967 価値判断と事実判断

第967号 2017年3月31日

時々、古いメルマガを読みたいというリクエストをいただくことがあります。そここ、古いものの中から選んでHPに掲載しているわけですが、すべてではありません。特に比較的新しいものは、出してありません。

そんなわけで、比較的新しいけれど、HPに出ていないものを少し選んで復刊してみる試みをしてようという次第です。今回は2014年7月7日の[第729号]。もとのままではなく、少し手を入れてあります。

「判断する」という言葉があります。「判」は「分ける」とか「分かれる」、「断」は「切る」とか「断つ」ですから、物ごとを「Aグループ」と「非Aグループ」とに「切り分ける」というほどの意味でしょう。

例えば、レストランAの食べ物は「うまい」が、レストランZの食べ物は「うまくない」などと、私たちは毎日いろんな判断をしています。

もちろん、このような【価値判断】だけでなく、この操法は「よく効く」、この操法は「効かない」と判断することもあります。こちらは【事実の判断】です。

収穫した豆を「売り物になる豆」と「売り物にならない豆」とに分けるなら、それも「判断」の一種です。

事実の判断は別として、価値判断は人によって結論が異なる場合があります。というより価値判断は人によって少しずつ違うというのが正確でしょう。

レストラン「朱鯨亭」の料理を人によって「うまい」とするか「まずい」とするか違うかもしれません(ある時、おたくは鯨料理の店ですね、と電話がかかって来たことがありました!)。

客観的な基準があるかと問うてみると、一人ひとりの好みがありますから、それぞれがまことに主観的な判断でものを言うことになります。評論家達は、いかにも客観的な判断をしているように装いますが、客観的な判断など不可能だと言った方がいいでしょう。

音楽の価値判断なども、人によって全然違う。一つの演奏をある評論家は絶賛し、ある評論家は酷評するというのは珍しくありませんね。

こんな具合ですから、たとえ事実の判断であっても判断というのは難しい。特に人の身体に操法を施すという場合の判断は難しい。

観察から始まって、観察 → 判断 → 操法 → 確認と四つ段階があって、その段階の一つが「判断」です。

観察に基づいてこの人の身体はここがこうだからこの操法をしようと「判断」するわけです。的確な判断ができるためには的確な観察が必要ですから、観察が重要なのは間違いありません。

ですが、観察さえ的確であれば的確な判断ができるかとなれば、そうは行きません。Aの操法とBの操法とでは効果が違う。あるいは同じような効果があるとしても、効果の大きさが違う。つまり効き方が違います。ある操法をした後、その操法が果たしてその人に効くかどうかは観察だけでは決められない。

またAの操法をしてからBの操法をする方がいいのか、B→Aの順にするのがいいのか、このあたりにも微妙なところがある。あるいはAの操法をするとして、一度でいいのか、何度か繰り返すのか。これも機械的に決めてしまえません。

また人によっては症状がいくつもある。10ほども症状を並べる人は、決して珍しくありません。特に数多くの症状を抱えている場合、いったいどこから手を付けるのか、これも難しいところです。

ですから観察の結果に基づいて判断し操法する時、どうしても操者の好み主観が入ります。むしろ操法は、そういうものだといったほうがいいのかもしれません。つまり受け手の生きざまと操者は向き合うわけですから、操者の生きざまも操法に出てくる。【二人の生きざまの交流が操法だ】ということになります。

操法をする際の判断の難しさは、この辺りにあります。症状がすべて異なること。人によって効果がすべて異なること。操者の技量によっても、結果が違ってきますから、操法について一般的にものをいうのは本当にむずかしい。

この場合はこうだ、あの場合はどうだと、【断定的にものをいう人を警戒した方がいい】のは、このような問題点があるからです。むしろこういう問題点を自覚して慎重な言い方をする人の方が信頼できると私は思っています。

これは、どこの施術院を選ぶかについても言えるだろう。断定的に何でも言うところは避けた方が無難です。断定的な言い方を避ける人の方が信用できると私は思います。

こんなわけですから質問を受けるのは難しいことが多い。やって来られて、いきなり「治りますか」と尋ねる人がいますが、そういう質問にすぐに答えられるわけがありません。

症状をメールや電話で聞かれても、答えるのは至難のわざ。質問して来る人のお気持ちは理解できますが、そう簡単ではないわけですね。操法のわざに決してマニュアル化できない部分が残るのも、こんなことがからんでいるからではないでしょうか。

