965 掌・内臓・手のしびれ

2017年3月21日

三題噺(さんだいばなし)のようなタイトルで、何のことかと訝しく思う人が多いかもしれません。

え、三題噺って何か分かりません? まったく関係のない3つの題を出してもらって即興でお話を作るということです。

ここで三題噺の練習をしようというわけではなく、こんな題が付くような操法をすることになった経緯をお話しようという次第です。

以前、毎回のように教室に通っておられたFさんに梅林でばったり出会ったんです。

以前ちかしくしていた人と、どこかでばったり出会うということがあるものですが、それは単なる偶然ではない。自分自身が、この人を引き寄せているのではないか、そんな風に私は感じます。

案の定、それから数日して、このFさんからメールが来た。手が痺れて鉛筆が持てない。何とかならないか、というご依頼でした。

してみるとFさんの方からも、私を引き寄せていたのかもしれません。

さて、Fさんが奥様づれで、いらっしゃいました。さっそく手を拝見するのですけれど、どこが悪いのか、よく分からない。手がしびれるという人には、胸鎖関節やら、肘やらを探ってみるものですけれど、そんなところを調べてみても、一向によくなりません。

時間がかなり経って、こちらにも焦りが出て参ります。

こういう時は操法を止めて、じっくり考えるに越したことはありません。トイレに行くのもよし。お茶を飲むのもよし。別にサボっているわけではなく、気分転換を図るわけです。

そうすると、いままで自分を縛り付けていた発想から離れることができます。

しびれの原因が掌側にあるのか、甲側にあるのかを確かめてみよう、という発想が沸いてきました。

── 掌を広げる時と、閉じる時と、どちらが痺れを強く感じますか。
── 広げる時ですね。
── そうですか。屈筋側に問題があるわけですね。

という答えが出たということは、掌側に問題が潜んでいるということになります。肩から肘、手首とたどる道筋は主に甲側に発想しているでしょう。これは逆のことをしていたに違いない。

屈筋側に問題が潜んでいるとすると、手首から先の屈筋は掌の「浅指屈筋」が代表的ですから、その辺りに何か原因があるのではないか。

とすると、最近よく取り上げている、金星丘と内臓の関係が、どこか知ら繋がっている気がします。

内臓の下垂があって、そのために浅指屈筋に拘縮が発生している。それが痺れの根本原因になっているのではないか。

今まで、こういう発想で操法をしたことはないのですけれど、こういう発想を採用しなさい、と「天からの声」が届いているのだと考えてみたんです。場合によって、このような飛び離れた発想を採用することも必要です。

自分の発想が何かに固定してしまうほど怖いことはない。

固定してしまうと、にっちもさっちも行かなくなって、苦し紛れにおかしな操法をしてしまって失敗したことが、これまでにも何度もありました。力づくで何かをしようとしてしまう。これは完全に失敗のパターンです。

発想の転換をすることが、ぜひとも必要な場面がときどきあります。特に従来の操法で、いかんともしがたい場合。

そういう訳で、Fさんの掌をあちこち押さえてみました。すると、案の定、あちこちに圧痛があります。圧痛の位置に応じて、内臓を軽く押さえて押し上げてみると、圧痛が消えて行きます。

手の痺れを取る操法としては、何重にも迂回して手に戻っているという奇妙な操法に違いない。

けれど、やっていて、これだ、という感触を感じました。圧痛が次々を消失していくからです。

── これでどうですか。痺れは?
── 大部らくになりました。これなら鉛筆が使えそうです。
── それは良かった── といいながら私は、本当かな、と疑っています。

結局Fさんは、逆立ちをして、内臓の下垂を直してみます、とおっしゃる。確かFさんは、80歳が近いはずです。この元気に私は唖然とするしかありません。

私は今年70になりますが、負けてはいられないとFさんの元気をいただきました。何かと勉強になった一日でした。やはり偶然にFさんに会ったのではないと今でも思います。

内臓の下垂→掌の屈筋の拘縮→手の痺れ、という三題噺のような関係ですが、こういう関係が明らかになるというのも、共鳴法のメリットでしょう。

959 胃下垂と浅指屈筋

第959号 2017年3月2日
▼ 胃下垂と浅指屈筋

前回、心臓と肝臓の下垂について調べました。今回は、胃下垂についてです。

といっても、内臓の下垂は繋がっているらしく、胃だけ下垂しているわけはなく、隣接する内臓も同時に下垂していると考えた方がよさそうです。

これに気づいたのは、肝臓の下垂を調べている時でした。肝臓が下垂しているというようなことが有りうるのであれば、それに隣あった膵臓とか十二指腸とかも下垂しているのではないか、いや、そういう意味では胃も下垂しているのではないか、と思ったわけでした。

