甲側も固まっています。

これはずいぶんひどいことになっているな、と思いながらとりかかります。

と言っても、硬いところをじっと持っているだけですが。これが最近の私の操法スタイル。ごちゃごちゃと色々やらず、じっと持っているだけの方が簡単だし効果もよい、と感じられます。

そうやって数分たち親指は少し緩んで来たものの、動きがあまりない。これ以上続けても、効果はたかが知れています。方向を変えて、手首にかかるとしよう。

手首の操法の対象は下橈尺関節です。つまり、手首の橈側・尺側にある二つのグリグリ、言ってみれば手のくるぶし二つ。茎状突起と呼ばれる二つのグリグリを両手で軽く押さえて、掌側・甲側に動かしてみる。

柔らかな手首であれば、どちらにも動くものですが、固くなっていると一方には動きません。そこで、動く方向に軽く動かして、持続するというのが普通のスタイル、つまり誇張法です。

ところがKさんの手首はまったくどちらにも動かない。重い症状です。動かないものを無理に動かすのは賢くないので、二つのグリグリを軽く持って、そのまま持続することにしました。こんなことはしたことがありません。しかし、この場合やむをえない。

── ずいぶん硬くなっていますが、どうされたんですか。

── 犬と遊んでいる時に引っ張られて。

── ああ、なるほど。

二つの茎状突起を押さえて、じっとしていると、やがて手首がカクッと内側へ捻れて来ました。何度もそういう現象が続きます。何十秒かに一度カクッ、カクッと動く。これは手首が外へ捻れていたのが内へ戻ってくるわけでしょう。

というと、腕はもともと内へ捻れているんじゃないのか。逆ではないのか、と考える人もいるに違いない。からだの関節は、どちら向きに捻れるのか、という問題は難しい点を含んでいます。

機械的に原則通りで何でも考える人は。よく言われるように、この関節はこちら向き、その関節はあちら向きと、原則どおりでいいのかもしれないが、私は、そういう原則どおりに考えることのできない人間で、一から自分で納得できる考え方をしないと満足できません。

そこで、この点の確認は、今後の課題として残しておきたい。私の脳の中の整理箱には、この種の課題がおもちゃ箱のように雑多に詰まっていまして、その中からいつも何かの課題を引き出して考えています。

K さんの手首に話しを戻します。次にどうするかを考えなければなりません。足首にこれと似た現象を見ることはありますが、普通は、このような動きをみることは手首ではありません。K さんの手首には前腕を捻るような力がどこからか働いているに違いない。

どこにそんな力が働いているのか。考えられるのは、足でしょう。足から捻れが腕にまで昇って来ているとは考えられないだろうか。足首、特に距骨周辺には、全身を支配する何かがある。

── 足首がおかしいのではありませんか。

── はい、右足首は、若い時に捻ったことがありました。ハンドボールをしていて、足首を踏みつけられ、足首が直角に回ってしまったんです。直後には、切断しなくてはならないかもしれない、と言われたこともありました。

── なるほど、そんなことがありましたか。それが手首に影響を与えているような気がします。足から引っ張られて上部がおかしくなっていることは、よくあるんですよ。

足首をみると、そんな酷い事故があったことを伺わせる痕跡は残っていませんでした。普通より少し硬い程度。しかし足指を触ってみると、かなり浮き指です。

── 靴に問題がありそうに思いますが、いつもどんな靴を履いていらっしゃいますか。

── 紐のないタイプ、スポッと履ける靴です。

やはり靴に問題がありそうです。そのことを告げると、K さんも、うすうす靴が問題だと感じていたのでしょう。すぐに靴を変えます。とおっしゃる。

というわけで、手首を対象にやっていたのに、足の問題に変ってしまいました。手と足が繋がっているというのは、私が直感的に感じたことですが、K さんも密かに感じておられたらしい。

K さんの例は、かなり珍しい例ですが、一般論として拡大できるかもしれません。つまり、手首の捻れがある人は、足にも問題があり、靴を再検討する必要がある、と。あるいは、もっと拡大して、【からだのどこかに問題のある人は、足にも問題があり、履物を再検討する必要がある】。

私たちは、手首を傷めると、手の使い方に問題があったと考え、膝を傷めると、足や歩き方に問題があると考えるのに慣れていますが、ひょっとすると、そうではなく、すべて靴に問題があるのかもしれません。

