932 健康不安についてのご意見 16/12/8

前号で「健康不安」について触れたところ、いくつかご意見をいただきました。それらをご紹介するとともに、私の意見(▼)も書いておきたいと思います。

◎1 Kさん(奈良県在住、口頭で伺ったご意見) 「健康不安がないのが健康だ」というのは、その通りだと思うが、ただ、前提条件がいる。

タバコをじゃんじゃん吸い、酒をがぶがぶ飲むなど、メチャクチャなことをしていて、健康不安がないというのは、どうだろうか。

▼ 確かにもっともなご意見です。私もそう思いますが、少し注釈を付け加えたい気がします。健康に悪いことをしない、というのも、健康不安を呼ぶのではないか、と思うからです。

例えば、〇〇はからだに悪い、などという話は色々あります。〇〇はからだに悪いという意見を目にすると、そういうことに意識が先鋭に向いて、健康不安をつのらせている人がいるのではないか、と思うのですが、どうでしょうか。

つまり現代人は自分の身体にかかわることを本能的に、あるいは直感的に判断できなくなっている。頭でしか判断できなくなっている人が多いし、そういう社会になってしまっているということだと思います。いずれにしても、私達の暮らす社会は対応の難しい複雑怪奇な社会になってしまいました。

【〇〇にはいる具体的な名詞についてご意見を色々いただいても、私には対応しきれませんので、念のため】

◎2 Kさん(東京都在住、メール) 私 [Kさん] の院に来た時はすでに慢性膵炎と診断されたあとだったのですが、診断されるまでの経緯がすごかったです。というのは・・

初めは、その方の旦那さんがテレビの健康番組で自分が膵炎かもと思ったらしく、ネットで調べ始めました。よこで見ていたら自分もそんな気がして来た・・というのが事の始まりです。

そのあと医療機関に十数軒行って、さいごの病院で慢性膵炎だね~、と診断されました。本当は膵炎じゃなかったんでしょうけど、自ら病気を作ってしまった・・そんな気がしました。

▼ やっぱり、という感じですかね。「健康不安」というより、なんと言えばいいのか、「病名願望」とでも言えばいいのか、「病名」が付くと安心するという心理。この根底にあるのは、医学信仰なのでしょう。

◎3 Tさん(長野県在住、メール) 西洋医学の検査は、身体を診る上で一つの指標になるとは思いますが、必要があって上がっている数値もあるわけでしょうから、結果に左右され過ぎないよう、自分自身が出来る限りの知識と自信を持てるようにしたいものです。

整体させてもらう時は、どうしたらこの人が自分の身体に対して無くしている自信を取り戻してもらえるか、という事を念頭に置いています。

「健康不安がない状態こそ、健康なのではないか」とのお話、 言い得て妙ですね。思わず手を叩いてしまいました。

不安、言いかえれば恐怖が強い方は、野口整体の感情活点がなんかヒンヤリしていたり、(本などに時々出ている)右肩甲骨内側の違和感などを感じる様な気がします。

▼「感情活点」とは、左側の肋骨の下辺、みぞおちから左側あたりのことですね。「ヒンヤリ」とありますが、このあたりが硬くなっている人も同じでしょう。

 

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932 健康不安ということ

「健康不安」 とでも呼ぶより仕方のない事例を最近いくつか経験しましたので、それについて。ただし特定の個人の事例を対象にしたものではなく、私が日頃から感じていることを書いたものです。

『不安な心の癒し方──あなたの悩みを解消する7つの認知療法』 (ロバート・リーヒ著、アスペクト) という本があり、それから引用します。(この本を推薦したいわけではなく、実例の一つとして取り上げるだけです)

シルビアという女性の例が取り上げられています。

──三週間ごとに医師の診察を受けているが、どこも悪いところが見つからない。インターネットで医学関係のサイトをあちこち見ては、あらゆるタイプの癌や、まれな病気について調べているという。