では、講座ではマニュアル化できない部分は教えないのか? 私自身はどのようにしているのか、と振り返ってみると、実は【私の判断と操法を例として示している】のだと思います。自分のことは分かりにくいものですが、じっと振り返ってみると、そんな風に思います。

それは例えば「茶道」の師匠も同じではないかと思いますね。師匠は自分の好みというか、自分の生きざまに従って茶道の組立を例として示しているのではないだろうか。

伝統に従っているだけではつまらないものになるのは、そういうことでしょう。「生け花」や「落語」も同じだと思います。最終的には師匠が例を示すより他に方法がない。

弟子は、師匠の操法を真似るのが勉強です。何でもマニュアルの世の中ですが、マニュアル化できないものを学ぶところに本当の勉強があると私は思っています。そうしているうちに、その人独自のものが生まれてくる。

一人ひとり人格も骨格も違いますから、10人の人がいれば最終的に10人とも操法が異なる。同じ技術を使っていても同じにならないのは、そういうことではないか、というのが結論です。

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940 けいぶん社

第940号 2016年12月25日
▼ けいぶん社

先日来られた若い女性Aさんが、『ねじれとゆがみ』が京都・一乗寺の「けいぶん社」にありました、と言って、写真を送ってくださいました。見慣れない本たちの間に私の本がおいてあって、不思議な空間だな、と感じ入ったのでした。

その3日後、今度は京都の女性が来られた。京都のどこにお住まいですか、と尋ねると一乗寺だという。

── 一乗寺といえば、叡電の駅から少し西に行ったところに「けいぶん社」という本屋さんがありませんか? と私。

── ええ、あります。そこで『ねじれとゆがみ』を見つけて読みました。それで予約を入れたんです。

── あ、そんなことってあるんですね。3日ほど前に、そこの写真を送ってくれた人がいたんですよ。シンクロ(シンクロニシティ=共時性)ですね。

──はい。

──いちど行ってみたい。

で、一昨日、カミサンと一緒に行って来たんです。

「けいぶん社」は漢字なら「恵文社」ですが、看板はあくまで「けいぶん社」。わざわざ「ひらがな」というところに、この書店の考えが示されているんでしょう。

ドアを開けて中に入ると、本屋の空気とは違って、オブジェたちが並んでいるのを感じる。その空気に圧倒される感じ。

実際、本だけでなく、文房具や布製品・陶器のようなオブジェもたくさん並べられています。もちろんそれも商品ですから、オブジェというのは正しくない。結構な値がついています。

本の並べ方が尋常ではない。普通なら叢書やシリーズはまとめておいてあるものですが、ここでは、そういう本の大きさやシリーズや、という外面的なことは一切無視され、もっぱら中身の関連だけで本が並んでいる。大型本のとなりに文庫本があったりするわけです。

だから、こういうディスプレイができるためには、本の中身についてのかなりな知識が必要になります。どう考えても、私にはこんな芸当はできない、と思える。

ここの店員さん(あるいは店主さん)は、本についての広範な知識を持っていることが伺えるんですね。それも偏ったジャンルだけならいざしらず、すべての本についてやるとなると、言ってみれば、文化全体についての教養がなければ無理ですね、これは。ただごとではない。

表面的に真似のできる人がいても、ここまで広範にできる人は、そうそういるまいと思えます。

奥のレジにいる女性がどうやら店主であるらしく見えます。50代? ベレーを被って、しきりに新しい本を入れている様子。

私の方は、店内のあちこちを巡って、本の並び方を見てまわりました。講談社文芸文庫の鈴木大拙訳・スエデンボルグ『天界と地獄』が目に止まった。

これ、先日のメールを下さったAさんに、こういう本がありますよと紹介したものですが、私が読んだのは古い抄訳です。鈴木大拙訳は読んでいません。

鈴木大拙という禅の世界的大家と、神秘家スエデンボルグというミスマッチが面白く気になっていた本です。(訳文は文語文で、決して読みやすい本ではないので、推薦はしません)