しばらく趾(あしゆび)の一つ一つに愉気をしてみました。すると、手首の動きが出なくなりました。やはり足から何らかの力が働いていたと思われます。

それほど靴の問題は大きい。「靴はからだに悪い」という名言もあります。せめてぐすぐすの靴は止め、紐をしっかり結ぶ努力くらいはしたいものです。

938 靴の履き方と学校

2016年12月20日
靴の履き方と学校

読者のSさん(大阪府在住)から、靴の履き方に問題があることに、学校が一役買っているのではないか、と次のようなお便りをいただきました。

──【靴紐を前の方までいったん緩め、しっかり縛り治すプロセスが必要だ】、

これ、自然にやってました! 前の方が緩いと、フィットしませんから。靴紐をちゃんと締めると、足が軽ーく(自動的にという感じ)前に出てくれて、楽に動けるということはわかりました。

それにしても日本人の靴紐締めがいい加減になるのは、ある程度は学校のせいだと思います。とにかく校舎の中に上履きゾーンと下履きゾーンが混在し、靴を大慌てで脱ぎ履きしなければならない場面が多い。

そのため靴を中途半端な(すぐ脱げるような)状態にしておいて、そのまま走ったり、階段登ったりすることが常態化しているんですね。学校の先生もしています。かかとを踏んだり、クロックス等のつっかけを履いたり。

私は仕事柄、大学に取材に行くことが多いのですが、土足禁止の研究室に行くことがわかっている時は、脱ぎ履きが面倒な靴は履いていけないなと考えます。。。他の人を待たせることになってしまうからです。しかし研究室の上り口に脱ぎ散らかしてある靴たちの有様を見ると、持ち主の歪み/捻れ具合が推し量れてしまい「あーあ」と思います。──

なるほど。これが実情だとすると、ますます意識して靴紐に接しなければなりませんね。Sさん、ご意見ありがとうございました。

937 靴紐についての注記

第937号 2016年12月19日
靴紐についての注記

935号で、靴紐の結び方について書きましたが、その時、これでは何かが足りないな、という思いが付きまとい、発信を躊躇した瞬間もあったのですが、それに関して靴屋のKさんから昨日の復習会の時に口頭で的確なコメントをいただきました。

YouTube にある靴の結びかたは、紐がほどけない結び方ということであって、あれで十分な靴紐の扱いとはいえない。靴紐がほどけなくても、紐の前の方がユルユルであっては、足が靴の中でぐらぐら動くので、何にもならない。

まず、【靴紐を前の方までいったん緩め、しっかり縛り治すプロセスが必要だ】、ということです。

では、どのように紐を結べばいいのか、ですが、YouTube に最善といえる動画がなく、興味のある方は、色々見てご自分で考えていただくことだと思います。

ただ、その中で、これは比較的まともなものをKさんのご意見もお聞きして、ご紹介したいと思います。→https://www.youtube.com/watch?v=Wb44ZKl08so

この動画はランニング・シューズの話になっていますが、他の靴でも同様に考えたらいいでしょう。

930 脚長が揃う 16/11/18

脚長(脚の長さ)が違うと色々不都合が出て来るかもしれません。ちょっと考えてみただけでも、歩きにくい。まっすぐに絶ちにくいといったことがありそうです。股関節の不都合もあるかもしれません。

脚長をどこからどこまでと考えるか、考え方によって違いがあるでしょうが、とりあえず、大転子のところから始まると考えれば解りやすいと思います。

大転子というのは、股関節の外側、大腿骨の角といえばいいか、骨盤に大腿骨が差し込んである場所といえばいいのか。要するに、股関節の横あたりにぐりぐりの骨の突起が感じられます。と言っても、腸骨(こしぼね)のことではないので、お間違えのないように。

もっと、ずっと下、股関節の横です。。この位置は、手との相応関係でいえば、どこになるのかというと、小指の中手骨骨頭の側面です。わかりやすく言うと、手の小指の手前にある長い骨の付け根の側面。これが大転子に相応します。

この点に軽い刺激を入れると、大転子が変化し、脚長も変化するということです。

さて、それでは始めましょう。

初めに左右の内果(うちくるぶし)の位置で、脚の長さを較べてみます。仮に右が長く、左が短いと仮定しましょう。もちろん逆の人もいます。

こういう場合、小指の中手骨の骨頭側面を、右は手前方向、左は足先方向に撫でて、しばらく、そのまま受け手に寝ておいてもらいます。

すると、受け手の内部感覚で右脚が伸びる感覚があって、数分してから見てみますと、両足の長さが揃っています。そんなばかなことがあるはずがない、と思う人は、実際にご自分の脚で試してご覧になればよいでしょう。