どこで、前回、圧痛の有無を調べた右手の金星丘の隣はどうか。と思って周辺を調べると、
金星丘の上に示指につながる浅指屈筋(せんしくっきん)の腱があります。金星丘から上に辿って行くと、つっぱったスジが触るでしょう。(浅指屈筋については、筋肉の解剖図などで確認してください)

ここに少し圧痛を感じました。そこで、これは胃下垂ではないか、と考えました。

そこで、胃と、その下の下腹部を両手で押さえ、少しばかり上に押し上げるようにしていると、確かに浅指屈筋の腱が緩んできました。

ですから、肝臓や心臓だけでなく、胃など、その外の内臓も調べるようにしようと考えました。ですから、短指屈筋の腱を調べて、その圧痛を除去すると、胃下垂だけでなく、その周辺の下垂を修正できるのではないだろうか、というのが結論です。

特に女性の場合には子宮や卵巣を切除している人がかなりいます。そういう方々は、あるべきところにあるものがないのですから、下垂し易いことでしょう。

もう一つの教訓は、掌は内臓と深い関係があること。高麗手指鍼でも掌に内臓のツボが多く確認されています。

さて、以上の操法から引き出せるもう一つの教訓は、ある操法を施した後で、その周辺にも似たものがないかどうかよく考えてみるということ。これは私がものを考える時に、よく使っている一般原則の一つです。【類縁の原則】とでも名付けておきましょうか。

959 心臓の下垂

2017年2月27日

── くっきりした素晴らしい運命線ですね。

操法の最中にお客様の掌が上向きになっている時、手相をちらっと見てそんな風にいうと、嫌な顔をする人はいません。手相の話は皆さん関心が高いと見えて、しっかり聞いてくださいます。

手相というと、生命線だとか感情線だとか、「線」が関心の中心になることが多いけれど、周りにある「丘」にも重要な意味があるようです。

親指の付け根の「金星丘」、薬指の付け根の「太陽丘」、その他いろいろ名前が付けられていますから、興味のある方は、こちらでどうぞ。http://syunneta.com/fuusuieki/2tesou/

さて、その「金星丘」のお話です。親指の付け根のふっくらとした丘。ここを押さえてみると、という話は以前に書きましたね。右手の金星丘を押さえて痛みを感じる時は、肝臓が下垂しているという話を書きました。[928号] です。

では左手の金星丘が痛い時は、どうなのか、という疑問が出て当然ですが、実際にメールで尋ねて来られたのは、お一人だけでした。

答えは「心臓の下垂」です。こういう話は聞いたことがないという人が大部分で、大抵の方が怪訝な表情をされるのですが、内臓下垂は珍しいことではなく、重力の自然法則から言っても、当然ありうることのようです。

心臓が下垂すると、どうなるか。不整脈が出ることが多いように感じます。逆にいうと、不整脈で困っている人は、左手の金星丘を押さえて圧痛を感じるかどうか試してみるのがよい、ということです。

不整脈と言われてもピンと来ないなら、動悸を時々感じるということです。時々、何もしていないのに心臓がドキドキするという人がいますが、そういう人は不整脈を起こしているわけです。(不整脈にもいろいろ種類がある、というような医学的な話は、いまは割愛します)。

左手の金星丘を押さえて圧痛があった人は、自分の心臓に掌を当てて、少し上向きに押し上げるつもりで、じっとしていてください。時間にして数分。心臓の位置は、左寄りと思われていますが、押さえるのは胸の中央でよろしい。

その後で、左手の金星丘を押さえてみる。見事に圧痛が消えていることでしょう。まだ残っているようであれば、もうしばらく同じことを続けてみればよい。

これで動悸がおさまる人もいるのではないか、と思います。

右手の金星丘に圧痛がある人は、肝臓に問題がある可能性がある、と言うのは [928号] に書いたことです。

じゃあ、胃下垂はどうなのか、という質問が出ても不思議ではありません。私にもそういう疑問が浮かびました。

以上の心臓と肝臓の件は教えてもらったことでしたが、ここから先は私が見つけたことです。
(次号につづく)