『天界と地獄』は、けいぶん社にある本たちの中でも、私にはひときわ光輝く本に見える。といって他の本に光が見えないというのではありません。読みたくなるような本がいっぱいあって目移りしてしまいます。

しかし買って帰るとすれば、この本だな、と見当を付けます。

さきほどの女性の様子を伺うと、『ねじれとゆがみ』が置いてある辺りで、本の位置を変更している。どの本とどの本をとなり合わせるか、というのにも、この人の直感が働いているらしい。操法にも直感が必要ですが、ここでもまた。

頃合いを見計らって、レジのところへ進み、『天界と地獄』を差し出しました。

── 私、あそこにある『ねじれとゆがみ』の著者なんです。(なんとヘタクソな自己紹介だ、と思いながら)頭を下げる。

── あ、と一瞬間があって、向こうも頭を下げられた。

──昨日のお客様がこちらであの本を求めて、予約を入れて来られたので、嬉しくて来てしまいました。

── さきほどのお客様も、こんな本が欲しかったとおっしゃって買って行かれました。・・私も肩がこってまして。

── 本は重いので、本屋さんは大変のようですね。どの辺りの具合が悪いのでしょう。

── この左側の首の周りが。

──はあ、それは腰ですね。腰がねじれて、背中から引っ張っているんでしょう。・・・少しやって見ましょうか。と、この人の腰の後ろに手を触れてみると、案の定、右が後ろ、左が前に仙骨が回旋しています。

女性の手の甲を拝借して(というのもおかしいが)、仙骨の対応点(つまり有頭骨)を、右手はぐっと押す。左手は「出てきなさい」と撫で撫でする。

── 何だか、ちょっと変って来ました。

── どこが変ってきましたか。

── この辺が緩んできました、と首のあたりを押える。

── なるほど。

── あっ、視界が明るくなってきました。

この光溢れる空間が、これ以上明るくなったら眩しく感じるのではなかろうか。

というわけで、次に会計を待つ人に場所を譲って、カミサンと一緒に表にでました。表の街路は、細かい雨で濡れていました。

お客さんの入りは、結構な数。奥の方は、まっすぐに進むのが難しいほど人が入っていました。殆どが女性です。今日は祝日なのになぜ男は来ないのか。いま文化をになっているのは主に女性なんじゃないだろうか。操法を習いに来る人も、このごろは女性の方が多い。
おとこは疲れ切っているのだろうか。

このお客の入りは、営業が難しい業種で、人通りの少ない立地でも、工夫しだいで繁盛店としてやって行けることを如実に示しています。

いろいろなことを学ばせてもらいました。女性たちを吸引する力のある素晴らしい空間。お勧めです。京都一乗寺、けいぶん社。

932 健康不安についてのご意見 16/12/8

前号で「健康不安」について触れたところ、いくつかご意見をいただきました。それらをご紹介するとともに、私の意見(▼)も書いておきたいと思います。

◎1 Kさん(奈良県在住、口頭で伺ったご意見) 「健康不安がないのが健康だ」というのは、その通りだと思うが、ただ、前提条件がいる。

タバコをじゃんじゃん吸い、酒をがぶがぶ飲むなど、メチャクチャなことをしていて、健康不安がないというのは、どうだろうか。

▼ 確かにもっともなご意見です。私もそう思いますが、少し注釈を付け加えたい気がします。健康に悪いことをしない、というのも、健康不安を呼ぶのではないか、と思うからです。

例えば、〇〇はからだに悪い、などという話は色々あります。〇〇はからだに悪いという意見を目にすると、そういうことに意識が先鋭に向いて、健康不安をつのらせている人がいるのではないか、と思うのですが、どうでしょうか。

つまり現代人は自分の身体にかかわることを本能的に、あるいは直感的に判断できなくなっている。頭でしか判断できなくなっている人が多いし、そういう社会になってしまっているということだと思います。いずれにしても、私達の暮らす社会は対応の難しい複雑怪奇な社会になってしまいました。

