手をついた

路地裏の整体術 第803号 2015年5月21日
▼ 手をついた

久しぶりに来られたFさん。肩が痛いのだと言われます。どうしたのですかと
伺ってみると、転倒して手をついた時から痛くなったそうで、手をついて肩が
痛くなるのは、よく見かける例だと思います。Fさんは腰も調子が悪いという。

手を地面につくと、上半身の重みが手首にかかります。で前腕の橈骨と尺骨の
間が開いてしまうと同時に、橈骨と尺骨のあいだの関節の動きが悪くなります。
「下橈尺(か・とうしゃく)関節」と呼ばれる関節です。

この関節が大丈夫かどうか調べようとすれば、どうしたらいいか。この関節の
両側に「茎状(けいじょう)突起」と呼ぶ出っ張りがありますね。「手の踝」
と言っても間違いではない二つの出っ張りです。親指側には「橈骨茎状突起」、
小指側に「尺骨茎状突起」があり、この二つは橈骨と尺骨の末端をなしている。

そこで、この二つの茎状突起を、操者の手の指で甲側・掌側から挟み、動かし
てみましょう。どうするかと言いますと、例えば故障を起こしたのが右手だと
しますと、尺骨茎状突起を操者が左手の親指と人差指ではさみ、橈骨茎状突起
を右手の親指と人差指ではさみます。

そうして、どちらか一方を甲側へ、もう片方を掌側へと反対方向に動かしてみ
ます。次にどちらもその逆の方向へも動かしてみます。何も問題がなければ、
どちらへでも自由に動きますが、故障があると、動かそうとした時に、動きが
悪く、硬い感じを受けるはずです。

どちらが行きにくいかが分かれば、行きやすい方向に、わずかに動かす気持ち
で、しばらくじっと持続すると、動きがスムーズになります。

で、この下橈尺関節が正常になると、肩もよくなるはずです。手首の動きの悪
さが肩にまで影響しているわけです。Fさんの場合は、それにプラスして、肩
関節の前方転位を直す必要がありましたが、いずれにせよ、基本は下橈尺関節
の狂いにあったということです。

この関節は大きく動く関節らしい関節ではないので、あまり注目されていない
と思いますが、この動きが悪くなると、他の場所の故障につながります。例を
上げると、この関節がよくないと、腰椎5番が整いにくい。腰椎5番と仙骨の
間の腰仙関節は、全身でも重要な関節ですが、ここが整いにくいと、あちこち
影響が出てきます。だから、腰の悪い人の操法をする時には、手首を調整して
おいた方がよい、ということになります。

なぜ下橈尺関節が腰椎5番に影響するのかは不明ですが、事実として、そんな
関係があるようです。簡単にまとめると、腰椎は、両脚と両腕のバランスの上
に成り立っているのでしょう。

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春風操法

路地裏の整体術 第802号 2015年5月18日
▼ 春風操法

足首は全身の中でも、決定的に重要な場所だと感じられます。足首が内向きに
なると、腓骨が下に引っ張られ、骨盤も引っ張られ、体側を遡って側頭骨まで
引っ張られます。

足首の状態が変わるだけで、肩こりが治ると操体法の橋本敬三さんは書いてい
ますが、なるほど、もっともと頷けるところがあります。

そこで、この事実を使った簡単操法を考えてみました。名づけて「春風操法」。

とても簡単なので、やってみてください。まずどちらの手でもいいので、手の
甲側から見て、小指の外がわの側面(尺側)を指の先から始めて、手首の線に
達するまでそっとなでおろす。撫でるのに、どの指を使ってもかまいません。
何度も撫でる必要はありません。1度で十分です。

この操作を両手ともやってみてください。それが終わったら、仰向けに寝て、
じっとしている。あまり動かない方がいいですが、少しくらいはかまいません。
時間にしておよそ11分。横臥では効果がありません。仰臥すること。

終わったら起きてみましょう。そうして全身の調子をみると、なぜ「春風」と
いうネーミングがされたかが、わかると思います。

手前に撫でると、引き締めの効果があるはずだ、という疑問を持たれる方も
いらっしゃるかもしれません。その通り、足首が内向きになっているのは、
体側を下に引っ張っているわけですから、その引っ張り力を上の方に引き締め
て解除するのですから、全体に無駄な引っ張り力が解除されて、楽になるわけ
です。