そこに書いてある、吐き気、めまいなどの症状が自分の体の不調と同じなので、癌や脳腫瘍といった恐ろしい病気の徴候だと彼女は思っているのだ。

内科、婦人科をはじめ、さまざまな専門医のところに定期的に通い、おびただしい数の検査を受けたが、いずれも結果は異常なしだった。

それでもシルビアは納得しようとしない。家に帰ると、見落としたことがあるかもしれないと思い、「もしも間違いだったらどうしよう。先生はすべての検査をしたわけじゃないし、見つけられたはずの癌を見落としていたらどうしよう」と、あれこれ考えた。─(395ページ)

これは極端な事例でしょうが、似たような事例がこのシルビア以外にも増えているように感じられます。つまり、当人は、自分には 「体に異常があって困っている」 と思っているのに、操法をする立場から見れば、「異常があるという不安にさいなまれている」だけなのではないか、と思われるケースです。

初めは、背中が痛いとか、脚がしびれるとかの症状があった。そういった症状が長く続くと、これは何か重大な病気の兆候なのではないか、という思いがつのってくる。診察や検査を受けても、異常ありませんと取り合ってもらえない。

そのうちに、何もなくても手がしびれてきたり、どこかが痛くなるといった症状が出始める。こうなると、もういけません。体に痛みや痺れの根拠があれば、操法でそれを解決することが可能ですが、不安によって生まれている症状は、いくら操法をしたところで解決しません。それどころか、体にとって必要のない操作を加えているわけですから、却ってますますひどくなることもある。

最近、こんな症状(?)の人が増えている感じをもっています。どうしたらよいのか。「健康不安」ともいうべき不安が解消されればいいわけですけれど、社会全体に「健康不安」をあおる雰囲気があります。

健康雑誌は、どうすれば健康になるか、としつこく呼びかけていますし、テレビはサプリの広告に余念がない。健康の話題はテレビ番組や新聞の中心的な話題の一つになっています。

健康、健康と世の中全体が叫び声を上げていることが、健康不安を煽る結果になっていないでしょうか。

健康に関心のある人は、ますます不安に取り憑かれる、という悪循環になっているように思われます。しかも、はっきりとした不安としてあるというより、雰囲気としての不安になっていますから、どうしても不安として自覚されにくい。

そういう人が増えているように思われます。血液検査を受けて、どの項目かにH(高い)やL(低い)の記号がついていると、気になって仕方がない。

あるいは、殆どゆがみのない体なのに、私は歪んでいるように思うと訴えてくる人が多い。

最近、このような傾向が増えているように思っています。

「健康」というのは、血液検査の数値がすべて基準を満たしているとか、体に歪みがないとかではなく、本人が健康などということを考える必要がない、いいかえれば「健康不安」がない状態こそ、健康なのではないか、と私などは考えるのですが。

 

939 早起きは三文の得 2016/12/23

メルマガをいつ書いているのか、という質問を受けることがあります。別に秘密の方法があるわけではなく、ごく当たり前のことをしているだけです。

私の睡眠時間は、現在の常識からすると、おそらく異例なものでしょう。午後9時にねて、午前4時に起きます。全体としての時間数は7時間ですから、寝不足の状態ではありません。

午前4時に起きて何をしているか。(時には午前3時に起きていることもある)まず、起きだして着替えたら、湯を沸かして、トゥルシーを淹れます。(カミサンはまだ寝ています)

トゥルシーはインド原産のハーブで、これがなかなか美味しい。これを飲んでいるお蔭で、以前は悩まされていた前立腺の肥大の症状がすっかり改善しています。つまり、おしっこが出にくかったり、夜中にトイレに行くといった症状がなくなった。

以前にスギナ茶をご紹介しましたが、「いつまでもスギナ茶を飲み続けないといけないのか」、という声があり、トゥルシーに切り替えてみました。でも前立腺肥大の症状がまったく出ない状況です。

事実、トゥルシーに関する文献を読んでみると、前立腺に効くと書かれています。因みにトゥルシーはアーユルヴェーダの薬草で、不老長寿の薬と呼ばれています。詳しくはウィキペディアで「カミメボウキ」の項目をご覧ください。「カミメボウキ」とはトゥルシーの和名です。