今まで色々な人で試してみましたが、全然動かなかったのは、ご老体のみで、大抵の人は、脚長が揃って、立ち上がった時に、「違いますね」「あっ長くなった」などとおっしゃいます。

もっとも何にでも例外はあるもので、股関節に人工関節が入っている人の場合は、左右の脚長が違う状態でバランスをとっているらしく、脚長が揃うと却ってあるきにくくなった人もいると試してみた人から聞きました。でも、これも慣れの問題かもしれません。

教室で、この実習をしている時に、片方をどんどん伸ばしたら、どうなるかしら、などと奇抜なことを考えていた人もあるようですが、心配しなくても、そういう摩訶不思議なことは起こりません。

多分、関節のアソビの部分で縮んでいたところが伸びるのでしょう。決して必要以上に伸びるような奇妙なことはありませんので、ご心配なく。

また操法を間違えた時とか、逆にしてみたいという時は、操法を逆にすればいいだけのことですから、言ってみれば、脚長を自由に揃えることができるわけです。

脚長が大きく違う人の場合は、うまく行かないでしょうが、少しばかりの足底板で調節するような厄介なことをしなくてもよくなれば、脚の不自由で困っている人にとっては朗報になるかな。色々お試しください。

不都合や、すばらしい成果などありましたら、お知らせくださると、さいわい。

 

893 かかと呼吸

第893号 2016年4月22日
▼  かかと呼吸

中国の古典中の古典 『莊子』(そうじ) の中に次のようなくだりがあります。

「真人の息は踵を以ってし、衆人の息は喉を以ってす。」
(福永光司・他訳、ちくま学芸文庫「内編」・大宗師編第六)

現代語訳の部分には、どう書いてあるか。「真人の呼吸は踵の底でするが、普通の人の呼吸は喉でする」 とあります。「踵の底でする」 とは、どうするのか、もちろん、そんなところから呼吸ができるわけはありません。「真人」 とは何か。これも現代語訳を読んでみると、「天の営みを知り、天とともに自然に生きる人」 というくらいの意味らしいと思われます。

そこで、どうするのか、やってみました。踵の底で呼吸をする気持ちで息をする、ということでいいのではないか。つまりある種の気功法を表しているのではないか、と考えたわけです。

歩きながら、やってみました。ゆっくり歩きながら二歩進む時に息を吸います。次に四歩進む時に息を吐きます。この時、踵の底から息を吐くつもりで吐く。これをしばらくやっていると、足がぽかぽかと暖かくなります。足の気のめぐりがよくなったのでしょう。冷え性の人は、試してみる価値があると思います。

なぜ二歩と四歩なのか。まず奇数にすると、左右が混乱して歩きにくい、という理由があります。そして、二歩と四歩は、吸う息は短く、吐く息は長くという原則に合っています。

なお、念のために付け加えておきたいこと。歩き初めの一歩は、自分の重心側と反対側でやるのが望ましい。歩いている時には、自然に重心側に意識が行っているもので、例えば私は左側に重心があって、左に左にと行きやすい。そこで、意識的に左右を逆にするのは難しくありません。

すると、吸う息の二歩の最初の一歩は重心とは反対側を出していることになりますし、吐く息の四歩も最初の一歩は重心と反対側を出しています。

このようにして歩くと、自然に無意識の世界を書き改めることができるように感じられます。どちらの足から先に出すか、というのは無意識の世界でどちらかに偏っているもので、そういう無意識はなかなか変更しにくいと考えられていますが、そうでもありません。かかと呼吸をしながら歩くと、自然に無意識が変更される。

そして、ここが重要なところですが、かかと呼吸を続けながら、私の場合ですと、朱鯨亭まで30分あまりを歩いて行くと、自然にからだ全体がぽかぽかとしてきます。気功法をしていることにもなる。一石二鳥にも一石三鳥にもなる。

手が冷たくて悩んでいる人は、かかとでなく、手先呼吸をしてください。手がぽかぽかと暖かになってくるでしょう。

これであなたも 「真人」 になれるかもしれません。そういえば、私の玄祖父(おじいさんのおじいさん)は、「真人」 という名前だったらしい。「まこと」 でも 「まさと」 でもなく 「しんじん」 だったそうですから、名付け親は 『莊子』 を読んでいたのでしょう。ちなみに 『莊子』 を書いた人は、「そうじ」 ではなく、「そうし」 という名前でした。