【〇〇にはいる具体的な名詞についてご意見を色々いただいても、私には対応しきれませんので、念のため】

◎2 Kさん(東京都在住、メール) 私 [Kさん] の院に来た時はすでに慢性膵炎と診断されたあとだったのですが、診断されるまでの経緯がすごかったです。というのは・・

初めは、その方の旦那さんがテレビの健康番組で自分が膵炎かもと思ったらしく、ネットで調べ始めました。よこで見ていたら自分もそんな気がして来た・・というのが事の始まりです。

そのあと医療機関に十数軒行って、さいごの病院で慢性膵炎だね~、と診断されました。本当は膵炎じゃなかったんでしょうけど、自ら病気を作ってしまった・・そんな気がしました。

▼ やっぱり、という感じですかね。「健康不安」というより、なんと言えばいいのか、「病名願望」とでも言えばいいのか、「病名」が付くと安心するという心理。この根底にあるのは、医学信仰なのでしょう。

◎3 Tさん(長野県在住、メール) 西洋医学の検査は、身体を診る上で一つの指標になるとは思いますが、必要があって上がっている数値もあるわけでしょうから、結果に左右され過ぎないよう、自分自身が出来る限りの知識と自信を持てるようにしたいものです。

整体させてもらう時は、どうしたらこの人が自分の身体に対して無くしている自信を取り戻してもらえるか、という事を念頭に置いています。

「健康不安がない状態こそ、健康なのではないか」とのお話、 言い得て妙ですね。思わず手を叩いてしまいました。

不安、言いかえれば恐怖が強い方は、野口整体の感情活点がなんかヒンヤリしていたり、(本などに時々出ている)右肩甲骨内側の違和感などを感じる様な気がします。

▼「感情活点」とは、左側の肋骨の下辺、みぞおちから左側あたりのことですね。「ヒンヤリ」とありますが、このあたりが硬くなっている人も同じでしょう。

 

932 健康不安ということ

「健康不安」 とでも呼ぶより仕方のない事例を最近いくつか経験しましたので、それについて。ただし特定の個人の事例を対象にしたものではなく、私が日頃から感じていることを書いたものです。

『不安な心の癒し方──あなたの悩みを解消する7つの認知療法』 (ロバート・リーヒ著、アスペクト) という本があり、それから引用します。(この本を推薦したいわけではなく、実例の一つとして取り上げるだけです)

シルビアという女性の例が取り上げられています。

──三週間ごとに医師の診察を受けているが、どこも悪いところが見つからない。インターネットで医学関係のサイトをあちこち見ては、あらゆるタイプの癌や、まれな病気について調べているという。

そこに書いてある、吐き気、めまいなどの症状が自分の体の不調と同じなので、癌や脳腫瘍といった恐ろしい病気の徴候だと彼女は思っているのだ。

内科、婦人科をはじめ、さまざまな専門医のところに定期的に通い、おびただしい数の検査を受けたが、いずれも結果は異常なしだった。

それでもシルビアは納得しようとしない。家に帰ると、見落としたことがあるかもしれないと思い、「もしも間違いだったらどうしよう。先生はすべての検査をしたわけじゃないし、見つけられたはずの癌を見落としていたらどうしよう」と、あれこれ考えた。─(395ページ)

これは極端な事例でしょうが、似たような事例がこのシルビア以外にも増えているように感じられます。つまり、当人は、自分には 「体に異常があって困っている」 と思っているのに、操法をする立場から見れば、「異常があるという不安にさいなまれている」だけなのではないか、と思われるケースです。

初めは、背中が痛いとか、脚がしびれるとかの症状があった。そういった症状が長く続くと、これは何か重大な病気の兆候なのではないか、という思いがつのってくる。診察や検査を受けても、異常ありませんと取り合ってもらえない。

そのうちに、何もなくても手がしびれてきたり、どこかが痛くなるといった症状が出始める。こうなると、もういけません。体に痛みや痺れの根拠があれば、操法でそれを解決することが可能ですが、不安によって生まれている症状は、いくら操法をしたところで解決しません。それどころか、体にとって必要のない操作を加えているわけですから、却ってますますひどくなることもある。