トゥルシーを飲んでみたいという人は、トゥルシーで検索すると、いろいろ出て来ます。香りが一番いいのは、「野良農園」という宮崎県で作られているトゥルシーです。この強い芳香に慣れるとクセになる人もいるでしょう。強い香りが苦手という人は、インド産のものを飲めばいいと思います。

熱いトゥルシーをたっぷり飲んだあと、少し瞑想をします。ただ瞑想といっても、ちゃんと正式の姿勢(そんなものがあると仮定して)をとってするわけではなく、椅子に坐っている時も寝転がっている時もあります。(難しいことをいう人は、寝転がって瞑想してはいけないとか何とかいうでしょうが、気にしません)

やってみて瞑想の時間は朝が一番という感じがあるので、朝にやっています。この時、天から素晴らしい発想が降りてくることがあります。その次はメルマガを書くか、あるいは「漢方体操」をします。

「漢方体操」については、あまり記事がないでしょうが、ネットで探してみてください。これで私の体調はふしぎなほど劇的に変わりました。操法の面でも、そのことが色々役立っています。

その後、起き出して来たカミサンが整えてくれる朝食を採ります。(カミサンは私と違って朝ヨガをやっています)朝食廃止という思想もありますが、私の場合、朝食を取らないと具合が悪い。ナッツ、カミサン調製のヨーグルト、目玉焼きといったメニューです。ここに果物が入ったり、パンが入ったり、その時々で色んなものを食べます。

テレビはないので見ません。コーヒーや紅茶、緑茶、ウーロン茶といったカフェイン類は口にしません。朝であっても、睡眠に影響が出るからです。朝に一杯のコーヒーを飲んでも夜に眠れなくなる。その他、心臓にも影響を感じて、気持ちが良くない。

ですから思想としてカフェインを飲まないのではなく、飲むと調子が悪くなるので、飲まないということです。

さて、ここまで来ても、朱鯨亭に出かけるまでまだたっぷり時間がありますから、音楽を聞いて過ごします。最近、気に入っているのはブレーメンの音楽隊の演奏、東洋人も何人か参加している様子です。そんなものが本当にあるのか、って。あるんですね。ブレーメン・バロック管弦楽団の演奏によるテレマンの曲「トラヴェルソとリコーダーのための協奏曲、ホ短調」。https://www.youtube.com/watch?v=2D-y2kJU0lg

テレマンという人は後半生をハンブルクで活躍しましたから(ハンブルクとブレーメンは100キロほどの距離)、地元の演奏といっていいでしょう。ここに聴くレコーダー(縦笛)やトラヴェルソ(横笛)を中心として演奏する人たちの生き生きとした表情を御覧ください。

その後、8時になれば靴の紐をしっかり縛りなおして朱鯨亭に出勤です。奈良町の中を歩いて、約35分。朝日を浴びて世界遺産の横を通って行きます。東の大和高原から昇る太陽がまぶしい。というわけで、早起きは三文の得を実践しています。みなさまも、よろしければどうぞ。朝早く起きると、「三文どころではなく」こころとからだがずいぶん得をしますから。

900 ファッションに学ぶ

第900号 2016年6月3日
▼  ファッションに学ぶ

私は時々、まるで畑違いの本を読みます。歴史や天文学の本を手にとってみることがあります。今回は、Kさんという女性から本を送っていただきました。それも畑違いも甚だしい、ファッションの本です。絶対に私が手に取りそうもない本を送りますというようなメッセージがついていましたから、Kさんは、このあたりの私の習性をよくつかんでいらっしゃったのでしょう。慧眼に驚きます。

というわけで、今回取り上げる本は、お勧めの本というわけではなく、たまたま手に取ってみた本という位置づけです。

豊川月乃
『あっ、モデルかな?と思ったら 私だった』
ダイヤモンド社(2016年3月、1400円)

まずは、気になる項目名を列挙してみましょう。

前髪を見ると姿勢が意識できる
高いヒールは誰でもラクラク履きこなせる
歩けば歩くほど美しくなる
残念な人は「開いている」
顔への思い込みを外す
バッグを持ち替えたくなる持ち方