890 いきなり走ると ・・・

第890 2016年4月11日
▼ いきなり走ると ・・

いつも走っていない人が、いきなり走るとどうなるか。結論を先にいいましょう。

危険ですから、おやめなさい。

50代の女性さんは普段、何も運動をしていないので、走ってみようと考えた。

強い走りにならないように、そろそろと走られたそうです。でもダメだった。

足首が痛くなったからです。足首がどうなったのか。

踝(くるぶし)の辺りが痛くなった。困って朱鯨亭に来られたという次第です。

さっそく拝見しますと、あまり見ない症状でした。左足の外踝も内踝も痛いという。(解剖学では外果、内果と書きますが、ここは一般的にこう書いておきます)

いろいろ試みました。最終的に距骨(足首のベアリングになっている骨)が内側へズレていて、それがどんな方法を使っても元に戻ってくれない。

「えらいことをしてしまった」 と後悔の言葉を残して帰られた。

どういうわけで、こんなことになったのか。

普通は、こんなことにまではならないものです。下腿の脛骨と腓骨とが、互いに開いてしまうというのは、普通によく見られる現象であることは、すでに何度も書きました。

Aさんの場合は、その範囲を逸脱して、外踝と内踝が開いてしまった。

ここは、通常は、そんなに開かないように靭帯が頑張っている場所ですが、それが緩んでしまって脛骨と腓骨の下端が開いてしまったんです。

こんなことはないはずだが、と思って他の人を観察してみると、こんな状態の人が結構いるようです。

どうすればいいか。

硬い舗装道路の上を走るのをやめることでしょう。

走ると、歩く時とくらべ、遥かに強い力がかかると書いている人がいます。その通りだろうと思います。走ると、瞬間的に飛び上がっているのですから、そりゃ強い力がかかるはず。

かかった強い力が外踝と内踝を広げる力として作用してしまった。

いまの世の中には、「健康信仰」 やら 「運動信仰」 やらが新宗教として定着しているように感じます。「筋トレ信仰」 も困ったものです。

こんな信仰が払拭される時代がくることを私は待ち望んでいます。

840 浮き指(3)

路地裏の整体術 第840号 2015年9月25日
▼ 浮き指(3)

浮き指の問題について、極めて詳しいサイトを見つけました。次のところです。

浮き指専門サイト http://www.ukiyubi.net/

浮き指について、私の考えを書こうと思って、この連載を始めましたが、この
記事を読むと、そう簡単には終わらない感じになってきました。内容が広いので、
私自身このサイトの内容を検討していません。無責任のようですが、各人で判断
なさってください。今後少しずつ読んで行きたいと思っています。

ここに書かれていることが正しいとすると、足について、考え方を改める必要が
あるな、と思いますが、ようするに、靴を履いて、舗装道路の上を歩いている、
足の裏を使っていないということに尽きるのかもしれません。さて、みなさんは
どう感じられるか。ご意見をお寄せ下さると、ありがたいです。

839 浮き指(2)

▼ 路地裏の整体術 第839号 2015年9月21日
▼ 浮き指(2)

第1回の内容を読んでメールをくださった方があり、概要つぎのような内容でした。浮き指と関係があるような、ないような。

──知り合い女性(50代)に聞いた話です・・・。ある日足の小指を箪笥だかにぶつけて、いつまでたっても痛いままなので病院に行ったそうです。そこで診てもらうと 「あなたは足の小指の関節が一つ足りない」 と。

当人も長いこと人間をやってきて初めて知ったらしいのですが(笑)、その医者曰く、「昔は100人に1~2人だったけど最近は30~40人いる。歩いたりふんばったりすることがなくなったから退化的に進化しているんじゃないか? アメリカあたりでも同様の事態になっている。」 とのこと。

その医者的には 「だからまぁ、心配することではない」 というニュアンスだったそうですが、また聞きの私からしてもうすら怖い内容です。

またその医者は 「そのうち指の数も減るんじゃないか?」  と笑っていたそうですが、なんだか全く笑えない ・・・。

同感ですね。『私たちは今でも進化しているのか?』 という興味深い本があり、「炭水化物ダイエット」 に反論するのが著者マーリーン・ズックさんの論点のようですが、進化が起こるのに、数万年というような長期間を要するという考え方は誤りで、いまもどんどん進化が起きている。私たち人類にも進化が起きているということのようです。

「進化」 と呼び、「退化」 と呼んでも、同じことで変化の方向が違うだけですから、足小指の変化も、案外急速に進んでいるのかもしれません。

そこで検索にかけてみると、足小指に触れた記事が結構みつかります。例えば、

http://matome.naver.jp/odai/2139022131366864001

に詳しい記事があります。日本人は、小指の関節が少ない人が多い、というのですが、さて、あなたの小指はいかがでしょうか。

838 浮き指(1)