940 靴はからだに悪い

第940号 2016年12月27日
▼ 靴はからだに悪い

愛知県刈谷市から来られた 50 代の男性 K さん。前回単独でこられた奥様にひっぱられての来訪。

まず、奥様が来られて効果を感じ、続いてご主人が来られるというのは、よくあること。逆は少ない。こういうところにも、女性の積極性が伺えます。

聞いてみると、右手の親指から前腕にかけてひっかかりを感じ、痛むという。触ってみると、手首のあたりが妙に硬い。

硬いというより、ほとんど動いていない感じです。このごろ流行りの表現を使えば、ほぼほぼ動かない。

まずは定石どおり親指から始めます。親指の MP 関節(付け根の関節)が硬く固まっている。ただ、それだけではなく、IP 関節(指先側の関節)も硬く、そのあいだ・指節間の甲側も固まっています。

これはずいぶんひどいことになっているな、と思いながらとりかかります。

と言っても、硬いところをじっと持っているだけですが。これが最近の私の操法スタイル。ごちゃごちゃと色々やらず、じっと持っているだけの方が簡単だし効果もよい、と感じられます。

そうやって数分たち親指は少し緩んで来たものの、動きがあまりない。これ以上続けても、効果はたかが知れています。方向を変えて、手首にかかるとしよう。

手首の操法の対象は下橈尺関節です。つまり、手首の橈側・尺側にある二つのグリグリ、言ってみれば手のくるぶし二つ。茎状突起と呼ばれる二つのグリグリを両手で軽く押さえて、掌側・甲側に動かしてみる。

柔らかな手首であれば、どちらにも動くものですが、固くなっていると一方には動きません。そこで、動く方向に軽く動かして、持続するというのが普通のスタイル、つまり誇張法です。

ところがKさんの手首はまったくどちらにも動かない。重い症状です。動かないものを無理に動かすのは賢くないので、二つのグリグリを軽く持って、そのまま持続することにしました。こんなことはしたことがありません。しかし、この場合やむをえない。

── ずいぶん硬くなっていますが、どうされたんですか。

── 犬と遊んでいる時に引っ張られて。

── ああ、なるほど。

二つの茎状突起を押さえて、じっとしていると、やがて手首がカクッと内側へ捻れて来ました。何度もそういう現象が続きます。何十秒かに一度カクッ、カクッと動く。これは手首が外へ捻れていたのが内へ戻ってくるわけでしょう。

というと、腕はもともと内へ捻れているんじゃないのか。逆ではないのか、と考える人もいるに違いない。からだの関節は、どちら向きに捻れるのか、という問題は難しい点を含んでいます。

機械的に原則通りで何でも考える人は。よく言われるように、この関節はこちら向き、その関節はあちら向きと、原則どおりでいいのかもしれないが、私は、そういう原則どおりに考えることのできない人間で、一から自分で納得できる考え方をしないと満足できません。

そこで、この点の確認は、今後の課題として残しておきたい。私の脳の中の整理箱には、この種の課題がおもちゃ箱のように雑多に詰まっていまして、その中からいつも何かの課題を引き出して考えています。

K さんの手首に話しを戻します。次にどうするかを考えなければなりません。足首にこれと似た現象を見ることはありますが、普通は、このような動きをみることは手首ではありません。K さんの手首には前腕を捻るような力がどこからか働いているに違いない。

どこにそんな力が働いているのか。考えられるのは、足でしょう。足から捻れが腕にまで昇って来ているとは考えられないだろうか。足首、特に距骨周辺には、全身を支配する何かがある。

── 足首がおかしいのではありませんか。

── はい、右足首は、若い時に捻ったことがありました。ハンドボールをしていて、足首を踏みつけられ、足首が直角に回ってしまったんです。直後には、切断しなくてはならないかもしれない、と言われたこともありました。

── なるほど、そんなことがありましたか。それが手首に影響を与えているような気がします。足から引っ張られて上部がおかしくなっていることは、よくあるんですよ。

足首をみると、そんな酷い事故があったことを伺わせる痕跡は残っていませんでした。普通より少し硬い程度。しかし足指を触ってみると、かなり浮き指です。

── 靴に問題がありそうに思いますが、いつもどんな靴を履いていらっしゃいますか。

── 紐のないタイプ、スポッと履ける靴です。

やはり靴に問題がありそうです。そのことを告げると、K さんも、うすうす靴が問題だと感じていたのでしょう。すぐに靴を変えます。とおっしゃる。

というわけで、手首を対象にやっていたのに、足の問題に変ってしまいました。手と足が繋がっているというのは、私が直感的に感じたことですが、K さんも密かに感じておられたらしい。