春風の入る部屋にねそべって、この操法をしてみてください。あなたの身体は
「春風」のように楽になりましたか。

特別な効果を感じられた方がいらっしゃれば、教えてくださるとありがたい。

偏り疲労

路地裏の整体術 第801号 2015年5月14日
▼ 偏り疲労

例えば、壁や柱につかまって、腰を左右に動かしてみます。フラダンスの練習というわけではありません。そうしてみると腰の左右差が感じられてきます。

私も今やってみました。私の場合は左へは行きにくく、無理に動かそうとすると少し痛みを感じます。右へは動かしやすく、すっと動きます。そういう左右差をどなたも幾分かは感じるはずです。

これは何がどうなっているのでしょうか。

簡単に言ってしまえば、腰周辺の筋肉の緊張状態が左右で違うことになります。緊張のある側は、動かそうとすると、突っ張る。緊張のない側は自由に動かせるというわけです。

左右差があれば改善させておきたいですね。どうすればいいのか。簡単にいえば動きやすい方へ動かせばいい。

動かしにくい方は、身体がそちらへ動かすのは危険だから動かすな、と言う声を身体が出していることになります。そうして面白いのは、動きやすい方へ何度か動かすと反対側も動きやすくなることで、これは、操体法の原理ですね。

左が動きにくいという人は、右へ動かしてみればいい。右へ動きにくいという人は、左へ動かしてみればいいわけです。何度か、それを繰り返してやってみると反対側も動きやすくなってくる。

こういう動きを全身でやってみると、前屈でもなんでもかまいません。行きにくい行きやすいという差を感じたら、楽な方へ動かしてみる。すると、全身が動きやすくなってきます。無理なく全身を動かしやすくすることができます。

この記事を書き始めたのは昨日でしたが、いま14日の朝これを書いています。先ほど左右のチェックをしてみたところ、左右どちらも同じように動きます。昨日、やった成果が出ていることになります。

ラジオ体操などは、左右が同じ動きですが、そういうことをするより、動きやすい方へ主に動かすやり方の方が身体全体が楽になりやすいはずです。体操をするならこちらの方がはるかに効率がよい。もちろん専門的な難しい体操法は色々あるのだと思いますが、一般人がやる方法としては、これが簡単でやりやすい。

身体が歪む原因は【偏り疲労】です。全身をまんべんなく使うのではなく、偏って使うので、だんだんに筋肉の疲労が溜まってくる。ある場所が疲れてくると、その疲れが関連するところを引っ張って、線状につながる凝りを作り始めます。典型的なのは、背骨の左右の起立筋群。これが片方だけ硬くなり始めると、際限なく偏り疲労をためていくことになります。

「肩こり」という現象は、主に起立筋(群)の偏り疲労によると、私は考えます。起立筋(群)の左右差が解消すると、肩こりが消えることで、これが証明できます。だから、常に【偏り疲労】を処理しておくことが、全身の健康につながるはずです。ところが、世の中には「筋肉を鍛えなければ」という迷信があって、整形外科医まで患者に筋肉を鍛えなさいと勧める。筋肉を鍛えるというのは、別の観点からすれば【偏り疲労】をわざわざ作りだすようなものです。

この春に来られたお客様で、80代の女性がバーベル上げをしていると聞いて仰天したことがありました。普通の生活をしていれば、よほどの【異常がない限り】筋肉がさほど衰えることはない、と思いますが・・・。

昨日の「ためしてガッテン」は足首の捻挫が、そのような異常にあたることを指摘していましたね。

マップの効用

路地裏の整体術 第799号 2015年4月28日
▼ マップの効用

先日、大阪の阿倍野で岡嵜さんのセミナーがあった時、私もちょっとばかり
顔をのぞかせました。その時「首の斜角筋が緩まなくて困っている人がいる。
なんとかなりませんか。」という質問を受けました。