路地裏の整体術 第838号 2015年9月17日
▼ 浮き指(1)

まぐまぐニュースに次のような記事が出ています。
http://www.mag2.com/p/news/15688

(以下引用)
──真っ直ぐに立てない子どもたちが増えているという事実、ご存知ですか? 子育てに関する具体的なノウハウを配信する『子どもが育つ「父親術」』で今回取り上げられているのはその「浮き指」という症状。放っておくと学力にまで影響するという浮き指の防止・改善法を紹介しています。

親子でできる簡単浮き指防止・改善法
また、ネットで気になる記事を見つけてしまいました。題名は「まっすぐ立てない子どもたち」。mixiニュースでも見かけたので、ご覧になった方もいるのでは? その記事で取り上げられていたのが「浮き指」という症状。「足の指が床につかない」というのですが、想像できますか??

浮き指になると、立ち姿勢でのバランスがとりにくくなるのでまっすぐ立っていられなくなるとのこと。その他にも「膝を曲げてゴリラのように歩く」「座る時の姿勢も崩れて猫背になる」などの影響が出るようです。

浮き指になってしまう原因は、小さい頃に必要な運動が不足していたからと考えられているそうです。「必要な運動」と言っても、そんなに特別なものではありません。

つかまり立ち
伝い歩き
歩行

など、どの子も放っておけば勝手にやるようなことばかりです。

ところが・・・記事中に紹介されていた都内の小学校では、全校児童の8割以上が浮き指だったとのこと。そのため、全校集会で『姿勢体操』なるトレーニングを取り入れているとか。

これは、危機的と言える状況でしょう。

この小学校が悪いわけではありません。むしろ、この異常事態に真摯に対応していると思います。問題なのは、小学校に入るまでの6年間もの間、浮き指になってしまうような環境・状況に子どもたちが置かれていたこと。

いろいろな要素はありますが、これは親の責任でしょう。体力は、全ての活動の基礎になるもの。これを育むのは、まぎれもなく親の責務です(基礎的な体力は、学力にも影響します。このお話は次回に・・・)。

(ここまで引用)

さて、問題の「浮き指」ですが、要するに趾(あしゆび)が付け根の関節から、上に折れ曲がって、上がっている。そのため趾が地面についていない、というものです。程度の差は色々あっても、大人にもよく見られます。「よく」というより、子ども達と同じように「8割以上」の人に見られると言った方がよいくらい蔓延しているのではなかろうか。あなたの趾は地面にしっかり着地しているでしょうか。靴下を脱いで確かめてみてください。少し上に曲がって、
浮いているのではありませんか。

とすれば、あなたも子どもたちと同じ運動不足だということになりますね。どこへ行くのにもクルマという時代ですから、止むを得ないことなのかもしれませんが、趾のこの状況のために、操法をする者は苦労を強いられることになります。つまり身体の全体をしっかりと整えたと思っても、趾が悪いために、すぐに逆戻りしてしまう、という現象が広く見られるようになってきたように感じます。

次回は、この問題を詳しく考えてみます。

831 ナンバ歩き(四)

路地裏の整体術 第831号 2015年8月20日
▼ ナンバ歩き(四)

ナンバ歩きに関して、いくつかのご意見をいただいております。それぞれ、参考になる点がありますので、まとめてご紹介いたします。

■Kさん(北海道)という方から、驚くべきご報告をいただきました。

──以前、ギックリ腰になりネット検索したことから、路地裏の整体術を読んでいます。難しくてわからないことも多いのですが、今回のナンバ歩きは実践してびっくりしたのでメールさせていただきます。

私は心疾患により、少しの坂道や階段を上る時でも途中で休まなければなりません。先日高低差約30m、距離約250mの上り坂をナンバ歩きで上ってみました。

何と一度も休憩することなく上り切ってしまいました。本当に自分が信じられませんでした。いつもならゆっくり上って途中で3回は休んで息を整えていましたので。

この時の嬉しさと言ったらなかったです。自分に自信が持てました。これからはできるだけナンバ歩きで歩こうと思っています。

ありがとうございました。

■Mさん(住居地不明)から次のような参考になるご意見もありました。やり方によって、深みのあるやり方にもなりうると思われます。

──私は、いわゆる、ナンバ歩きを二十年弱続けております。最初は、ナンバ歩きを練習しようと思ったのではなくて、身体の使い方について、色々、やっていたら偶然にそうなったのです。
「そういえば、最近、ナンバ歩きというのが話題だが、これがそうなのか?」
と興味をそそられ、そのまま続けて、二十年弱になります。