最近、こんな症状(?)の人が増えている感じをもっています。どうしたらよいのか。「健康不安」ともいうべき不安が解消されればいいわけですけれど、社会全体に「健康不安」をあおる雰囲気があります。

健康雑誌は、どうすれば健康になるか、としつこく呼びかけていますし、テレビはサプリの広告に余念がない。健康の話題はテレビ番組や新聞の中心的な話題の一つになっています。

健康、健康と世の中全体が叫び声を上げていることが、健康不安を煽る結果になっていないでしょうか。

健康に関心のある人は、ますます不安に取り憑かれる、という悪循環になっているように思われます。しかも、はっきりとした不安としてあるというより、雰囲気としての不安になっていますから、どうしても不安として自覚されにくい。

そういう人が増えているように思われます。血液検査を受けて、どの項目かにH(高い)やL(低い)の記号がついていると、気になって仕方がない。

あるいは、殆どゆがみのない体なのに、私は歪んでいるように思うと訴えてくる人が多い。

最近、このような傾向が増えているように思っています。

「健康」というのは、血液検査の数値がすべて基準を満たしているとか、体に歪みがないとかではなく、本人が健康などということを考える必要がない、いいかえれば「健康不安」がない状態こそ、健康なのではないか、と私などは考えるのですが。

 

939 早起きは三文の得 2016/12/23

メルマガをいつ書いているのか、という質問を受けることがあります。別に秘密の方法があるわけではなく、ごく当たり前のことをしているだけです。

私の睡眠時間は、現在の常識からすると、おそらく異例なものでしょう。午後9時にねて、午前4時に起きます。全体としての時間数は7時間ですから、寝不足の状態ではありません。

午前4時に起きて何をしているか。(時には午前3時に起きていることもある)まず、起きだして着替えたら、湯を沸かして、トゥルシーを淹れます。(カミサンはまだ寝ています)

トゥルシーはインド原産のハーブで、これがなかなか美味しい。これを飲んでいるお蔭で、以前は悩まされていた前立腺の肥大の症状がすっかり改善しています。つまり、おしっこが出にくかったり、夜中にトイレに行くといった症状がなくなった。

以前にスギナ茶をご紹介しましたが、「いつまでもスギナ茶を飲み続けないといけないのか」、という声があり、トゥルシーに切り替えてみました。でも前立腺肥大の症状がまったく出ない状況です。

事実、トゥルシーに関する文献を読んでみると、前立腺に効くと書かれています。因みにトゥルシーはアーユルヴェーダの薬草で、不老長寿の薬と呼ばれています。詳しくはウィキペディアで「カミメボウキ」の項目をご覧ください。「カミメボウキ」とはトゥルシーの和名です。

トゥルシーを飲んでみたいという人は、トゥルシーで検索すると、いろいろ出て来ます。香りが一番いいのは、「野良農園」という宮崎県で作られているトゥルシーです。この強い芳香に慣れるとクセになる人もいるでしょう。強い香りが苦手という人は、インド産のものを飲めばいいと思います。

熱いトゥルシーをたっぷり飲んだあと、少し瞑想をします。ただ瞑想といっても、ちゃんと正式の姿勢(そんなものがあると仮定して)をとってするわけではなく、椅子に坐っている時も寝転がっている時もあります。(難しいことをいう人は、寝転がって瞑想してはいけないとか何とかいうでしょうが、気にしません)

やってみて瞑想の時間は朝が一番という感じがあるので、朝にやっています。この時、天から素晴らしい発想が降りてくることがあります。その次はメルマガを書くか、あるいは「漢方体操」をします。

「漢方体操」については、あまり記事がないでしょうが、ネットで探してみてください。これで私の体調はふしぎなほど劇的に変わりました。操法の面でも、そのことが色々役立っています。

その後、起き出して来たカミサンが整えてくれる朝食を採ります。(カミサンは私と違って朝ヨガをやっています)朝食廃止という思想もありますが、私の場合、朝食を取らないと具合が悪い。ナッツ、カミサン調製のヨーグルト、目玉焼きといったメニューです。ここに果物が入ったり、パンが入ったり、その時々で色んなものを食べます。