K さんの例は、かなり珍しい例ですが、一般論として拡大できるかもしれません。つまり、手首の捻れがある人は、足にも問題があり、靴を再検討する必要がある、と。あるいは、もっと拡大して、【からだのどこかに問題のある人は、足にも問題があり、履物を再検討する必要がある】。

私たちは、手首を傷めると、手の使い方に問題があったと考え、膝を傷めると、足や歩き方に問題があると考えるのに慣れていますが、ひょっとすると、そうではなく、すべて靴に問題があるのかもしれません。

しばらく趾(あしゆび)の一つ一つに愉気をしてみました。すると、手首の動きが出なくなりました。やはり足から何らかの力が働いていたと思われます。

それほど靴の問題は大きい。「靴はからだに悪い」という名言もあります。せめてぐすぐすの靴は止め、紐をしっかり結ぶ努力くらいはしたいものです。

940 けいぶん社

第940号 2016年12月25日
▼ けいぶん社

先日来られた若い女性Aさんが、『ねじれとゆがみ』が京都・一乗寺の「けいぶん社」にありました、と言って、写真を送ってくださいました。見慣れない本たちの間に私の本がおいてあって、不思議な空間だな、と感じ入ったのでした。

その3日後、今度は京都の女性が来られた。京都のどこにお住まいですか、と尋ねると一乗寺だという。

── 一乗寺といえば、叡電の駅から少し西に行ったところに「けいぶん社」という本屋さんがありませんか? と私。

── ええ、あります。そこで『ねじれとゆがみ』を見つけて読みました。それで予約を入れたんです。

── あ、そんなことってあるんですね。3日ほど前に、そこの写真を送ってくれた人がいたんですよ。シンクロ(シンクロニシティ=共時性)ですね。

──はい。

──いちど行ってみたい。

で、一昨日、カミサンと一緒に行って来たんです。

「けいぶん社」は漢字なら「恵文社」ですが、看板はあくまで「けいぶん社」。わざわざ「ひらがな」というところに、この書店の考えが示されているんでしょう。

ドアを開けて中に入ると、本屋の空気とは違って、オブジェたちが並んでいるのを感じる。その空気に圧倒される感じ。

実際、本だけでなく、文房具や布製品・陶器のようなオブジェもたくさん並べられています。もちろんそれも商品ですから、オブジェというのは正しくない。結構な値がついています。

本の並べ方が尋常ではない。普通なら叢書やシリーズはまとめておいてあるものですが、ここでは、そういう本の大きさやシリーズや、という外面的なことは一切無視され、もっぱら中身の関連だけで本が並んでいる。大型本のとなりに文庫本があったりするわけです。

だから、こういうディスプレイができるためには、本の中身についてのかなりな知識が必要になります。どう考えても、私にはこんな芸当はできない、と思える。

ここの店員さん(あるいは店主さん)は、本についての広範な知識を持っていることが伺えるんですね。それも偏ったジャンルだけならいざしらず、すべての本についてやるとなると、言ってみれば、文化全体についての教養がなければ無理ですね、これは。ただごとではない。

表面的に真似のできる人がいても、ここまで広範にできる人は、そうそういるまいと思えます。

奥のレジにいる女性がどうやら店主であるらしく見えます。50代? ベレーを被って、しきりに新しい本を入れている様子。

私の方は、店内のあちこちを巡って、本の並び方を見てまわりました。講談社文芸文庫の鈴木大拙訳・スエデンボルグ『天界と地獄』が目に止まった。

これ、先日のメールを下さったAさんに、こういう本がありますよと紹介したものですが、私が読んだのは古い抄訳です。鈴木大拙訳は読んでいません。

鈴木大拙という禅の世界的大家と、神秘家スエデンボルグというミスマッチが面白く気になっていた本です。(訳文は文語文で、決して読みやすい本ではないので、推薦はしません)

『天界と地獄』は、けいぶん社にある本たちの中でも、私にはひときわ光輝く本に見える。といって他の本に光が見えないというのではありません。読みたくなるような本がいっぱいあって目移りしてしまいます。

しかし買って帰るとすれば、この本だな、と見当を付けます。

さきほどの女性の様子を伺うと、『ねじれとゆがみ』が置いてある辺りで、本の位置を変更している。どの本とどの本をとなり合わせるか、というのにも、この人の直感が働いているらしい。操法にも直感が必要ですが、ここでもまた。