つまり、身体のバランスで、偶然にそうなったのですから 、現代人の身体使い(バランス)のまま、訓練でナンバ歩きを作るのは、少し違う気がしております。

その偶然の経過を書かせて頂こうと思いますが、その前に・・・
歩き始めて間もないころの赤ちゃんを思い浮かべて頂きたいです。手は振ってません。手を振る筋肉がまだついておりません。
全身の筋肉が弱いのに、立って歩くのですから、非常に効率の良い歩き方だと思います。

つまり、人はみな、いわゆるナンバ歩きの時代があったことになります。そのまま成長したのが、手を振らずに歩いた昔の日本人かもしれないですね?

人間の歩き方は、先天的ではなく、周りを見て覚えるのだそうです。甲野さんの本に書かれてますが、オオカミに育てられた人間は、一生四足をやめなかったそうです。

さて・・・私が、いわゆるナンバ歩きに偶然になった経過です。当時、武道をやっていた関係で、とにかく力を抜くことを研究しておりました。

あ・・・前提条件として、骨盤の角度が前傾しすぎていてはダメです。手を振る現代人は、前傾過ぎの人が多いように感じます。「仙骨姿勢」という本がありますが、なかなか参考になると思います。(太極拳の骨盤の角度なども参考になります)

まず、壁のそばで、背中を壁に着けずに立ち、頭皮・顔の力を抜き、首の力を抜く。気持ちをほっとさせるのがコツでした。
それができたら、背中の筋肉が重力で地面に落ちるくらいのイメージで、力を抜きました。
ここまでは、骨盤の角度に問題なければ、意外と簡単だと思います。

コツがいるのが、肋骨のすぐ下(周囲全部ですが特に胸椎12番下)~骨盤のすぐ上・・・方形筋などの特定の筋肉を考えると間違うような気がいたします。肋骨のすぐ下は、リラックスして横隔膜が下がるくらいのイメージで抜きます。そのイメージを骨盤の上(腸骨稜辺り)まで広げて、力を抜き続けます。

これが上手くいくと、突然、後ろに倒れ始めます。(だから、壁のそばに立ってやります)驚くほど、明確に倒れ始めます! つまり、現代人の多くは、背中の筋肉をぐっと力を入れ、締めて、それをバランスして立っているわけです。

ここまでできれば、あとは、簡単です。後ろに倒れるくらい力抜けたら、それを維持して、まっすぐ立ちます。
要は、倒れないように、身体を前に傾けて、バランスとって立つわけです。

さて、その状態のまま、何も考えずに歩くと、手を振ってないです。手を振る必要が無くなります!! ここまでで、いわゆるナンバ歩きはできますが、その後、背中側だけでなく、胸、お腹はもちろん、全身の力を抜いていくと、さらに発展していきます。

因みに、この状態の身体は、研究すると驚くことがいっぱいあって、楽しいです。気持ちの操作なども楽になってくるようです。また、相撲なども、 こういう状態の身体でやれば、決して、外国人には負けないと思いますし、スポーツでもかなり有益だと思います。私自身は、腰椎分離症ですが、かなり助かっています。

ナンバ歩きを、一般の方にまで広めるのは、なかなか難しい気がいたします。一つには、もし、私の説明通りできたとしても、それを日常の身体として定着させるには、やはり、それなりの期間が必要です。

毎日毎日、一日中意識して、2週間以上はかかると思います。その間、非常に興味深い身体の変化を体験できるのですが・・・私も、これまで、何人かに伝えてきましたが、身につけることができたのは一人だけです。

ただ、伝える過程の部分部分については、一般の方にも役に立つ部分はあるように思います。いくつかあげれば・・・特に、力の抜き方・・・特定の筋肉に注目し、観察しながらでは、力は抜けず、抜きたい場所を意識しながら、ホッとする気持ちで力が抜ける事。

頭部、首の力を抜いて、それを維持しながら何かの作業にかかれば、不意の腰痛予防効果があること。
そして、骨盤の角度は、現実には、ヘルニアの方などには、かなり役に立つことがあるように感じました。