そういう人を扱った記憶がないので、よく分かりません、と答えたと思いま
す。これが常に私の流儀で、分からないことはすぐに分からないと答えます。
こう言ってしまうと身も蓋もないことになるかもしれません。だから、もう
少し考えてみるのがよかったか、と後で思い直しました。

昨日のからだほぐし教室で、首の胸鎖乳突筋を緩めるのは、どうしたらいい
のか、という質問が出ました。これが突っ張っている人は、鎖骨の動きが失
われているので、鎖骨が動くようにすればいい、と答えたと思います。

その人からさらに胸鎖乳突筋の奥にある筋肉が硬い、どうにもならないのか、
という次なる質問。胸鎖乳突筋の奥にある筋肉といえば、先日の質問に出た
「斜角筋」のことでしょう。斜角筋と一口にいっても、前斜角筋、中斜角筋、
後斜角筋とありますので、正確に言えば、「斜角筋群」というべきでしょう。
頸椎上部から始まって、肋骨に停止する筋肉です。

咄嗟に私が考えたのは、手のマップを使うことです。頸椎に相応するのは、
中指の第一関節から第二関節のあいだです。だから鎖骨のあたりは第二関節
の掌側に相応します。(普通なら「相当」という言葉を使うところですが、
高麗手指鍼では「相応」という言葉を使うので、それに倣いました)すると
斜角筋群は、第二関節の横紋の両側で指先に近いあたりに当たることになり
ます。で、「斜角筋、緩め」と思いながら、中指第二関節の横紋の両側を、
指先方向へさっと撫でると良いことになるでしょう。

実際、これで斜角筋が緩みました。それから16時間ほど経った今も、首の両
側が緩んでいます。

この実例で知られるように、手を全身のマップとして、相応位置を調べだし、
そこをさっと撫でると、その筋肉を緩めることができるはずです。これって、
新しい操法として使えそうだ。メモっておこう。

手の平がくすぐったい

路地裏の整体術 第791号 2015年4月10日
▼ 手の平がくすぐったい

珍しい現象なので、忘れないうちに書いておきます。昨日こられた女性です。
色々と現在かかえている症状についてのお話を伺って、最後に出たのが、手の
平がくすぐったい(関西弁でこそばい)と言われる。言われてみれば、私自身
も、そんなことがあったような気がします。

しかし記憶を辿ってみても、最近そういうことを訴えて来られた方はなかった
はずです。

で、これを聞いて私はどう思ったか。こういう症状に対応したことがない、ど
うすればいいか、と考えた。考えても、いいアイデアが出てくるわけではあり
ません。でも、この時は、足の類推で行きました。足の裏に違和感を覚えると
いう訴えは時々あります。そんな時、どうしたかを辿ってみました。

足の裏がくすぐったい、という訴えに遭遇したら、多分、足の中足骨が落ちて
いると考える。だから、これに反動をかければ解決するはずだ。手も同様にし
て解決するはずです。

そこで、咄嗟に私は、

──それは、手の骨が歪んでいるんですよ。

と答えた。自信があったわけではありません。でも思いつきでそう答えた。
判断が外れていれば面目丸つぶれになるところですが、私の場合、こういう咄嗟
の判断がものを言うことが多い。

40代の女性の手をとって、両手で相手の手をサンドイッチにし、甲側からぐっと
押さえ、パッと放す操法を試しにやってみました。

──どうですか。
──何もありません。
(何もありません、て、こそばいのが取れたという意味だろうか)
──こそばくありません。と彼女。
(やれやれ、良かった)

反対側の手も同じようにします。

──はい、何もありません。
──それは良かった。
──ありがとうございます。

ということで、この件は落着です。手に歪みがあると、肩に影響があるはずです。
から、これを先にやっておくのが正解です。

足の裏がこそばいというのも、同じ操法で、甲側からぐっと押さえてパッと放す
ということを繰り返せばよろしい。

何にせよ、人が言ってくる症状はさまざまで、予想外の症状も、色々有ります。
こんなのテキストになかったと嘆く前に、よく似た症状を頭の中で探してみて、
その類推でやっていけば、案外、案ずるより産むがやすし、となるものです。