頃合いを見計らって、レジのところへ進み、『天界と地獄』を差し出しました。

── 私、あそこにある『ねじれとゆがみ』の著者なんです。(なんとヘタクソな自己紹介だ、と思いながら)頭を下げる。

── あ、と一瞬間があって、向こうも頭を下げられた。

──昨日のお客様がこちらであの本を求めて、予約を入れて来られたので、嬉しくて来てしまいました。

── さきほどのお客様も、こんな本が欲しかったとおっしゃって買って行かれました。・・私も肩がこってまして。

── 本は重いので、本屋さんは大変のようですね。どの辺りの具合が悪いのでしょう。

── この左側の首の周りが。

──はあ、それは腰ですね。腰がねじれて、背中から引っ張っているんでしょう。・・・少しやって見ましょうか。と、この人の腰の後ろに手を触れてみると、案の定、右が後ろ、左が前に仙骨が回旋しています。

女性の手の甲を拝借して(というのもおかしいが)、仙骨の対応点(つまり有頭骨)を、右手はぐっと押す。左手は「出てきなさい」と撫で撫でする。

── 何だか、ちょっと変って来ました。

── どこが変ってきましたか。

── この辺が緩んできました、と首のあたりを押える。

── なるほど。

── あっ、視界が明るくなってきました。

この光溢れる空間が、これ以上明るくなったら眩しく感じるのではなかろうか。

というわけで、次に会計を待つ人に場所を譲って、カミサンと一緒に表にでました。表の街路は、細かい雨で濡れていました。

お客さんの入りは、結構な数。奥の方は、まっすぐに進むのが難しいほど人が入っていました。殆どが女性です。今日は祝日なのになぜ男は来ないのか。いま文化をになっているのは主に女性なんじゃないだろうか。操法を習いに来る人も、このごろは女性の方が多い。
おとこは疲れ切っているのだろうか。

このお客の入りは、営業が難しい業種で、人通りの少ない立地でも、工夫しだいで繁盛店としてやって行けることを如実に示しています。

いろいろなことを学ばせてもらいました。女性たちを吸引する力のある素晴らしい空間。お勧めです。京都一乗寺、けいぶん社。

938 靴の履き方と学校

2016年12月20日
靴の履き方と学校

読者のSさん(大阪府在住)から、靴の履き方に問題があることに、学校が一役買っているのではないか、と次のようなお便りをいただきました。

──【靴紐を前の方までいったん緩め、しっかり縛り治すプロセスが必要だ】、

これ、自然にやってました! 前の方が緩いと、フィットしませんから。靴紐をちゃんと締めると、足が軽ーく(自動的にという感じ)前に出てくれて、楽に動けるということはわかりました。

それにしても日本人の靴紐締めがいい加減になるのは、ある程度は学校のせいだと思います。とにかく校舎の中に上履きゾーンと下履きゾーンが混在し、靴を大慌てで脱ぎ履きしなければならない場面が多い。

そのため靴を中途半端な(すぐ脱げるような)状態にしておいて、そのまま走ったり、階段登ったりすることが常態化しているんですね。学校の先生もしています。かかとを踏んだり、クロックス等のつっかけを履いたり。

私は仕事柄、大学に取材に行くことが多いのですが、土足禁止の研究室に行くことがわかっている時は、脱ぎ履きが面倒な靴は履いていけないなと考えます。。。他の人を待たせることになってしまうからです。しかし研究室の上り口に脱ぎ散らかしてある靴たちの有様を見ると、持ち主の歪み/捻れ具合が推し量れてしまい「あーあ」と思います。──

なるほど。これが実情だとすると、ますます意識して靴紐に接しなければなりませんね。Sさん、ご意見ありがとうございました。

937 靴紐についての注記

第937号 2016年12月19日
靴紐についての注記

935号で、靴紐の結び方について書きましたが、その時、これでは何かが足りないな、という思いが付きまとい、発信を躊躇した瞬間もあったのですが、それに関して靴屋のKさんから昨日の復習会の時に口頭で的確なコメントをいただきました。

YouTube にある靴の結びかたは、紐がほどけない結び方ということであって、あれで十分な靴紐の扱いとはいえない。靴紐がほどけなくても、紐の前の方がユルユルであっては、足が靴の中でぐらぐら動くので、何にもならない。

まず、【靴紐を前の方までいったん緩め、しっかり縛り治すプロセスが必要だ】、ということです。

では、どのように紐を結べばいいのか、ですが、YouTube に最善といえる動画がなく、興味のある方は、色々見てご自分で考えていただくことだと思います。

ただ、その中で、これは比較的まともなものをKさんのご意見もお聞きして、ご紹介したいと思います。→https://www.youtube.com/watch?v=Wb44ZKl08so

この動画はランニング・シューズの話になっていますが、他の靴でも同様に考えたらいいでしょう。