■Sさん(愛媛県)からは、踊りとの類似を指摘していただきました。

──今回のナンバ歩きの記事で、夏のお盆時期ならではの「ある動き」に似ているとふと思いました。

「四国、お盆」と言えば・・・徳島の夏祭り「阿波踊り」の動きは、手と足を同時に出し、体幹は捻らせず、「女踊り」は特に、頭から足まで、キリっと真っ直ぐに踊ります。

それから、それぞれ地方ならではの踊り方はあるとは思いますが・・・盆踊りも手と足が同時に出しながら踊ります。どちらも、長い時間を踊ります。

身体を捻らないからこそ長い時間踊り続けられるのでとても理にかなっているのではないかと思いました。

830 ナンバ歩き(三)

路地裏の整体術 第830号 2015年8月16日
▼ ナンバ歩き(三)

昔の人々のからだの使い方を見るのに最適の本があります。

葛飾北齋『北齋漫画』(芸艸堂、2007年)

この他にも文庫本も出ています。(青幻舎、2014年)

私の持っているのは前者です。

人の歩く姿を探して見るのですが、ぶらぶらと何も持たずに歩いている姿がほとんど見当たりません。歩いている人は、多くが肩に何かを担いでいるか、手に何かを持っています。つまり、歩いていても、ほとんどの人が何かの仕事の一部として歩いています。飛脚とか、駕籠かき等もいます。

これは北齋が、そういう姿に興味を持ったからだ、とも言えるでしょうが、今の人々が歩く姿と比べると、随分と違うなと感じます。歩くことが仕事と一体になっていたといえばいいでしょうか。北齋を探しても、歩く姿がありませんので、今度は広重の版画をみてみました。

東海銀行創立50周年記念『風景版画の巨匠 広重』(1991年、非売品)

という画集に「東海道五十三次」などが網羅されています。

ここには歩く人の姿が多数見られます。隷書版五十三次の「日本橋」に江戸は日本橋を渡る人々の姿がたくさん描かれていて、興味を唆られます。ただし、ここでも、腕をぶらぶらと何も持たずに歩いている姿がほとんどありません。

武士が二人並んで歩いていて、手前を行く武士は腕と脚が同時に前に出ているように見えます。ようするに、ナンバ歩きをしていると見えます。何も持たず歩いているのは、中央付近をあるいている僧侶、しかし、この人は手がころもの中に隠れていて、腕を振っている様子はありません。

他は、天秤棒を担いでマグロか何か大きな魚を運んでいる男、風呂敷を背に、お使いにでも行く様子の丁稚風の若い男、振り分け荷物を肩にした旅人、桶を担いで行く鉢巻すがたの職人、数人かたまって行く若い女性集団、彼女たちは、いずれも袖の中に手が隠れていて、腕を振っている様子はありません。

こんな風で、どの人を見ても今風に腕を振って歩いている人は一人もいません。北齋と同じで、すべて働いている人達のように見えます。用もないのに、街の中をぶらぶら歩くという習慣がなかったと思われます。時代劇などに、通りをぶらぶら歩いている人達の姿が出てきますが、あれは、史実とは違っているのではなかろうか。

朱鯨亭のお客様で、山間部から来られた女性に、おたくの近くだったら歩けるところがたくさんあるでしょう、と尋ねたところ、うちの近くを一人で歩いていると、あの人は「おかしい」と言われるとおっしゃったのが妙に記憶に残っていますが、江戸時代もそうだったのかもしれません。

要するに現代とは、歩く文化がまったく違っていたと思われます。仕事や職業のあり方もまったく違っていたでしょう。衣服の違いもありますし、今の観点から、それをどうこうと言ってみても仕方がない、という気がします。

江戸の日本橋を歩いている人達の共通点は何か。腕を大きく振って歩いている人がいないという点ですね。

それから全体に杖をついている人が今より少ない。老人が少ないということもあるでしょうが、ナンバ歩きを続けていると、膝がよくなって来たという報告もあります。身体を捻らないため、膝に故障を起こしにくいのかもしれません。

◆ナンバ歩きをしている人からのご意見
──一度大阪で講習を受けバネ指をその場で治して頂きました。それから体と
良く向き合うようになりました。ナンバ歩きは何年も前に古武術で普段役に
立つ本の中に書いてました。それから仕事には意識して階段の上り降りにし
ています。凄く楽になりました。ガスメーターの検針をしていますが、夏は
特にやくにたっています。会社で言うのですがみんな難しいので出来ません!
説明が下手なのでしょうね? 年を重ねた人にもっと広まれば良いといつも
思っています。

829 ナンバ歩き(二)

路地裏の整体術 第829号 2015年8月14日
▼ ナンバ歩き(二)

ナンバ歩きを実際にやってみようと思い立ったのは、次の本を読んだのが契機でした。

大黒屋宏芳 『ナンバ歩きの秘訣』(歩行道普及協会、2011年)