例えば、少し引用してみましょう。

──意外なことに、前髪は体の歪みの原因になります。前髪を斜めに流している女性は、前髪を触るタイミングが多く、その場合は顔や体を傾けながら触っているため、たいてい前髪を流している方向に体が傾いています。

──モデルがウォーキングレッスンをするのは、週に1回、1時間半~2時間程度です。鏡張りの部屋でずっと自分の姿を見つめて歩き、その時間中は先生に 「首が前に出ている」「姿勢が崩れた」 などと言われ続けます。・・・

ですからみなさんも、「毎日がウォーキングレッスン」 というつもりで過ごしてください。歩けば歩くほど、360度どの方向から見ても美しいモデルに近づけるのですから、たくさん歩きましょう。

──ハイヒールを履くときは、まるで履いているように感じさせないのがいい歩き方。雲の上を歩いているようなイメージで歩いてください。

私が若い女性だったら、いえいえ若くなくても、ぜったいこの本をじっくり読んで見たいと思うでしょうね。

899 粒子状物質がいたずらをしている?

第899号 2016年5月29日
▼  粒子状物質がいたずらをしている?

一昨日の金曜日は、西日本で粒子状物質(以下 PM と略称)の濃度が高かったようです。私も外出から帰って初めて、のどや鼻、目の様子がおかしいことに気づきました。

その日の夜中に目覚めて、寝苦しいな、と感じ、いろいろ考えていると、ひょっとしてこれは、PM の影響ではないか、と思いました。PM の影響で交感神経が緊張しているのではないか、そう思ったわけです。

なぜ、こんなことを考えたか、と理由を聞かれても、的確に答えることはできません。ただ、こういう考えが生まれて来た時は、素直に従うことにしています。

アイデアが下りてくる時間として、昔から厠上、床上、馬上と言われますね。私の場合は、圧倒的に 「床上」 です。つまり布団の中。夜明け前に目が覚めて、布団の中でもぞもぞしている時に、いろんなことを思いつく時があります。

ちなみに「厠上」 はトイレの中。「馬上」 は現代ではさしずめ車や電車の中。

交感神経が緊張しているかどうか、どこで判断するか。耳の後ろの乳様突起です。乳様突起が大きく張り出している時は、交感神経が緊張型になっています。

そういう研究結果を出している誰かがいるのではなく、私が経験的にそう思っているわけです。逆に乳様突起が出っ張っていないときは、自律神経が副交感神経優位の側になっていて、安定している状態と考えられます。もちろんこの状態は個人差が大きいので、一般化すると、問題があるかもしれません。

私の骨格(側頭骨)が過敏になっていて、そういう動きをするだけかもしれません。

で、夜中に目覚めた私は、自分の乳様突起に手を触れてみた。なるほどね。かなりデカくなっています。いつもはここまで出っ張っていないから、これはPM の仕業に違いない。

昨日の日中は花盛りの植物園でゆっくり花の色と香りを楽しんできましたから、交感神経が立っているわけはない。なのに、乳様突起が出っ張って来ているのだから、心は寛いでいるのに、身体は緊張していることになります。

近頃は 「PM2.5」 などと気軽に呼ばれていますが、もちろん PM2.5 だけが問題というわけではないことを肝に銘じておくことが必要です。

PM は Particulate matter の略、つまり 「粒子状物質」。詳しくはウィキペディアを読んでみましょう。

──粒子状物質(りゅうしじょうぶっしつ、英: Particulate matter, Particulates)とは、マイクロメートル (μm) の大きさの固体や液体の微粒子のことをいう。主に、燃焼で生じた煤、風で舞い上がった土壌粒子(黄砂など)、工場や建設現場で生じる粉塵のほか、燃焼による排出ガスや、石油からの揮発成分が大気中で変質してできる粒子などからなる。粒子状物質という呼び方は、これらを大気汚染物質として扱うときに用いる。

黄砂とともにやってくるというので、中国を悪者にする言説が多いようです。確かに分布図を見ると、中国に大きな汚染源があるのは間違いないでしょうが、それだけだろうかという疑問が浮かびます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%92%E5%AD%90%E7%8A%B6%E7%89%A9%E8%B3%AA#/media/File:Modis_aerosol_optical_depth.png