テレビはないので見ません。コーヒーや紅茶、緑茶、ウーロン茶といったカフェイン類は口にしません。朝であっても、睡眠に影響が出るからです。朝に一杯のコーヒーを飲んでも夜に眠れなくなる。その他、心臓にも影響を感じて、気持ちが良くない。

ですから思想としてカフェインを飲まないのではなく、飲むと調子が悪くなるので、飲まないということです。

さて、ここまで来ても、朱鯨亭に出かけるまでまだたっぷり時間がありますから、音楽を聞いて過ごします。最近、気に入っているのはブレーメンの音楽隊の演奏、東洋人も何人か参加している様子です。そんなものが本当にあるのか、って。あるんですね。ブレーメン・バロック管弦楽団の演奏によるテレマンの曲「トラヴェルソとリコーダーのための協奏曲、ホ短調」。https://www.youtube.com/watch?v=2D-y2kJU0lg

テレマンという人は後半生をハンブルクで活躍しましたから(ハンブルクとブレーメンは100キロほどの距離)、地元の演奏といっていいでしょう。ここに聴くレコーダー(縦笛)やトラヴェルソ(横笛)を中心として演奏する人たちの生き生きとした表情を御覧ください。

その後、8時になれば靴の紐をしっかり縛りなおして朱鯨亭に出勤です。奈良町の中を歩いて、約35分。朝日を浴びて世界遺産の横を通って行きます。東の大和高原から昇る太陽がまぶしい。というわけで、早起きは三文の得を実践しています。みなさまも、よろしければどうぞ。朝早く起きると、「三文どころではなく」こころとからだがずいぶん得をしますから。

900 ファッションに学ぶ

第900号 2016年6月3日
▼  ファッションに学ぶ

私は時々、まるで畑違いの本を読みます。歴史や天文学の本を手にとってみることがあります。今回は、Kさんという女性から本を送っていただきました。それも畑違いも甚だしい、ファッションの本です。絶対に私が手に取りそうもない本を送りますというようなメッセージがついていましたから、Kさんは、このあたりの私の習性をよくつかんでいらっしゃったのでしょう。慧眼に驚きます。

というわけで、今回取り上げる本は、お勧めの本というわけではなく、たまたま手に取ってみた本という位置づけです。

豊川月乃
『あっ、モデルかな?と思ったら 私だった』
ダイヤモンド社(2016年3月、1400円)

まずは、気になる項目名を列挙してみましょう。

前髪を見ると姿勢が意識できる
高いヒールは誰でもラクラク履きこなせる
歩けば歩くほど美しくなる
残念な人は「開いている」
顔への思い込みを外す
バッグを持ち替えたくなる持ち方

例えば、少し引用してみましょう。

──意外なことに、前髪は体の歪みの原因になります。前髪を斜めに流している女性は、前髪を触るタイミングが多く、その場合は顔や体を傾けながら触っているため、たいてい前髪を流している方向に体が傾いています。

──モデルがウォーキングレッスンをするのは、週に1回、1時間半~2時間程度です。鏡張りの部屋でずっと自分の姿を見つめて歩き、その時間中は先生に 「首が前に出ている」「姿勢が崩れた」 などと言われ続けます。・・・

ですからみなさんも、「毎日がウォーキングレッスン」 というつもりで過ごしてください。歩けば歩くほど、360度どの方向から見ても美しいモデルに近づけるのですから、たくさん歩きましょう。

──ハイヒールを履くときは、まるで履いているように感じさせないのがいい歩き方。雲の上を歩いているようなイメージで歩いてください。

私が若い女性だったら、いえいえ若くなくても、ぜったいこの本をじっくり読んで見たいと思うでしょうね。

899 粒子状物質がいたずらをしている?

第899号 2016年5月29日
▼  粒子状物質がいたずらをしている?