ここには、ナンバ歩きの利点が数多く挙げられています。まず「歩危防止」が第一に挙げられています。「歩危」というのは著者の独特の用字法で、かなで書くと、差別だとか何だとか非難されるのを避けるためでしょう。

本書には、「人間の二足直立歩行の正しい歩き方として日本人が保存してきた、宇宙の法則に則った身体所作」だと書かれていて「身体所作によって意識を高め、驚くほど意識を活性化させることのできる方法」である、と断言されています。ちなみに著者が設立した「歩行道」協会は「あるきどう」協会と読みます。

ナンバ歩きをしてみて、私は何を感じたか。

普通一般に現代の人が歩くときには、腕を前後に振って歩きます。すると、どうなるか。腕と脚とが互い違いに前に出るので、胴体が常に捻れていることになりますね。上半身と下半身とが、常に捻れつつ歩いて行くことになります。

これに対してナンバ歩きをすると、著者の言葉を借りれば「上体も脚もエネルギーを消費しないうえ、抵抗を受けにくいために、さらにエネルギーを温存できる。最小限の労力で最大限の効果を上げる、コストパフォーマンスの抜群にいい走行法」だという言葉が納得できます。速度が出るのに、疲れにくいというメリットが感じられます。

現代人の一般に歩いている歩き方は、明治以降、兵隊がまともに走れないことに衝撃を受けた軍部が訓練用に編み出し、学校教育に取り入れ、運動会などで生徒にさんざん練習させた「行進法」だと言われます。ですから(前回の甲野さんのお話にも西南戦争の話題が登場しますが)、これを「行進歩き」と呼んでおくと「行進歩き」は胴体を捻りながら歩くので、その分エネルギー消費が大だということになります。

「ナンバ歩き」に対して別の言い方として「常歩」(なみあし)という呼び方を提唱しているグループがあります。詳しくいうと、「常歩」と「ナンバ歩き」は、違うことになるようですが、細かく専門的なことを言いだすと、一般の人たちが困惑し歩けなくなってしまいます。ですからこの二つは同じものだとおおまかに考えておきます。(スポーツに応用するなど専門的な追求を目的とする方は常歩についてご自身でお調べになってください)。

828 ナンバ歩き《一》

路地裏の整体術 第828号 2015年8月13日
▼ ナンバ歩き(一)

「ナンバ歩き」という言葉を聞いたことがある人は多いようです。では、実際にナンバ歩きをしている人は、と問うてみると、少ない。ナンバ歩きの説明として「脚と腕を同時に前に出す」というようなことが言われ、実際にそんな歩き方をしてみても、うまく行かないですから、諦めてやらない。そんな事情があるように思われます。

初めて「ナンバ歩き」という言葉を聞いたという人のために書いておきますと、「脚と腕を同時に出す」歩き方ではなく、【腕を振らない歩き方】といえば正確だろうと思います。

具体的にはどうするか。決まった形があるわけではないので、好きなように歩けばいいのですが、例えば、両手を握って腰にあてて歩けばよい。手首のあたりを腰骨に当てる感じでしょうか。

お能を見ていると、登場人物は決して腕を振っていません。手に扇などを持っているか、太もものあたりに手を当てているかでしょう。あれがナンバ歩きです。

簡単にいえば、ナンバ歩きという特殊な歩き方があるわけではなく、腕を前後に振らずに歩けば、それがナンバ歩きになっているということです。ですから階段の上がり降りには、誰もが無意識のうちにナンバ歩き、またはそれに近い歩き方をしています。

「ナンバ歩き」という呼び方が昔からあったのか、というところは議論の分かれところらしいですが、例えば古語辞典を引いてみても「なんば」というのは出て来ません。一説によれば、映画監督の武智鉄二さんが使い始めたとも言われます。

武智さんは歌舞伎の世界にも関わっていましたから、歌舞伎の世界に「ナンバ」という言い方があったのでしょう。とすれば、それが何年のことであれ、ずい分新しい話で、江戸時代からナンバ歩きという言い方があったわけではないことが明らかでしょう。

どんな歩きなのか。YouTube に三上一人さんの実演がありますから、どうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=CAMOW57JXJE

また古武道で有名な甲野善紀さんのお話も参考になりますよ。こちらもどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=DC66NZj8pJ4

甲野さんのお話の中に、「前に倒れていく力を使ったんだろう」というくだりが出てきます。確かに、やや前傾姿勢で脚を出して歩いてみると、2割ばかり速く歩けることが分かります。

(続く)