この図から考えて、黄砂がもっとも大きな汚染源かもしれませんが、その他、ウィキの説明にも、「燃焼による排出ガス」とあることから、自動車の排気ガスも原因の一部をなしているはずです。そのほか、火力発電所であるとか、工場や建設現場からの粉塵なども原因の一部をなしているでしょう。

要するに、人間が出しているものが人間に降りかかって来ているということです。

具体的に、どのような被害があるのか、どんな時期に PM が増えるのか、など、有用な情報をまとめて掲載してくれている次のようなサイトがあったので、ご紹介しておきます。
http://marthanew.com/archives/2667.html

ただし専門家が作成したサイトではない、と断ってありますので、その内容の信ぴょう性については、読者それぞれで検討してください。

乳様突起の状態についても、あくまで私の個人的見解(感受性)ですので、その前提でお読みくださればさいわい。まあ、こういうこともあるかもしれない、という程度に読んでいただければ、いいと思います。

【結論】 乳様突起が飛び出している状態になっている時に、交感神経を鎮める方法はあるのか。手の平の小指側、知能線の終わり付近と感情線の起点とのあいだあたりを、知能線の終わりから始め、感情線の起点に向けて、指先方向にさっと、手の側面をなでればよろしい。すると、あらら不思議、乳様突起がへっこみますよ(下がっていた側頭骨が上がるといってもいいでしょう)。

なぜ。こんなところが、と不思議に思う人は、『共鳴法教本』 で顔の操法を研究してください。

893 かかと呼吸

第893号 2016年4月22日
▼  かかと呼吸

中国の古典中の古典 『莊子』(そうじ) の中に次のようなくだりがあります。

「真人の息は踵を以ってし、衆人の息は喉を以ってす。」
(福永光司・他訳、ちくま学芸文庫「内編」・大宗師編第六)

現代語訳の部分には、どう書いてあるか。「真人の呼吸は踵の底でするが、普通の人の呼吸は喉でする」 とあります。「踵の底でする」 とは、どうするのか、もちろん、そんなところから呼吸ができるわけはありません。「真人」 とは何か。これも現代語訳を読んでみると、「天の営みを知り、天とともに自然に生きる人」 というくらいの意味らしいと思われます。

そこで、どうするのか、やってみました。踵の底で呼吸をする気持ちで息をする、ということでいいのではないか。つまりある種の気功法を表しているのではないか、と考えたわけです。

歩きながら、やってみました。ゆっくり歩きながら二歩進む時に息を吸います。次に四歩進む時に息を吐きます。この時、踵の底から息を吐くつもりで吐く。これをしばらくやっていると、足がぽかぽかと暖かくなります。足の気のめぐりがよくなったのでしょう。冷え性の人は、試してみる価値があると思います。

なぜ二歩と四歩なのか。まず奇数にすると、左右が混乱して歩きにくい、という理由があります。そして、二歩と四歩は、吸う息は短く、吐く息は長くという原則に合っています。

なお、念のために付け加えておきたいこと。歩き初めの一歩は、自分の重心側と反対側でやるのが望ましい。歩いている時には、自然に重心側に意識が行っているもので、例えば私は左側に重心があって、左に左にと行きやすい。そこで、意識的に左右を逆にするのは難しくありません。

すると、吸う息の二歩の最初の一歩は重心とは反対側を出していることになりますし、吐く息の四歩も最初の一歩は重心と反対側を出しています。

このようにして歩くと、自然に無意識の世界を書き改めることができるように感じられます。どちらの足から先に出すか、というのは無意識の世界でどちらかに偏っているもので、そういう無意識はなかなか変更しにくいと考えられていますが、そうでもありません。かかと呼吸をしながら歩くと、自然に無意識が変更される。

そして、ここが重要なところですが、かかと呼吸を続けながら、私の場合ですと、朱鯨亭まで30分あまりを歩いて行くと、自然にからだ全体がぽかぽかとしてきます。気功法をしていることにもなる。一石二鳥にも一石三鳥にもなる。