一昨日の金曜日は、西日本で粒子状物質(以下 PM と略称)の濃度が高かったようです。私も外出から帰って初めて、のどや鼻、目の様子がおかしいことに気づきました。

その日の夜中に目覚めて、寝苦しいな、と感じ、いろいろ考えていると、ひょっとしてこれは、PM の影響ではないか、と思いました。PM の影響で交感神経が緊張しているのではないか、そう思ったわけです。

なぜ、こんなことを考えたか、と理由を聞かれても、的確に答えることはできません。ただ、こういう考えが生まれて来た時は、素直に従うことにしています。

アイデアが下りてくる時間として、昔から厠上、床上、馬上と言われますね。私の場合は、圧倒的に 「床上」 です。つまり布団の中。夜明け前に目が覚めて、布団の中でもぞもぞしている時に、いろんなことを思いつく時があります。

ちなみに「厠上」 はトイレの中。「馬上」 は現代ではさしずめ車や電車の中。

交感神経が緊張しているかどうか、どこで判断するか。耳の後ろの乳様突起です。乳様突起が大きく張り出している時は、交感神経が緊張型になっています。

そういう研究結果を出している誰かがいるのではなく、私が経験的にそう思っているわけです。逆に乳様突起が出っ張っていないときは、自律神経が副交感神経優位の側になっていて、安定している状態と考えられます。もちろんこの状態は個人差が大きいので、一般化すると、問題があるかもしれません。

私の骨格(側頭骨)が過敏になっていて、そういう動きをするだけかもしれません。

で、夜中に目覚めた私は、自分の乳様突起に手を触れてみた。なるほどね。かなりデカくなっています。いつもはここまで出っ張っていないから、これはPM の仕業に違いない。

昨日の日中は花盛りの植物園でゆっくり花の色と香りを楽しんできましたから、交感神経が立っているわけはない。なのに、乳様突起が出っ張って来ているのだから、心は寛いでいるのに、身体は緊張していることになります。

近頃は 「PM2.5」 などと気軽に呼ばれていますが、もちろん PM2.5 だけが問題というわけではないことを肝に銘じておくことが必要です。

PM は Particulate matter の略、つまり 「粒子状物質」。詳しくはウィキペディアを読んでみましょう。

──粒子状物質(りゅうしじょうぶっしつ、英: Particulate matter, Particulates)とは、マイクロメートル (μm) の大きさの固体や液体の微粒子のことをいう。主に、燃焼で生じた煤、風で舞い上がった土壌粒子(黄砂など)、工場や建設現場で生じる粉塵のほか、燃焼による排出ガスや、石油からの揮発成分が大気中で変質してできる粒子などからなる。粒子状物質という呼び方は、これらを大気汚染物質として扱うときに用いる。

黄砂とともにやってくるというので、中国を悪者にする言説が多いようです。確かに分布図を見ると、中国に大きな汚染源があるのは間違いないでしょうが、それだけだろうかという疑問が浮かびます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%92%E5%AD%90%E7%8A%B6%E7%89%A9%E8%B3%AA#/media/File:Modis_aerosol_optical_depth.png

この図から考えて、黄砂がもっとも大きな汚染源かもしれませんが、その他、ウィキの説明にも、「燃焼による排出ガス」とあることから、自動車の排気ガスも原因の一部をなしているはずです。そのほか、火力発電所であるとか、工場や建設現場からの粉塵なども原因の一部をなしているでしょう。

要するに、人間が出しているものが人間に降りかかって来ているということです。

具体的に、どのような被害があるのか、どんな時期に PM が増えるのか、など、有用な情報をまとめて掲載してくれている次のようなサイトがあったので、ご紹介しておきます。
http://marthanew.com/archives/2667.html

ただし専門家が作成したサイトではない、と断ってありますので、その内容の信ぴょう性については、読者それぞれで検討してください。

乳様突起の状態についても、あくまで私の個人的見解(感受性)ですので、その前提でお読みくださればさいわい。まあ、こういうこともあるかもしれない、という程度に読んでいただければ、いいと思います。

【結論】 乳様突起が飛び出している状態になっている時に、交感神経を鎮める方法はあるのか。手の平の小指側、知能線の終わり付近と感情線の起点とのあいだあたりを、知能線の終わりから始め、感情線の起点に向けて、指先方向にさっと、手の側面をなでればよろしい。すると、あらら不思議、乳様突起がへっこみますよ(下がっていた側頭骨が上がるといってもいいでしょう)。

なぜ。こんなところが、と不思議に思う人は、『共鳴法教本』 で顔の操法を研究してください。