ただし、どんな症状でも、どんな操法でも、そうですが、カチカチに硬くなって
いる人の場合は、うまく行くとは限らない。その部分を柔らかくする算段を前に
やっておくことが必要です。そうでないと、操法がうまく効かないかもしれない。
この操法はうまく効きません、と弱音を吐く前に、カチカチを緩めてかかること
が必要かもしれない。このことをお忘れなく。

盆の窪

路地裏の整体術 第796号 2015年4月25日 + 797号
▼ 盆の窪(ぼんのくぼ)ぼんのくぼとは、頸の後ろ中央のスジ状に凹んだ部分の真ん中です。ネットの『語源辞典』の記述によれば、「ぼん」とは「坊主頭」の意味で、坊主頭
を見ると、ここがぽっこり凹んでみえるので、このように呼ばれているようです。この説が正しいとすれば、「坊の凹」と書くべきかもしれません。この場所は、池波正太郎の小説『仕掛人・藤枝梅安』の鍼医者・梅安が一鍼お見舞いする場所で、ぼんのくぼの奥に延髄があり、ここに鍼を刺されると、一発で命を落とすという設定でした。

そんな命を落とすほど重要な場所ですから、ここの状態は、人の身体全体に大きな影響があります。例えば野口整体の祖・野口晴哉(はるちか、1911-76)は、人の身体を見る時、頸椎2番から始めると著書(『体運動の構造』)に書いています。頸椎2番は、ぼんのくぼのすぐ下にあります。

ぼんのくぼそのものは、頸椎1番が奥にある場所(この奥に延髄がある)で、私は、ここも重要個所の一つと考えています。頸椎1番は、背骨の一番上の骨で、環椎(かんつい)とも呼ばれ、この骨の上に頭蓋骨が乗っかって、左右に回転する構造になっています。ですからここに歪みがあれば、全身に歪みがある証拠と考えられます。

ついでながら、梅安の「技」について触れておきますと、盆の窪の奥に頸椎1番があるため、鍼をぴったり延髄に届かせるためには、斜め下から斜め上の方向に狙わないと届きません。実際映像を見ると、確かにその方向に狙っているようで、まさにリアルな映像です。

さて閑話休題。誰でも身近の人をつかまえて、盆の窪を押えてみて下さい。押えると書くと、本当に押えてしまう人があるといけませんので、念のために書いておきますが、押えるのでなく、そっと触れる程度にしてください。両手の親指を揃えて盆の窪に当ててみます。、両方の親指の感触が同じならいいのですけれど、どちらか一方が手前に出ている感じがするなら、骨盤のねじれがあることを示しています。

骨盤のねじれがあって、そのために背骨がねじれ、盆の窪にまで影響が及んでいるわけですから、骨盤のねじれを解決すれば、盆の窪も正常になるはずです。その方法は『共鳴法教本』の [26] ~ [28] を参照してくださればわかります。ここに書かないのは、図がないと言葉だけでは分かりにくいからです。
(『共鳴法教本』の購読方法については、ご希望があれば朱鯨亭までお尋ねください)図の説明には、⇒の方向に皮膚を少し引いて持続するとありますが、⇒の方向にさっと擦って、しばらく置くという方法でも可能です。変化の起きやすい人ではこの方法がよいかもしれません。
この操法を数回繰り返して、盆の窪を調べてみます。左右の拇指の感覚差がなくなっていれば、それでOKです。左右の差が消えるだけでなく、盆の窪の周辺が軟らかになっているはずです。

前回に書いたように、盆の窪の奥には頭部全体を支える頸椎1番がありますし、さらにその奥に延髄など脳幹の部分があります。視床下部には自律神経の中枢があり、身体の働きの中でも最も重要な働きをしている中枢部分になっているわけで、ここが軟らかな状態にあり、左右差がない状態にあるのは全身の働きにとって重要な要因であると思われます。

それだけでなく、盆の窪が軟らかになれば、その周辺、つまり後頭部も軟らかになります。それによって、血圧が下がるとか、不眠が治るという望ましい効果も出てきます。

首がしんどいと訴える人が、PC作業で激増している時代です。自分自身の首を健全な状態に保つのは、誰にとっても重要課題のはずですから、操法家の方々も一般の方々にも、この操法を身につけていただきたいと思います。