手が冷たくて悩んでいる人は、かかとでなく、手先呼吸をしてください。手がぽかぽかと暖かになってくるでしょう。

これであなたも 「真人」 になれるかもしれません。そういえば、私の玄祖父(おじいさんのおじいさん)は、「真人」 という名前だったらしい。「まこと」 でも 「まさと」 でもなく 「しんじん」 だったそうですから、名付け親は 『莊子』 を読んでいたのでしょう。ちなみに 『莊子』 を書いた人は、「そうじ」 ではなく、「そうし」 という名前でした。

891 臨床家の条件

第891号 2016年4月15日
▼ 臨床家の条件

医学の世界が、方向を見定める哲学を失っているのではないか、と正面から批判している歯科医がいらっしゃいます。丸橋賢さんという群馬県の方。

丸橋賢(まさる)
『全人的治癒への道』
(デンタル フォーラム、2004年、3500円)

少し前の本ですが、例によって奈良のF堂という古本屋で見つけたものです。

歯医者さんの中に、極めて優れた人がごく少数ながらいて、突っ込んだ深い思想を持っている。そういう人の一人ですね。色んな方面に目がいきとどいていて、思わず引き込まれます。

冒頭に、こんな風に書いてあります。

「歯科医師は、全人的治癒像という素晴らしい成果を、容易に達成できる立場にいる。歯周病やウ蝕を根本的に治し、予防するという限局された仕事に止まらず、体力が向上し、疲れにくくなり、風邪も引かず、アレルギーや不妊症まで治り、気力充実して生きられるようになる健康状態をも実現できるのである。膠原病が治り、精神科の管理から開放され、完全に社会復帰する例もある。」

「私は、歯科医師は素晴らしい可能性を秘めた仕事であると信じている。しかし、歯科医療の現実は、そのような達成可能な目標から、あまりにも遠く離れている。」

そして、本書の最後の方では、鮎川信夫の詩、大岡昇平の小説などが取り上げられています。

丸橋さんの書いていることを操法に取り組む立場から解釈しなおして、まとめてみましょう。第3章 「哲学なき科学を超えて」、第4章 「優れた臨床家の条件」、第5章 「歯科医療の荒廃を越えて」 の3つの章に丸橋さんの言いたいことがまとめられていると感じられます。

まず医学が哲学なき科学になってしまっているのではないか、という疑問。科学は確かに大きな成果を生み出したが、何をどう選択して行くかという価値観=哲学を確立していなければ、方向を見失ってしまうのではないか。いや、すでに方向を見失っているのではないか。

確かな哲学をそなえた人物の例として丸橋さんが上げているのは、ヒポクラテス、ゲーテ、湯川秀樹、です。

例えばゲーテの 『若きウェルテルの悩み』 の一部を引用してあります。

「ぼくは流れ下る小川のほとりの深い草の中にからだを横たえ、大地に身をすり寄せて数限りないろいろの草に目をとめる。草の茎の間の小世界のうごめき、小虫、羽虫のきわめがたい無数の姿を自分の胸近く感ずる。・・・
そんなときぼくは万感胸に満ちて、こう考えるのだ。ああ、こんなにも豊かに、こんなにも暖かく己の中に生きているものを表現することができたらなぁ。」

このような感動が臨床家の資質として必要だといわれます。

「好きこそ物の上手なれ、ということわざの通り、臨床を好きになることが最も大切である。が、現実に現在の歯科医師をみるとき、臨床を愛し患者を愛し、仕事に生きがいを感じている人はごく少数であるように見える。大多数はあまり情熱もなく、惰性的に保険制度に毒され、半ばいやいやながら仕事をしているように見える。」

厳しい見方ですが、さて、操法の世界はどうでしょうか。セミナーや講座に参加して来られる方々の表情をみていると、操法の世界では、多くの人が情熱を失っていないように私には感じられます。

ただ、臨床家としての資質を持つために、幅広くいろんな分野に関心を持ち、いろいろな取組を続けることが求められているでしょう。ゲーテはよく知られているように、文学に親しんだだけでなく、自然科学の本を何冊も書いています。例えば 『色彩論』 が有名です。

ゲーテの天才を真似ることは無理でも、せめて色々な分野に興味を持って接したいものと思っています。