860 こだわり

路地裏の整体術 第860号 2015年12月10日
▼ こだわり

どんな人にも 「こだわり」 があり、自分自身ではそのことに気づきにくい。

操法家にとって難しい課題の一つですし、よくなりたいと思っている人にとっても重要な課題でありながら、意識しにくいことかもしれません。

「捕われ」 と表現すると、そんなことは自分には無関係だと考える人が多いかもしれませんので、「こだわり」 と言う方がいいでしょうか。でも自分のどこかが悪いということに 「捕われ」ている人は多いのではないか。

例えば 「心臓が悪い」 と思い込んでいると、いよいよ悪くなってしまって、胸が痛いと感じたり、動悸を感じるなどという事態です。よくあるのは 「手足がしびれている」 と思い込むと、本当にしびれを感じてしまう。

その上、病院で何かの病名をつけてもらう。こうなると、もういけません。その病名に捕われてしまいます。

五十肩ではないのに、病院で 「五十肩ですね」 と言われたためにそう信じこんでいる人がいる。すでに肩の痛みが改善しているはずなのに、「五十肩」 ですから治りませんね、などと言う。

「ヘルニア」 だから手術しますか、などと言われた日には、再起不能ではないかと思い込んで腰がへなへなになっている人もいます。

昨日こられた70代の男性Tさん。脊柱管狭窄症があると診断を受け、左脚が常にしびれているという。特に膝から下がひどく、湿布を貼ってしのいでいる。

実は昨日が初めてではないのですけれど、何度か操法をしても 「よくなった」 とは決しておっしゃらない。

通常はこのくらいのことをすればこうなるだろうと見通しをもって操法をしているわけですが、そのたびに 「まだここがしびれていますね」 と言われる。Tさんのお話のなかに◯◯病院でどうこうという話しがたびたび出てきますが、それはTさんが病院で言われたこと、されたことに捕われていらっしゃるからに違いない。

確かにしびれているには違いないのでしょう。ですが、Tさんのエネルギーが、言い換えると当人の意識のエネルギーが 【症状の改善】 の方向に向いておらず、【症状の持続】 の方向に向いているのではないか、という感想を持ちます。

それが事実なんだからしょうがないだろう、とTさんはおっしゃるかもしれない。でも、この後の推移からみれば、少しでも改善すれば 「よくなりました」 とおっしゃる人の方が、よくなりやすいというのが、常に感じることです。

こういう場合に「数字でいえば、初めを10として、今いくらぐらいですか」と尋ねるやり方もありますが、そんなことをしてみても本質にはかかわりがない。同じことです。かえってその人の「こだわり」 を強化してしまうのではないか。

特に高齢の方に多いのは、操法している者の感じでは、改善しているはずなのに、現在の状態がどうかという質問には答えず、「いつもこの辺がしびれているんです」 というように自分がいつも感じていることを表現をする人。

Tさんの場合もそういう趣きがあり、従来の症状への 「こだわり」 が見られます。気持ちが 「持続」の方向へ向いているわけです。自分の症状は改善するはずがない、と本心では思っている。

症状というものは、本人の考えていることを正直に反映しているもので、本人がそう思っていては改善の方向に決して向わない。

例えば整体の先達である野口晴哉(のぐち・はるちか、1911-1976)は 『愉気法1』(全生社) という本の中に 「受け身な心では丈夫になれない」 として次のように書いています。

──病人になっている人たちは、自分で病気を治そうとはしない。しかし自分の体は自分で丈夫にするより他にない。お腹が空いても、今忙しいからといって、他人に食べてもうらわけにはいかないし、他人に気張ってもらっても、自分の大便は出てきません。自分が弱ったからと言って、他人に頑張ってくれと一生懸命頑張らせても、自分が丈夫になるわけではないのです。(46ページ)

なぜ、しびれが出ているのか、そちらを考えてみましょう。Tさんの骨盤は、左に傾く傾向にある。何度か直しましたが、やはりそうです。一緒にいらっしゃっている奥様は、姿勢が悪いんです、と繰り返しおっしゃいます。坐っている時の姿勢が悪いと。

そのために左脚の腓骨頭(膝の外側下にある突起)がひどく飛び出している。みたところさほどのO脚ではないのに、腓骨ばかりがひどく飛び出しているのが目立つところです。体重が外にかかっていることを表しています。

Tさんはあまり歩いていないので、体重が外にかかる原因は、歩く姿よりも坐っている時の姿勢にありそうです。坐っている時にお尻が自然と左に向っているに違いない。Tさん自身には自分の体重が左に向っているという自覚はないのでしょうが、そんな坐り方だろうと、想像がつく。

坐っている時に自分自身で、体重の方向を補正する工夫をしてもらうことができなければ、直しようがありません。お尻に何かを当てるとか、横にクッションを置くとか。私が、どうしてこうしてではなく、本人が主体的に改善の方向へ向って、努力しないとどうにもならないことがあります。どんな風な体操をしたらいいのか、と尋ねる人がいますが、私がこういう体操をしてください、と指示して、その通りするというようなことだと 【主体的に】 本人が取り組んでいるとはいえないでしょう。

それじゃ、あなたは何をするのか、というお尋ねがあるかもしれません。私は、ただ、そういう活動のお助けをするだけで、私が直すわけではない。間違ってもらっては困るのです。あなたの体を直すのは、あなたの体が持っている力でしかないのですから。

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