さらに、頸椎1番の状態を整えておくため、骨盤の操法の後に、盆の窪に愉気をしておくと完璧でしょう。これによって頸椎1番のねじれが完全に解消されます。目の異常・耳の異常と頸椎1番がつながっているケースがありますから、目や耳も、よくなるというわけです。【続く】

意識のマップとしての手

路地裏の整体術 第793号 2015年4月18日
▼ 意識のマップとしての手

マップ(地図)とは何か。例えば東大寺に行きたいとします。東大寺までどう
して行けばたどり着けるかは地図に表現してあります。新幹線に乗って京都に
降りる、次は近鉄に乗って奈良にたどり着く。近鉄の奈良駅から市内循環バス
に乗ればバス停3つ目ほどで東大寺・春日大社前のバス停に着きます。(これ
から奈良の観光案内をしようというわけではないので、慌てず落ち着いて読ん
でくさだい。)

地図といってもいろんな種類があって、道路地図というものもある。いうまで
もなく、車を使って道路を走って行きたいという人のためのものです。一方で
鉄道地図というものもあって、鉄道を使って目的地に行きたい人のためのもの
です。

つまり、そこへ行きたい人が、どのように意識を働かせると目的地に辿り着く
ことができるかを描いたものがマップですね。

身体についても同じようなものが作られていて、解剖図がマップに該当するで
しょう。あるいは骨格図とか筋肉図というものもあります。

共鳴法では、手と全身の対応関係を使って、色いろと操作します。例えば手首
の近くにある有頭骨が仙骨に該当します。仙骨は背骨の状態に影響する、全身
中でも最も重要な個所です。これが、有頭骨を操作することで変化する。もう
お分かりのように、手が全身のマップの意味をなしていることがわかります。

なぜ、そのようなことが可能なのでしょうか。ある人は、手と全身の各部との
あいだに何かのつながりを発見しようとするかもしれません。昔、経絡の構造
に興味をもった人が、経絡の走っている場所を調べて「ボンハン管」を発見し
たと伝えられたことがありました。しかし今では、この学説は否定されている
ようです。

直感的に考えてみても、手の各部と、全身の各部との間に物質的なつながりが
あると考えるのは無理がありそうですね。それに代わって唱えられるのはホロ
グラム仮説です。身体のあちこちがホログラムとして、つまり像として同じに
なっていると考えるわけですが、全身も手も、像ではないので、これも無理か
もしれません。

私は、操法をする人が手を全身のマップとして使っていると考えます。言い換
えると、操者が意識のマップとして手を使うと言ってもいいでしょう。手を手
がかりとして、全身を操作すると考えるわけです。それは無理筋だという意見
が出るのは承知の上です。

共鳴を始めた頃は、私もホログラムの考えを採っていました。しかし掌を顔の
マップとして使えることがわかり、小指の付け根の下の膨らんでいるあたりを
示す「月丘」と呼ばれる部分を撫でたり押さえたりすることで視力を改善する
ことができるようになり、従来の手全体を全身のマップとする見方だけでなく、
これとは別に掌は顔面のマップとして使えると分かって来ました。物質の関連
があると考えると、手全体とも、掌だけとも関連があることになり、手は意識
を操作するためのマップである、と考えるようになりました。

手と全身とが物質的に結びついているのではなく、操者が自分の意識を操作す
るためのマップと考えて初めて、そういうことだったのか、と納得が行きまし
た。これは、意識が物質を動かすという事実を示しており、意識を物質の像で
あると考える現代的な考え方とはまっこうから対立する考えです。

操法をすると身体が変化するのは、操者が身体という物質を手という物質的な
手段を使って変えてゆくからだ、というのは正しくない。「手」という物質的
なマップを使って、実は自分の意識を動かし、それでもって全身を変化させて
いるのだ、と解釈する以外に道はありません。

論理をたどるかぎりそうなるはずです。意識が物質を動かす、という考え方は
一時代前には「観念論」として排斥された考え方ですが、そう考えるより他に
道がないとすれば、こう考えるのが科学的だ、ということになります。

納得のいかない人は、ラリー・ドッシー『祈る心は治る力』をお読みください。